その姫、飛花3/3
ウィリアムが言ったように、もしクラレンスが、サクラさんの面影を私に見ていたなら。
「クラレンスさん…私、頑張りますから…。これから先も」
今までありがとう、最後にそう言って墓石に背を向けた。
その途端。
「うわ…っ!!」
仰け反って叫んでしまった。
「騒がしいですよ。仮にも墓の前で」
「お、お、音もなくっ、後ろに立ってる方が悪いんです…!」
私の背後に立っていた長身の執事を見上げる。
「いつからいたんですか!」
「貴女が屋敷を抜け出した時から」
さらりと言う彼の表情が、してやったりな感じに見えるのは私の目の錯覚だろうか。
「盗み聞きとは卑怯です」
「人の目を盗んで外へ抜け出す方が言う台詞でしょうか?」
「う…っ」
また、言い負かされた。私一生この執事さんには口で勝てる気がしないよ。
「居酒屋さんへの挨拶はすみましたか?」
「…はい。もう、大丈夫です」
「では行きましょう」
セバスチャンは歩き出し、私も後に続いた。
すると森を抜ける少し手前で、彼が口を開いた。
「一つ、訊いてもよろしいでしょうか」
「何をですか?」
立ち止まると、セバスチャンの紅茶色の目が此方を見据えていた。
「貴女は随分、“サクラさん”という方に拘っているように見えましたが、一体どういった方なのですか?」
鋭い質問だと思った。
拘っている、か…。
暫く考えてから、私はもっとも適切だと思う言葉を選んだ。
「私の一番大切だった人です」
その答えにセバスチャンは目を丸くした。それから、ゆるりと口角を上げる。
優しささえ感じさせる、けれど肌寒くなるような微笑だった。
薄い唇が言葉を発する瞬間、私は嫌な予感がした。
そして彼は残酷な言葉を吐く。
「もう、お亡くなりになられているのですね」
まるで全部見透かされたみたいな口調に、不快感が込み上げた。
「リユ?」
それを察してか、セバスチャンは私の前に膝をついて屈み込んだ。
「すみません。気に障ったようですね」
「いえ…。そんなんじゃないです」
なんとか返事をした。
「サクラさんが、亡くなってるのは、本当ですから」
目を合わせずに声を絞り出す。
すると、可笑しいとでも言うように彼は笑みを零した。
「では、もうこの世にいないモノに貴女はいつまでもしがみついている訳ですか」
「!!」
弾かれたように顔を上げれば、紅く揺らめく目がすぐそこにあった。
「“サクラさん”だけではないでしょう。一体、貴女は何人引きずっているのです」
長い指が私の顎を掬い上げた。
此方に向けられた紅い瞳は嘲笑の色に濡れている。
途端、カッとなった私はセバスチャンの手を振り払った。
そして、間近にある整った容姿目掛けて掌を振り下ろす。
しかし。
「残念です…、が。貴女に、私は叩けませんよ」
私の手首は易々と掴まれた。睨み付ける私に、彼は余裕な様子で視線を返す。
「……っ!」
ねじ上げられる痛みに耐えきれず顔を歪ませると、セバスチャンはすぐに手を離した。
そして今度は、そっと私の腕を掴む。
うっすらと赤くなった手首に、白手袋の指が這わせられた。
まるで患部を診るかのように。
「痛みますか」
「離して下さい…!」
屈辱的、とはこういう事を言うのか。
さっきまで自分を馬鹿にしたように扱った人物に優しくされるのは、どうしようもなく惨めに思う。
それに何より悔しかった。
「リユ、貴女は“サクラさん”ではない」
セバスチャンは唐突に告げた。
その言葉は、痛いほど胸に突き刺さった。
「貴女は“リユ”でしょう。今感じている痛みも、想いも、腹立たしさも…。すべて貴女の感情でしょう?
他人の影を求めているばかりでは、何も手にする事は出来ませんよ」
そう言ったセバスチャンの紅茶色の目は、私だけを真っ直ぐ見つめていた。
「一体貴女は何がしたいのです。何が欲しいのですか?」
その質問に身構えてしまった。
本当に、セバスチャンには全てを見透かされてしまいそうで怖い。
「私は……、ただ、そばに居てくれる人の笑顔が見たいだけです」
「ですが、それもずっとと言う訳にはいかないでしょう」
「そんなことは、…分かってますよ……」
ずっと、なんて贅沢は望んでいない。
ただ、サクラさんのように、いつも周りを笑顔にする事が私の憧れなのだ。
人の笑顔が好きだと言っていた彼女の思いを継ぎたい。けれど、この思いは私自身の本当の願いとは言えないのかもしれない。
私は今まで“憧れ”ばかりを追ってきているから。
セバスチャンはきっと、それを指摘しているのだろう。
でも。これが今の私の生き方だ。
そしてこれから先もきっと変わらない。例え本当の私が何の信念もない空っぽな人間でも。
自分自身を変えられる程の力を、私は持っていないのだから。
「リユ。一つ覚えておきなさい」
私から手を離し、セバスチャンは立ち上がった。
「貴女の行動が坊ちゃんの意向に反し、また、それが障害となり得るなら。私は情けをかける事はしません」
真剣に告げられ、私は無意識のうちに拳を握りしめた。
背の高い彼を見上げ、ゆっくりと頷き返事を返す。
「それは勿論…覚悟の上、です」
セバスチャンは“執事”として、私は“サクラさん”の面影を追って。
目に見えない境界線が引かれた気がした。
(みんなの笑顔を見ていたい)(でもそれは、いつか終わりを向かえる人間と悪魔の主従関係がある限り不可能なのだ)(ねえ。セバスチャンさん気付いてる?)(私が言ったみんな、の中には貴方だって含まれてるんだよ)
(遅かれ早かれ、全てはいずれ花のように散っていく。理解はしているけれど、それはあまりに切なくて)
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