その姫、残存1/3
マナーハウスに帰ってきてすぐの事。
いつも唐突に現れる彼にしては珍しく、その日は正式な訪問という形で応接室に通された。
シエルと劉が話し終わるのを部屋の外で待ち、暫くしてから私はセバスチャンに招き入れられる。
「やあ、リユ」
劉は大きな椅子にゆったりと座っていた。
普段と変わらない柔和な声と表情に私は軽く頭を下げた。
「此処に座れ」
劉と向き合う形でシエルの席の隣に腰掛けて、姿勢を正す。
その間を隔てるテーブル。そこには古びた木箱が置いてあった。
その視線に気付いてか、劉が私に微笑みかける。
「それは君にだよ」
「私に?」
「うん。君へ、レンから渡して欲しいって言われてね。開けてごらん」
その言葉に驚きながらも、シエルの方を窺い見ると小さく頷き返された。
私は手を伸ばしてそっと古びた木箱を撫でる。
そのまま蓋をゆっくり持ち上げた。
クラレンスが私に渡して欲しいと言っていたもの。
箱に入っていたのは、一丁の黒いピストルだった。
古めかしい形だが、漆黒に輝く様はどこか妖しい美しさを持っている。
「ほう…、これは…」
それまで黙って控えていたセバスチャンが声を漏らした。
意味ありげなそれにシエルが問い掛ける。
「何か知っているのか、セバスチャン」
「私も直接眼にするのはこれが初めてですが、恐らくこのピストルは悪魔のピストルと呼ばれるものでしょう」
「あ、あくまのピストル…!?」
如何にも曰く付きっぽい名前に思わず声を上げた。
一方シエルはからかうような口調で言う。
「まるでウェーバーの魔弾の射手に出て来そうな名前だな」
魔弾の射手と言えば、ドイツオペラの作品の一つだった筈。
すると執事は主人の言葉を肯定するように頷いた。
「ええ。坊ちゃんの仰る通り、このピストルにはその魔弾が籠められているのですよ」
セバスチャンは顎に手を添えながら木箱の中のピストルを覗き見る。
「恐らく弾は六発…。使用した形跡はない様ですし、どうやら居酒屋さんは一度もお使いになっていないのですね」
「ねえ、執事君。その“魔弾”ってなんだい?」
劉が興味深そうに問い掛けてきた。
セバスチャンは瞳を細めてその問いに答える。
「魔弾とは悪魔が作ったとされる、言わば呪いの銃弾です。
その弾を使えばどんな的も必ず狙い通りに命中させる事が出来ますが、その性質は悪魔そのもの…。時に気まぐれに、射手の最も望まぬ方向へ当たってしまうと言われているのです」
「だが、それはもともとドイツの民話か何かだろう。本当にこのピストルがその魔弾の銃だと言う根拠はあるのか?」
胡散臭いと言わんばかりのシエルの視線に、執事は苦笑を浮かべた。
「はい。確かに、民話に登場する魔弾の話は人間の作った御伽噺です。
しかし、本来実在する悪魔のピストルは狙い通りの命中率と気まぐれさの他に、人ならざる者を仕留める事が出来るという力を秘めているのです」
そしてまた、そのピストルが持つ禍々しい力は、人ならざる者だけが敏感に感じ取る事が出来るのだと燕尾服の執事は続けた。
「但し、実際に人でないものを撃ってみない事には、その威力は分かり兼ねますが…。」
「人でないもの、か」
執事の言った事を反芻しながらシエルは口角を吊り上げた。
セバスチャンも小さく微笑む。
その間に劉の声が割って入った。
「へえー、なんかよく分からないけど、とにかくその“悪魔のピストル”って言うのが、レンがリユに渡したいものだったんだね」
試しに構えてみたら?と楽しそうに彼は言った。
私は恐る恐るピストルを見る。と、頭上からクスリと笑い声が落ちてきた。
「心配しなくともピストルは噛みついたりしませんよ?」
「分かってますよ!それくらいっ、」
木箱で眠る漆黒の銃に手を伸ばす。
片手で持つと見掛けよりずっと軽かった。
もしかすると普通の拳銃より軽いかもしれない。
そう思う程に、この滑らかで冷たいピストルは私の手によく馴染んだ。
思うままの命中率と、人ならざる者を倒す事が出来るピストル…。
それが本当なら、今後の私には凄く有り難い武器になる。
例え、恐ろしい程の気まぐれさを備えていたとしても。
ただ、私が常に銃を所持する事の許しは出るだろうか。
「あの、シエルさん…、」
隣に座る幼い伯爵の顔色を窺う。が、察しの良い少年は私の言いたい事を解っていたようだ。
「…ああ、お前がピストルを持つのは構わない。どうやらそれは使い方を習う必要もなさそうだからな」
それからシエルは悪戯っぽい顔になり、付け加えた。
「それに本当に人でない者に効くのか一度僕も見てみたいものだ」
「おやおや」
そんな隻眼の主の視線を、燕尾服の執事は優美に受け流したのだった。
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