甘露五里霧中2/2
藍猫視点今までなんとも思わなかった阿片の匂いが、不意に煩わしく感じた。
一時の悦楽に微睡(まどろ)もうとする人々があちこちで寝転がっている。
丈の短いチャイナ服を着た少女は、そんな彼らを一瞥した。
心此処にあらず、というような濁った瞳は、灰色の英国の空を彷彿とさせる。
(……あの娘とは全然違う)
藍猫の脳裏に無意識のうちによぎったのは、あの少女の笑みだった。
この国では珍しい、黒真珠のような漆黒の瞳。
陰鬱な目とは違う、良く動く柔らかい光りを宿した目だ。
ただ、いつも阿片の煙より厄介な霧が、かかっている雰囲気はするけれど。
感情が読みやすいようで、読み取りにくい目をしているのだ。
「…………。」
藍猫は錘を持つと阿片の煙をくぐり抜けて外に出た。
太陽が西に沈む少し前。
浅葱色のチャイナ服を着た青年が此方に歩いてくるのが見える。
「やあ、藍猫。出迎えに来てくれたのかい?」
柔和な口調とは裏腹に纏う気配は、鋭い。
分かる人にしか分からないけれど、と少女は思った。
近くに寄ると劉の衣から薔薇の匂いがした。
「ねえ、」
抱き寄せられて、顔を見上げる。
彼の瞳がうっすらと開く。
その目は水平線に沈んでいく太陽を向いていた。
「あの子の事、どう思う?」
藍猫はすぐに、自分が思い浮かべていた少女の事だと分かった。
「……何故?」
劉の顔を見上げたまま問い返す。
「はははっ、藍猫まで我に聞くの?」
普段通りの口調とは裏腹に、彼の瞳は珍しく揺らいだ。
「さあ、風邪を引く前に帰ろうか」
此方を見下ろした彼の目は、再び閉じられる。
全ての感情を隠すように。
“目は口ほどにものを言う”そんな諺があるけれど。
劉の場合は、目は口よりもものを言う。だと藍猫は思う。
この鋭い目が開けられる事は、めったに無いけれど。
(…なら、あの娘は。)
太陽は沈み、うっすらと銀色の月が見え始めた。
(彼女の場合、目は口ほどにさえ、ものを言わない。だと思った)
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