その姫、処決1/4
“あ、似合う似合うー。それにしなよ、藍猫とお揃いでさ”
“え!藍猫ちゃんとお揃い?良いんですか!”
“うん。ほら藍猫、翡翠の簪だよ”
“ほわー藍猫ちゃん似合う!可愛いっ!”
“ 、”
“ …!”
「 リユ…!」
「……!?」
沈んでいた意識が唐突に浮上した。
目を開けると、わたしを覗き込むセバスチャンの顔がそこにあった。
「気が付きましたか」
「…っ!……セ、セバスチャ…さ…」
喉が渇いて上手く声が出せなかった。
粗末な寝台で横向きに寝ている体も上手く動かない。
「全く貴女は世話の掛かる子ですね…」
溜息混じりの小言はいつも通り。
違うのは、彼の端正な顔が傷だらけな事だ。
顔、だけではない。
寝台の横に片膝をついて屈んでいる彼のシャツは破られて、露わになった体も傷と血でぼろぼろの様だった。
「っ、此処、は…っ」
ふらつく頭を押さえながら、寝台から上体を起こす。
此処はどこ?
今は何時?
私は…どうなった…?
シエルは……?
「怪我はしていないようですね」
セバスチャンの白手袋の手が、確認するように私の額から頬を滑った。
混乱していた気持ちが落ち着き、思い出す。
「私、気絶して…」
確かあの時、不意に襲った衝撃で気を失ったのだ。
そしてセバスチャンのこの様子と、薄暗いこの部屋。
此処は、ロンドン塔の牢屋だ。
「リユ、時間がありませんから、よく聞きなさい」
真剣な眼差しでセバスチャンが言った。
「貴女の事はアバーライン警部補に頼んであります。尋問はされるでしょうが、今日一日何もされず寝かされていた所を見るに、貴女に危害を加えないと言う約束は守られているのでしょう。
ですから、怖がる必要はありません。ファントムハイヴ家のメイドらしく、毅然としていなさい」
良いですね?と確認する彼に、頷き返す。
セバスチャンは満足気に微笑んだ。
「では、私は戻ります。後の事は坊ちゃんと警部補殿に任せなさい」
「戻るって、っ!」
言いかけた私の唇に、彼の指が押し当てられた。
と、同時に此方に近付く靴音が聞こえる。
「Shi…、お静かに。……そう、良い子ですね」
セバスチャンは外へ繋がる古ぼけた扉を一瞥して立ち上がった。
その際、彼の破れて前の開いたシャツから、傷と共に真っ白な肌が晒されているのが見えた。
部屋の隅に灯された蝋燭に、痛々しい傷痕と妖艶なまでの肌の白さが露わになる。
上から見上げる形で彼のその姿を目にした私は、気まずさと恥ずかしさが込み上げる。
どんな顔をしたら良いかも分からず、思わず目を逸らした。
そんな私に気付いたらしいセバスチャンの小さな笑みが降ってくる。
「では、また後程。」
その言葉に顔を上げると、彼の姿は既に消えていた。
鍵穴に鍵を差し込む音がして、軋んだ音を立てながら扉が開いた。
「良かった。気が付いたんだね」
知らず身構えていた私は、穏やかな表情の警部補を見てほんの少し肩の力が抜けたのに気付いた。
「…、アバー…ライン、さん……」
彼が部屋へ入ると、外に居るらしい見張り番が扉を閉めた。
アバーラインは持ってきた盆の上の水を私へ差し出す。
「さあ飲んで、ゆっくりね。大丈夫、ただの水だよ」
「…ありがとう…御座います」
コップを受け取り、一口含む。
そんな私に、彼は目を細めて笑みを浮かべる。
「後で、何か食べる物も持って来よう」
私の寝台の向かいにある粗末な椅子に座ったアバーライン。
私はコップを両手で持ったまま、彼の顔を見返した。
「君の名前はリユ スズオカ。で、間違いはないね?」
「…はい、」
「シエル君…、ファントムハイヴ伯爵が言うには、君は日本の出身。それも間違いないかい」
「はい、間違いないです。……あの、伯爵は、」
「ああ、彼の事は心配はいらないよ。大丈夫。それに、君も安心して良いんだよ、リユ君」
椅子から腰を上げたアバーラインは、私の前に屈んだ。
「麻薬の事も親書の事も、劉との関係も。シエル君から君の話は聞いたよ」
「シエルさんが…」
私を庇って弁明してくれたのだろうか。
彼の性には合わない筈なのに。
「君は今回の事件については何も知らないし関わってもいないと。そうなんだね?」
「はい。私は、……使用人として、屋敷の客人である劉さんと親しくしていただけ、です」
「うん。そのようだね。シエル君も言っていたよ」
ただ、とアバーラインは顔を曇らせた。
「出来れば君を解放してあげたいんだが…、どうしてもその許可だけは出なくて…。もう暫く我慢してくれるかい?」
「そんなっ、勿論です!それよりアバーラインさん、あんまり私に関わったら…、立場は…っ」
私が此処へ入れられたのは、あの天使が絡んでいるからだろう。
そんな事に彼を巻き込みたくはない。
しかし。
「ありがとう。でも僕の事は心配いらないよ。それよりも、何の罪もない女の子がこんな所にいる方が間違ってる」
私を見る彼の目はどこまでも真っ直ぐだった。
その瞳は温かいけれど、私には、痛い。
「…………私、なんかより。シエルさんのっ…、伯爵のそばに居てあげてもらえませんか…」
目を伏せて、声を絞り出す。
すると暫く間があってから、アバーラインが呟いた。
「君達は…同じ事を言うんだね」
「え?」
顔を上げると、困ったように微笑むアバーライン。
「いや、シエル君にも、自分より君を頼むと言われてね」
今日の朝、彼に会いに行ったらそう言われたんだよ、とアバーラインは続けた。
そこで私は思い返す。
「あの、私って丸一日眠ってたんでしょうか」
キャンディの工場へ向かう途中に足止めを食らい、そこで気絶してからもう一日経っているのか。
鉄格子の窓から見える空は、重く曇った夜空である。
アバーラインは私の問いに頷いた。
「ああ、そうだよ。あの時セバスチャンが君を気絶させて、総監に言ったんだ。手荒な真似をしないと言う事は当然、気を失った少女を無理に叩き起こす事もしないんだろう、ってね」
「そうだったんですか…」
さっき、セバスチャンが私の前に姿を現したのも、気にして見に来てくれたんだろうか。
それともやっぱり、シエルが命じてくれたのだろうか。
でも執事サン…どうやって抜け出したり出来るんだろう…。
やっぱりあのヒト何でもありなんだ…、と思っていると、屈んでいたアバーラインが立ち上がった。
「リユ君、必ず出してあげるから、もう少しだけ待っていてほしい」
私も立ち上がって頷いた。
「はい、ありがとう御座います。でも、シエルさんの事、宜しくお願いします」
頭を下げると、優しい声で
「勿論だ」と返ってきた。
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