眠り姫は夢から醒めたpart2 | ナノ
その姫、飛花2/3

翌朝は、英国では滅多にないような天気の良さだった。

早朝の霧に混じって日の光がきらきらと輝く。
事件解決の朝には相応しいのかもしれない。

昼前には、村を出る事になるだろう。けれど、その前に。
私は屋敷を脱け出して森へと向う。

布を当ててある首筋も、地面に打ち付けた背中も痛むけど、それはどこか現実味がなくて、ただ、冷えた空気の肌寒さだけが心地良い。
聞こえるのは私が土を踏む音だけ。
昨夜の事を思い返しながら足早に進んでいく。


昨日ウィリアムが去ってから、私はその場から動けなかった。
座り込んだままの私を見兼ねてか、シエルは執事に命じたのだ。此処に墓を建てろと。


開けた草地に、静かに建っている小さな墓。そこにはクラレンス ミルズと彫られている。

「結局、何も訊けなかったな…」

彼本人の事も、サクラさんがこの世界に来ていたという事も。
全て曖昧なまま終わってしまった。

物言わぬ墓石に話しかけても意味がないのは、一番よく分かっているけれど。

「どうして、こうなるの」

私の周りにいる人は、いつも。


“お前はどこまで甘いんだ!”

蘇る、昨夜言われた言葉。

「そう…私は、いつだって……」

いつだって、自分に甘いんだ。

誰かが傷つくのは見たくない。でもそれは結局私のエゴでしかない。
それを分かっているから、いつも不安定な行動しか出来ない。

マダムレッドの時もそうだった。


その時、後ろから革靴が地面を踏む音が聞こえた。

もう見つかったのかと諦め半分に振り返る。しかし後ろに立っていたのは、思い描いていた執事ではなかった。

「……どう、したんですか?もう帰っちゃったんだと思ってました」

数歩先の距離にいるのは真っ黒なスーツを着た死神。
ウィリアムは神経質に眼鏡のフレームを上げた。

「私は一言も帰るとは言っていません」

彼はそう言って、クラレンスの墓の前までやって来た。私の隣に並んだ黄緑色の目が、ただ黙って墓石を見下ろしている。

その時、この死神がサクラさんを知っていたのだと言う事を思い出した。
そういえば、彼なら全てを知ってるのかもしれない。クラレンスの事もサクラさんの事も。

しかし、私が訊ねる前にウィリアムがぽつりと言う。

「彼を呼んだのは無駄になってしまったようです」

「え?」

死神の視線につられて背後を振り返る。
その先にいたのは、白銀の髪の男性だった。

「葬儀屋さん……!?なんでっ」

「久しぶりだねぇ」

キヒヒッと不気味に笑いながら、アンダーテイカーは墓の前までやって来た。
そこへ屈むと、冷たい墓石を長い爪で撫でる。

「この子には少ーし思い入れがあってねぇ。彼に無理を言って前々から頼んでいたんだよ」

「葬儀屋さんも、クラレンスさんと知り合いだったの?」

屈んでいる彼を見下ろしながら訊ねた。

一瞬の間を空けて、アンダーテイカーは傍らに立つウィリアムに顔を向ける。
銀髪の奥から視線を受け、ウィリアムは眼鏡のフレームを上げた。

「小生よりも、この死神君の方がずっと詳しいと思うよぉ」

知りたい事は彼に訊いてごらん、と言いながらアンダーテイカーは立ち上がる。

そして私に向き直った。

「ねえ、メイド君。人の命はとっても儚い。舞い散る花弁みたいにね。でも、とっても重いものでもある。それをよーく覚えておくんだよ」

すう、と彼の爪が頬を滑った。

私が頷くと、彼は満足げに笑い、背を向けて朝の森の中へと消えていった。

「聞かせてくれますか?」

静かになったその場に、私の声は響いた。
ウィリアムは此方を見下ろしてから溜息を吐いた。

「良いでしょう。但し長居は出来ませんから手短に。」

そして、死神はある吸血鬼と少女について語り始めた。


「随分昔の事です。私が魂を回収する予定だった一人の男がいました。彼は吸血鬼でしたが母が人間だった為に、人と同じように死神の管理する運命があった。しかしある時、彼の死の運命が消えてしまったのです」

「それがクラレンスさん?」

「ええ。そして私は調査を命じられた。そこで、彼と共に暮らしている、異界からやって来た少女の存在を知ったのです。
そしてその少女の存在が、クラレンス ミルズに影響を与え、運命を書き換える力を持っていた事も。
……彼女の名はサクラ。それが、貴女の伯母なのでしょう」

少し口を噤んでから、ウィリアムは遠くを見ながら言った。

「本来なら私は、運命を変えてしまう存在である彼女の事を報告し、殺さなければならなかった」

けれど、出来なかった。と呟きが聞こえた。

「上へ報告する事も殺める事も。私は何もせず、ただサクラが元の世界に帰るまで傍観していたのです」

ふっと溜息を吐き、黄緑の目が墓石を見つめる。私もつられて其方に視線を落とす。

「ですから私は管理課へ移ってからも、クラレンス ミルズの魂だけは自分で回収すると決めていました。あの時、何もしなかった責任はとらなければならないと。
しかし、それから長い間、彼に死は訪れなかった。ですが…」

「私が現れて、クラレンスさんの運命が変わった…?」

予想は当たったらしく、ウィリアムは頷いた。

「ええ。それまで静止していたかのような彼の死の運命は動き出しました。そのきっかけは貴女なのでしょう」

「じゃあ、私のせいで…」

「いいえ。影響を与えたのは貴女ですが、最後に死を望んだのは彼自身です。貴女が殺した訳ではない」

きっぱりと言い切って、ウィリアムは私を見つめた。

「貴女の存在は彼のねじ曲がった運命を正した。そして最後に、クラレンス ミルズの願いを叶えたのでしょう」

「クラレンスさんの願い?」

「ええ。きっと彼は安らかに眠れた筈です。彼女の面影を見られたのだから…」

それまで冷たい響きを持っていた彼の声が柔らかくなった。

「貴女は、サクラと血は繋がっていないと言いましたが、どこか…、似ていますね」

「ウィリアムさん、」

垣間見えた懐かしむような表情は、すぐに引き締まった。

「ですが未だに、この世界と異世界についての関わりや影響は謎だらけです。帰り方も訪れ方も、まるで唐突で解らない。それらについての調査はこの先も続けますが、貴女に一つ忠告があります」

彼は眼鏡のフレームをデスサイズの先で器用に持ち上げた。

「悪魔には気を付けなさい」

「え?悪魔ってセバスチャンさんの事ですか?」

「彼に限らず、です。貴女のような特異な体質の持ち主はどう利用されるか分かりませんから」

「もしかして、心配してくれてます?」

顔を覗き込むと、ウィリアムの眉がピクリと動いた。

「心配ではありません。忠告です」

「ウィリアムさんって意外と優しい人なんですね」

笑いながら言うと物凄く不機嫌な顔をされてしまった。

「……とにかく。私の調査で、貴女が元居た世界に帰れる方法が分かれば連絡はしましょう。それまでは、大人しくしている事です。貴女がこの世界に害を為すと分かれば、私は狩りに行きますから」

「え!?いやですよそんなのっ!狩りは勘弁です!」

「それは貴女次第です」

冷たく言い捨て、ウィリアムもその場から去っていく。私はその黒スーツの背中に声をかけた。

「ありがとう!ウィリアムさん!」

彼は素っ気なくだが、一度だけちらりと私を振り返ってくれた。
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