イノセント メランコリー4/5
それがリユだとシエルが気付いた瞬間、いつかの、マダムレッドの前に飛び出した時の少女の姿と重なった。
咄嗟の事でシエルは声を出せず、両腕を広げて自分を庇う様に立つ少女の背を見つめた。
しかし劉の刃は、少女を貫かなかった。
「どうして、」と少女の口から声が零れる。
彼女の鼻先ぎりぎりに刃を向けたまま、劉が口元に笑みを作った。
「………はは、どうして、は、我の台詞だよ。リユ」
劉の言葉が今度はシエルへ向いた。
「伯爵、この子は君の盾なのかい」
シエルは少女の肩越しに、劉の冷えた視線とぶつかった。
「っ、違う!」
はっとして、少女の肩を引き寄せ、自分の後ろへ庇った。
が、劉の刃はもう下を向いていた。
するとリユが、青龍刀を降ろした劉に問い掛けた。
自分を妹と重ねて見ていたのか、と。
問われた劉は一笑したが、シエルは劉が僅かに動揺したのを感じていた。
まるでリユに、心を読まれたとでも言うように。
「いやあ、驚いたよ。君は思ったより我を楽しませてくれるね」
劉の柔和な口調に潜む棘。
シエルは目を見開く。
「でも。これは我と伯爵のゲームだ。……君はもう、要らないよ…!」
「リユッ!!」
シエルは自分の前に出ていた少女に慌てて手を伸ばす。
劉の刃は、今度は真っ直ぐ少女を狙っていた。
「…っ!?」
伸ばした手がリユの肩に触れるより早く。
少女の体は真横から押され、甲板に倒れ込んだ。
代わりに、シエルの目の前に現れた背中は。
「アバー…ライン……」
刃に貫かれたのは、少女と共に屋敷へ向かわせた筈の警部補だった。
口から血を流しながら、彼が此方を振り向いた。
「シエル、君……」
「刑事君…、邪魔だよ」
劉が刀を引き抜くと、アバーラインは体から血を溢れさせてシエルの足下へ倒れた。
同時に、シエルとの間に障害の無くなった劉が、青龍刀を振り上げる。
自分の名前を叫んだ少女の声を聞きながら、シエルは劉の刃を受け止めた執事の背中を目に映す。
セバスチャンからの攻撃を躱そうと、その場から飛び退いた劉。しかし彼は膝をついた。
攻撃を受けてしまった腹の辺りが血に染まる。
「、素晴らしいよ伯爵…、さすがの人徳、…いや、悪徳かな…」
「劉…っ、貴様…!」
「この船も終わりだ。ゲームは君の勝ちだよ伯爵」
自分はプレイヤーには力不足だったらしいと言い残し、劉は藍猫と共に海へと落ちた。
其方に向かった執事には何も告げず、倒れたままのアバーラインの傍へと屈む。
まだ微かに息のある彼へ、何度も声を掛けた。
「しっかりしろ、アバーライン!しっかりしろ!」
「シエル、君……、君が、無事で良かった」
「っ、アバーラインさん!何で此処に!?手錠は!?」
駆け寄ってきたリユが声を上げた。
それに答えながら、アバーラインは少女の無事にも安堵の表情を浮かべる。
血の気の失せたアバーラインがシエルの額に手を伸ばした。
触れられたその手は、場違いな程に穏やかで温かだった。
優しい目が、シエルを見据える。
失ったものは取り戻せる、未来はあるのだと、真っ直ぐに告げられる。
しかし自分にそんなものはないのだ。
力尽きた彼の手がシエルの額から離れた。
その拍子に眼帯が外れ、契約印のある右目が露わになる。
それを見る事はなく、彼は息を引き取った。
「僕には未来なんかない…っ僕はっ…未来と引き換えに……」
寧ろ、未来があったのは自分達を庇ったアバーラインの方だった。
そしてシエルは未来と引き換えに、“今”は、絶対的な力が自分を守り切る事になっている。
だから、庇われる必要などなかったのだ。
リユにも、アバーラインにも。
それが、こうなってしまったのは。
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