その姫、冷雨1/3
雨は気味が悪いほど静かに降っている。
頬を伝う雫の冷たさを感じながら、私はクラレンスを探していた。
どこへ行ったかなんて分からないのに、私の足は勝手に進む。
森の中を突っ切ると突然開けた場所に出た。
「あ………、」
その場所の中心に一人佇むのは金髪の青年。
彼の足下には、血溜まりの中、小さな野兎が何匹も横たわっていた。
いざ目にすると、信じたくもない光景だった。人を助けるのが仕事だと言っていたクラレンスが、生き物を簡単に殺すなんて。
「どうして、こんな事…」
「俺は此処から離れろと言った筈だぞ。リユ」
「クラレンスさん、」
透き通るような空色の瞳が私を見つめる。
「私は、まだ何も聞いてませんよ」
向き合うと、彼は小さく口元を歪めた。
「聞きたいのは俺の正体か?」
ストレートな問いに私は頷き返す。
「貴方は、人じゃないんですか?」
「単刀直入だな。……ああ。俺は人間じゃないよ」
「それじゃあ…、」
「彼は吸血鬼ですよ」
艶のある低い声が耳を打つ。
振り返ると、燕尾服の執事がそこにいた。
「セバスチャンさん…シエルさん…」
「大人しくと言った筈だぞ」
セバスチャンの背後でシエルが私を見据える。その後ろでは黒衣の死神が黙って此方を眺めていた。
「クラレンス ミルズは、以前僕の屋敷に忍び込みお前を襲おうとした犯人だ。それが発覚し、僕は劉にそいつの情報を追わせていた」
シエルの言葉に私は小さく息を呑む。
血溜まりの中に佇むクラレンスが感情の読み取りにくい表情を浮かべた。
「ああ…あの時は悪かった。あの頃から俺は自分を抑え切れてなかったらしい」
闇夜の中、空色の瞳が天を見上げる。そのまま彼は言葉を続けた。
「もうすぐ、俺はまたすぐに喉が渇く。動物の血じゃ何匹飲んでも空腹は収まらないんだ。そうなったらたぶん、俺は我を忘れてあんた達に襲いかかるだろう。もしかしたらこの村ごと潰すかもしれない」
「…そんなことって、」
動揺する私にクラレンスは寂しげに笑いかけた。
「だから、その前に…」
彼はセバスチャンに視線を移す。
冷たい紅色の目と向き合い、金髪の吸血鬼は告げた。
「俺を殺してくれないか」
「え……」
驚いた顔になったのは私とシエルだけ。
静まり返った辺りは、大して降ってもいない雨の音だけが大きく聞こえた。
「愚か、ですね」
濡れた地面を、黒の革靴が一歩踏み出す。
「日の光に拒まれ永遠の闇の中、影として生きる吸血鬼…。私も数回お目にかかった事があります。しかし、貴方のように気配の薄い方は初めてですよ、クラレンスさん」
「俺は半分人間の血が混じってるんだよ。だからどうにも、吸血鬼の常識とも人間の常識とも違うらしい」
現に昼間も生活してたしな、とクラレンスは苦笑した。
そんな彼にセバスチャンは冷たく返す。
「そうですか。それでは随分生きにくい日々を送られた事でしょう。僭越ながら私が、終わらせて差し上げますよ」
悪魔が地面を蹴るその瞬間。
私が止めるより先に少年の声が響いた。
「待てセバスチャン!まだ殺すな!」
主人の声に悪魔は踏みとどまる。
シエルは私の側まで歩み寄り、碧の隻眼で前を見据えた。
「待て。まだ奴には聞きたい事がある」
「俺に聞きたい事?」
「ああ。お前がリユを狙う理由だ」
その場に立ち尽くす吸血鬼から目を離さずシエルは言った。
「何故リユの血を狙っていた。お前が彼女に拘っていた理由を話せ」
「そうか。確かにそうだな」
一人納得したようにクラレンスは頷く。
「俺は無意識のうちにリユに拘っていたんだな…」
「どういう、ことですか?」
私が問うとすぐに答えが返ってきた。
「たぶんあんたは似てるんだ。俺の、忘れられない人に」
その台詞とその表情に、私の記憶が不意に甦った。
“忘れられない人がいるの”
昔そう言っていた彼女と、クラレンスは同じ顔をしていた。
クラレンスも、私の記憶にある彼女も。
二人とも悲しそうな笑みを、浮かべていたのだ。
「黒髪の東洋人ってだけなのにな。どうしてだか、あんたを見てるとアイツを思い出す」
「その人が、サクラ…さん?」
そうだよ、と頷く彼。
私は不意に泣きそうになった。
こんな事ってあるんだろうか。
でも、クラレンスの言う“サクラ”と私の知ってる“サクラさん”はきっと同じ人だ。
声が震える。
それでも私は口を開いた。
「クラレンスさん。私は……サクラさんの、姪、です」
血の繋がりはないから似てなくて当然だけど。
続けてそう言ったが、クラレンスは目を丸くした後すぐに首を振った。
「それはあり得ないよ。サクラと会ったのはもう、百年以上前だ。それにアイツは…」
すると、それまで傍観していたウィリアムが突然割って入った。
「有り得なくもありません」
「どう言う事だ?」
状況についていけずシエルは首を傾げる。
幼い伯爵を一瞥しウィリアムは話し始めた。
「数ヶ月前、リユ スズオカは彼女と同じく異世界から来た人間だと判明しました。
ですから、此方の世界の流れと彼女達の世界の流れが違ったとしても可笑しくはありません」
「なんだって…?リユが…サクラの世界から来た人間…?」
クラレンスは今度こそ本当に驚いていた。
けれど私も負けないくらい驚いた顔で死神を振り返る。
私の思っている事を察したのかウィリアムが此方に向き直った。
†
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