イノセント メランコリー1/5
(その姫、処決〜瑕疵 シエル視点)軟禁されている部屋の窓から見える塔の一つ。
少年伯爵は静かに、しかし不安げに塔を見つめていた。
そんなシエルの脳裏に浮かぶのは、昨夜ヤードに囲まれた時の事。
「ごめんなさい。でも、大丈夫ですから……逆らわないで」
お願い、と、自らを必死に見つめてくる黒い瞳。
その時だった。
リユの背後に回ったセバスチャンが、彼女の首に手刀を打ったのだ。
「なっ、お前…っ」
意識を失ったリユの体を背後から抱えて、執事は銃口を向けるランドル総監とアバーライン警部補を見遣る。
「総監殿、先程女子供に手荒な真似はしないと仰いましたが、例えば。気絶して目覚めない少女を、無理矢理に叩き起こすような真似も為さらないのでしょうか」
「…執事、貴様…っ、」
顔を歪めるランドル。
シエルはセバスチャンを見上げてはっとした。
それから、“伯爵”の顔でランドルへ向き直った。
「まさかスコットランドヤード総監ともあろう貴殿が、そんな不誠実な事を為さる筈がないな?」
「ふざけるなよお前達っ、」
「勿論だ!」
総監の声を遮ったのは、警部補だった。
「その少女の尋問は、責任を持って私が行います!宜しいですか、総監。」
今頃ロンドン塔の牢では、少女が尋問を受けているのだろうかとシエルは窓の外から視線を外す。
あの後、言質を取られるような形となった総監は、警部補にリユの尋問を行うよう命じたのだが。
しかし何故リユまでとシエルは考えていた。
ランドルは女王陛下に命じられたと言ったが、仮にそれが真実なら、一体誰があの少女まで巻き込むよう仕向けたのだと疑問が出る。
そこでふと思い浮かぶのは、姿を晦(くら)ませた劉だった。
(まさか…劉がリユを巻き込むように仕向けたのか…?)
少女の存在を知る者は、案外少ない。
それが裏社会の人間なら尚更だった。
しかし劉は、表向きの付き合いではあったが、藍猫と共に、リユとは親しくしていた。
(だとしたら…、僕のミスだ)
同じ東洋人で、また年の近い藍猫が居た事から、シエルは少女が彼らと付き合う事を黙認していた。
またシエルも、藍猫と楽しそうにしているリユの姿を悪く思ってはいなかったのだ。
ふと紅茶の香りが鼻先を掠めた。
“紅茶が入りました”執事の声が聞こえ、はっとして席を立つシエル。
しかし、目の前にカップを置いたのはセバスチャンではなく、アバーライン警部補だった。
「シエル君…?」
首を傾げる彼から、シエルは椅子に座り直し誤魔化すようにカップへ手を伸ばした。
その紅茶の香りが良く、目を丸くしてからカップに口を付ける。
そんな少年の姿に警部補は微笑んだ。
「昔、ティークリッパーの荷降ろしをしていた事があってね」
「刑事のお前がか?」
「僕はイーストエンドの出身なんだ。親も兄弟も居なかったし、生きる為ならどんな仕事でもやったさ」
「だとしたら、大した出世だな」
そう言ったシエルの向かい側のベッドに、アバーラインは腰掛けた。
「ねぇ、シエル君……君は本当に無関係なんだね?麻薬とも、陛下の親書の事件とも」
「ようやく尋問開始か」
「いや。総監は、ただ君を閉じ込めておけと仰ってる」
「ならば関わろうとするな。これは僕と、背後で糸を引く誰かとのゲームだ。駒は駒らしく上司の命令に従っていろ。それが長生きと出世の秘訣だ」
「シエル君…」
表情を曇らせるアバーライン。
シエルはカップを置くと、そんな彼を見据えた。
「僕の事よりも。……うちのメイドはどうしている」
一番の気掛かりを、抑えた声で問う。
警部補はああ、と少し表情を穏やかにして答えた。
「大丈夫だよ、シエル君。あの子の事は心配しなくて良い。まだ眠っているよ。この後、僕がもう一度様子を見に行く事になっている」
「なら、僕よりメイドを頼みたい。彼女こそ、麻薬とも親書とも、この件には全くの無関係だ。劉とも……。あれには使用人と客人以上の関係は何もない。
刑事なら、それくらいの勘は持っているんだろう」
「ああ、分かってるよ。僕もあの子がこの事件に関わっているとは思ってないさ」
ただ、とアバーラインは顔を曇らせた。
「僕の力では、彼女を牢からすぐ出してあげる権限まではないんだ。…でも、」
真っ直ぐに、警部補は碧の瞳を見つめた。
「彼女の安全は、僕が責任を持つ。約束するよ、シエル君」
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