粉雪は溶けゆく2/2
「リユ、」
「ち、ちちがいますよ…っ!」
上擦った声を上げるリユ。何が違うのかと問いかけると更に慌てた様子になった。
「だ、っだから別に、手、離さないで欲しいとかそんな事は思ってな、」
「思っていたんですね」
目線が合うよう屈み、セバスチャンは彼女が先程伸ばしてきた方の手を握った。
小さな手の甲を口元に寄せ、そっと吐息を吐く。
「こんなに冷えてしまって…」
少し目を伏せてそこに口付けるとか細い腕がぴくりと震えた。
僅かに体温が上がったのが分かり、悪魔も口角を上げた。
「寂しかったのですか?」
「寂しくなんかないですよ…っ」
分かり易すぎる、彼女特有の強がりの言葉。
「本当に?」
息を詰めた少女にセバスチャンは微笑を返して告げる。
「リユは今、此処にいるのですよ」
小さな白い頬をその手で包めば、リユの顔が熱を持った。お決まりの反応に口元が緩む。
「貴女が何を考えているのか知りませんが、以前坊ちゃんも仰っていたのでしょう?リユの居場所は此処だ、と」
小さな体から肩の力が抜けていく。
戸惑うような黒い目は再び強い光を宿した。
「ほんっと、セバスチャンさんは口が巧いですよねー。さっきまでソーマ王子、散々苛めてきたんじゃないんですか?」
いつも通りの口調にいつも通りの態度、そしていつも通りの少女特有の異世界の気配。
普段と変わらず憎まれ口を叩く彼女の頬を抓った後、主人の命令通り屋敷に連れ戻る。
いつの間にか雪は止んでいた。
「ねえセバスチャンさん」
リユは腕を引かれながら話しかけてきた。
「もしも、それまで何も持っていなかった自分が、どうしても手に入れたいものが出来たとしたら……セバスチャンさんならどうしますか?」
その問いに振り返ることなく、セバスチャンは微かに身構える。
つい数分前までソーマに言っていた事を思い出した。彼女の問いかけは、どことなくソーマやシエルの会話と重なる。
その場にいた訳でもないのに、まるでリユが彼らの話を知っているようだった。
(やはり彼女は……、)
今までの疑問が確信に変わるのを感じながらセバスチャンは裏口の扉を開ける。
思考を切り替え、少女の問いに答えた。
「そうですね。これはあくまでその問いに対する一つの意見としてですが、私なら一度欲したモノは必ず手に入れて見せますよ」
そして、執事らしく付け加えた。
「坊ちゃんの命令なら尚更…ね」
自分は執事。もっとも優先して考えるべきは主の事で、主の命なら自分を殺してでも従うのが執事の美学だ。
それにその美学に従う事こそ悪魔の美学でもある。
しかし――
「セバスチャンさんらしい答えですね」
笑うリユを見て、ふと思った。
絶望に惑い、誘惑に弱く、いとも簡単に落ちてくる人間なら飽きるほどみてきた。
けれどこの少女は、“寂しさ”だけで自身の存在さえ消し去ってしまいそうになるほど頼りないというのだろうか。
何に縋るというでもなく、強がってばかりの裏側には潔いほどの儚さを抱えている。
絶望を前にしても、彼女は泣きもせず叫びもせず、手を伸ばしもせずに、ただ静かに消えていくのではないか。
まるで儚く溶けていく粉雪のように。
そして、悪魔は。
一瞬己の美学も忘れて、その儚さに自分が魅せられている事に気がついた。
(それは、玩具でも猫でもなく)(彼(あくま)の美学を揺るがす、今までに出会った事もない人間だった)
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