その姫、瑕疵2/2
「 ぁ、」
反射的に顔を上げる。
私の立っていた位置で、劉の青龍刀に貫かれている一人の男性。
その後ろに立ち尽くすシエルが、彼の名前を零した。
「アバー…ライン……」
私を突き飛ばし、刃に貫かれたアバーライン警部補は口から血を流す。
「シエル、君……」
「刑事君…、邪魔だよ」
劉が彼の体から刀を引き抜いた。
血を流して倒れるアバーライン。
劉はそのまま、彼の背後にいたシエルへと青龍刀を振り上げた。
「シエルさッ…!」
叫ぶ私が立ち上がる頃には、セバスチャンが刀を両手で受け止めてそれを流すと、劉の腹に手刀を食らわせていた。
身を引いて飛び退いた劉だが、すぐに腹を押さえて膝をつく。
彼の衣が血で滲み始めた。
「、素晴らしいよ伯爵…、さすがの人徳、…いや、悪徳かな…」
「劉…っ、貴様…!」
「この船も終わりだ。ゲームは君の勝ちだよ伯爵」
膝をついたままの劉の傍へ、心配そうな表情の藍猫が寄り添う。
「私はプレイヤーには力不足だったらしい…」
二人はゆっくり立ち上がった。
「さあ藍猫、夢の続きを見よう…。この世は全て、胡蝶の夢だ」
船から海へ落ちた二人を、シエルは執事に追えとも殺せとも命じなかった。
彼は血を流して倒れるアバーラインの傍らで、声を掛け続ける。
「しっかりしろ、アバーライン!しっかりしろ!」
「シエル、君……、君が、無事で良かった」
「っ、アバーラインさん!何で此処に!?手錠は!?」
間違い無く、彼の鍵は私が取り上げたのに。
すると彼は力無く笑った。
「これでも、昔はね……何でも、やったんだ…、あれくらい、外す方法は…幾らでもあるんだよ」
「そ、んなっ、」
「君も無事で…良かった…」
穏やかに目を細めてから、アバーラインは私からシエルへと視線を戻す。
力無く伸びた彼の手が、シエルへと伸ばされた。
「僕もね……昔、家族みんな失った時、二度と戻らないと思った…、二度と…取り戻せないと…」
アバーラインは優しい目で、シエルを見ながら口を開く。
「でも違うんだ……取り戻せるんだよ…」
「っ、違う!僕は…」
「君には未来が…もう一度、手に入れるチャンスがあるんだ……それを忘れちゃ、いけっ、ない…」
力尽きたアバーラインの手がシエルの額から落ちる。
それと共に眼帯が外れた。
契約印の刻まれた少年の右目が露わになった。
シエルは哀しげに、瞳を閉じたアバーラインを見下ろして言葉を返す。
「僕には未来なんかない…っ僕はっ…未来と引き換えに……」
シエルと共にアバーラインの傍で膝をついていた私は、此方へやって来た燕尾服の気配に我に返った。
と、シエルは哀しげな表情を一変させ、怒りに顔を歪ませる。
「坊ちゃん、」
「…っ、」
声を掛けられたシエルは、立ち上がりざまに執事の顔を平手打ちする。
セバスチャンは平然として、それを受けた。
「失態だな、セバスチャン。あの時、僕の命もリユも、危険に晒されていた。なのにお前は動こうとしなかった」
しかし、微笑を湛えてセバスチャンは答える。
「貴方達はあの時安全でした。実際無事だったでしょう?あの瞬間、私には分かりましたので。アバーラインさんが貴方の盾になる事が っ、」
執事の言葉が終わる前に、シエルはもう一度その顔を叩いた。
すると、怒りを滲ませるオッドアイの両目が、今度は座り込んだままの私へと向いた。
「お前もだリユ!何故お前が此処に居るっ!?」
此方へ来たシエルが、私の肩を荒々しく掴んで立ち上がらせる。
「屋敷に帰ると言った筈だ!なのにどうして此処へ来た?それに何故、銃を構えていなかったんだ!お前のそれは飾りか!!」
肩を揺さぶられながら、私はシエルの言葉が収まるのを待った。
それから、まるで虚ろな夢の中にいるような気分で答える。
「ご、めん…なさい。アバーラインさんを………助け、られなかった」
「ッ!!、そんな事を言ってるんじゃない!」
力任せに突き飛ばされ、私は数歩下がって尻餅をついた。
それに我に返ったシエルは、怒りから気まずさへ顔色を変えた。
つと、私から顔を背ける。
「っ、お前は…。何度言えば分かるんだ……」
俯いたシエルは、足元で眠る警部補の亡骸を見下ろした。
小さく、少年の声が零れ落ちる。
「アバーライン…馬鹿な、奴……」
(私は結局、一番救いたい人を終焉に向かわせる手伝いしか出来ない)(だからせめて、彼だけは、と。)(真っ直ぐ未来を見つめる貴方くらいは、生きていて欲しいと思っていたのに……)
(ええ…馬鹿ですね、と、冷たい怒りにも似た声が、静かに私の耳に届いた)
prev †
[
戻る]