その姫、寒村2/3
夕食の時間も終わり、私は村長の奥さんを手伝って洗い物をしていた。
けど、頭の中は今回の事でいっぱいいっぱいだった。
シエルが劉から聞いたこの仕事は、女王からの命令で動いてる訳じゃない。
それに、これは物語通りの話では、ないのだから。
確かに今までも、テレビで観ていたような事件が続けて起こっていた訳じゃなかった。
私の知ってる物語と物語の間には時間があって、所謂日常的な時間もちゃんと流れていたのだ。
でも、今回は…。
「ご親切にありがとうございます」
不意に声を掛けられて私は皿から顔を上げた。
横で食器を磨いている奥さんが、こっちを見て微笑む。
思考を切り替え私も彼女に向き直る。
「いえいえ!これでもメイドですから」
「とてもお若いのに立派だわ」
柔らかな口調でそう言われた。
彼女は目じりの皺を優しく緩ませる。
おばあちゃん、というものを私は知らない。
でももし居たとしたら、こんな感じなのかな。
「よろしければ、この後ご一緒にお茶でも如何かしら」
「ほんとですか!?もちろん、是非!」
けれど結局、また家畜が殺されたと村人達が話しに来て、お茶の時間は無しになってしまった。
「すぐに戻る。お前は此処で大人しく待っていろ。…いいな。大人しくだぞ」
「分かってますよーなんで二回も言うんですか!」
シエルの後ろでセバスチャンがクスリと笑う。
「リユの分かってる、は信用ならないのですよ」
「なっ、失礼な…!」
漆黒の執事を従えて、小さな伯爵は村長と事件現場に向かった。
その背中を見送りながら、ふと思う。
もしも、今回の事件さえ日常の一つに過ぎないなら、問題はどこにもない。
でも、仮にそうだとしたら。
それはそれで疑問が残るのだ。
小さな村の奇怪な事件。
確かに気味の悪い事件だけど。
わざわざ女王の番犬直々に、汽車を乗り継ぎ半日かけて訪れる程の事だろうか。
“大事になる前に片付けた方が楽”
シエルはそう言ったが私は納得出来なかった。
部屋に戻っても落ち着かずにそわそわしてしまう。
が、真っ暗な夜の窓を叩く音に私は驚いて振り返った。
「え、だっ、誰ですか…!」
ガタガタと揺れて、窓が開く。
崩れ落ちるように倒れ込んできたのは血に濡れた青年だった。
「え…、う、そ」
うつ伏せだった青年が身を起こす。
血の付いた、けれど血の気のない青白い顔に、空色の瞳。
「な、……クラレンス、…さんっ!?」
「やっと会えたな」
端正な顔の美青年はゆるりと口角をつり上げた。
「ずっとあんたに会いたかった」
「どっ、どうして此処に、って言うか血…!何があったんですか!?」
立ち上がるクラレンスに慌てて駆け寄った。
「毎回毎回、普通に会えなくて悪いな」
「そんな事はどうでも…っ、それより怪我は!?」
「ああ、心配ない。これは俺の血じゃないから」
それよりも、と彼は真剣な顔付きで私を見下ろす。
「どうして此処に?」
「あ…、シエルさんの仕事で…」
「ああ、なるほどな。………餓鬼と悪魔がオレを狩りに来たってか」
「 え?」
クラレンスの口調と雰囲気が一変した。
本能的な危機感に、私は思わず後退る。
彼はそんな私に向かって冷笑した。
「前にも言っただろう?怖がらなくていいって」
「………っ!」
あの時と同じだった。
目の前のクラレンスは、エリザベスが誘拐されたあの夜と同じ様子だ。
人間とは違う、人ならぬ威圧感。
「本当に久しぶりだよなぁ?……サクラ」
その名前に、後退りする私の足が止まった。
「今、なんて……?」
クラレンスはその場に立ったまま再度同じ名を口にした。
「どうしたサクラ?まさかオレの事、忘れたなんて言うのか?」
確かに、彼は“サクラ”と言った。
私がリユだとは分かっていないような口振りで。
でも、そんな。
「なんで…、知ってるんですか…」
その、名前を。
有り得ない、有り得ない…。
だって、私一度もクラレンスさんに、話した事なんてないのに。
でも、でもその名前はあの人の…。
「 !」
困惑の中顔を上げると、いつの間にか目の前に彼が立っていた。
「なあ?もう良いだろう」
伸びてきた彼の手をとっさに振り払った。
クラレンスとの間合いをとろうと隠していたナイフを取り出す。
が、私はあっさりナイフを持つ手首を掴まれた。
握りつぶすような力に、手からナイフが滑り落ちる。
「死にそうなんだよ。助けてくれるよなあ?」
「ッ!?」
耳元で囁かれ、彼の舌が首筋を這う。
肩を抑えつけられて、動けない。すると不意に、首に何か刺さるような痛みを感じた。
その、瞬間。
「彼女を離しなさい」
クラレンスの入ってきた一階の窓から、突如人影が飛び込んできた。
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