眠り姫は夢から醒めたpart2 | ナノ
その姫、趨向1/3

胸騒ぎの正体は、私の予想もしていなかった形となって現れる事になった。


品評会までの一週間、セバスチャンとソーマは厨房に籠もりっきりだった。
厨房近くの廊下は常に、食欲をそそるスパイスの香りが漂っている。

劉は品評会の時にまた来ると言って数日前に帰り、使用人のみんなと私は普段通りに屋敷の仕事をしていた。

けたたましい破壊音も叫び声も聞こえてこない。
以前みんなに渡した青いリボンの効果が出ているのだろうか。
そんな事を思いながら、使用人室で昼食のカリーを食べていた。

「セバスチャンさん…、アグニさんに勝てるカリー出来たかなぁ…」

品評会は明日なのに、とスプーンを銜えたフィニは心配そうな顔をしてる。
向かいに座っていたバルドは食事を終えて煙草を吹かしていた。

「いんや、まだ苦戦してるみてーだぞ」

「王子様をうならせるようなカリーって大変アルネ…」

「こんなに美味しいのになぁ」

「ま、セバスチャンならなんとかするだろ!アイツはスーパーマンだからな。なっ、オチビちゃん!」

此方を見てバルドはニカッと笑った。

「ですね!きっと大丈夫です。だってセバスチャンさんですよ?」

自信あり気に答えると、みんなの顔がぱっと明るくなる。
タナカさんは湯飲みを持ったまま、穏やかに笑っていた。

「よし!そうと決まればオレらは任された仕事頑張るぞ、野郎ども!」

「「「おーッ!!」」」

なんか良いなぁ、こういうの。
バルドもフィニもメイリンも、タナカさんも。一緒に居るとすごく落ち着く。

此処に来てからの私には確かに、大切なものが増えていた。


嫌な予感が的中したのは、玄関先の雪をフィニと一緒に落としている時だった。

「ぬぅ…っ、雪、重い…!」

「あははっ、良いよリユ、力仕事は僕がするから」

雪の乗ったシャベルを彼は軽々と動かす。

「そうだ、後で木の上の雪も落とすから、箒持って来てくれる?」

「了解です!ごめんね役立たなくてー」

屋敷の裏口へ回ろうとしたら角を曲がる前に呼び止められた。

「リユ!僕、役に立たないとかそんな事思った事ないよ。リユが此処に来てくれて、毎日楽しいんだ」

…え、そんな笑顔で言われたらリユちゃん照れるんですけど…!

「あ、ありがと、私もフィニと仲良くなれて嬉しいよ」

私と違ってフィニの言葉は本当の意味でストレートだ。
真正面から投げかけられた笑顔に、私は上手く返せただろうか。

フィニに手を振ってから角を曲がって裏口へ向かう。

「あれ?箒がない…、」

裏口に入ってすぐに置いてある用具ロッカーは空っぽだった。

「可笑しいなー、どこやったんだろ」

「お探し物ですか?」

「あ、はいー…ちょっと箒を、……え、」


開けっ放しの裏口の扉。

その外に立っている人物が私に笑いかけた。

「お久しぶりです。リユさん」

真っ白な雪景色の中、それに負けないくらい綺麗な白を纏った清廉そうな女性。

「アン…ジェラ、さん……」

どうして、今、此処に。
これじゃあ、物語の流れが違うじゃないか。

微笑む女性は、ハウンズワース村のバリモアカンスルで働いていたメイドだった。

「プ、プルートゥなら、…此処にはいません、よ…」

鼓動が速くなるのを感じながら拳を握りしめる。
アンジェラはクスッと笑って一歩前へ踏み出した。
私は、一歩後退る。

「今日はプルートゥに会いに来た訳じゃないんです。リユさん、そんなに怖がらないで」

私は何もしないわ、と上品に小首を傾げる。

「じゃあ、何しに…来たの」

「貴女に会いに来ただけよ?以前頂いた置き土産のお返しを持ってきたの」

私が瞬きする一瞬の間に彼女は何処からか真っ白な薔薇を取り出した。

「これを貴女に。」

差し出される白薔薇。

どうやらアンジェラは屋敷の中に足を踏み入れる気はないらしい。
私は彼女から真っ白なそれを受け取った。
満足そうな顔をして彼女は手を引く。

「意味は分かるかしら?」

「当然、です」

「それでは、また近いうちにお会いしましょう?」

アンジェラが微笑むと、雪と一緒に突風が吹き込んだ。

「……っ!!」

「近いうちに、ね…」

吹き付ける雪と風に、私は目を瞑って腕で顔を覆った。
ほんの数秒で風は収まったが、目を開けるとそこにはもう彼女の姿はなかった。

残されたのは、白い薔薇の花だけ。

私は、彼女から差し出された薔薇を見つめる。
今まさに手折ったばかりの凛とした薔薇と違い、この白薔薇の花びらは元気がない。

萎れた、白い薔薇……。

フランスでは、純潔を失うくらいなら死んだ方がマシ、と言う意味がある。

「私に死ね、…って?」

要は、アンジェラにとって私が邪魔な存在だという事。
少なくとも、今は此処で暴れにきた訳じゃなかったんだと安堵した。

そんな事になったら、私の知ってるこの世界の流れが変わってしまう。それは何よりも、恐い。

「あー、もうほんっとびっくりし、」

バァンッ!!

「ぎゃぁああ!?」

後ろのドアが勢い良く開いて私は飛び上がった。

「ッ!?、なんだ。セバスチャンさんじゃないですかぁー」

「今、此処に」

紅茶色の目が開けっ放しの裏口を睨む。
私ははっとして、慌てて扉を閉めた。

「すいません、箒探してたらいきなり風が入って来ちゃって!」

「風?」

「そう風です!全くやんなっちゃいますよねー。あ、私は平気なのでセバスチャンさんは早く戻って下さい」

カリー作りに専念しなきゃ、と燕尾服の背中を押して廊下へ追い出す。

「本当に大丈夫ですから!それじゃあ!」

バタンッと彼の目の前でドアを閉めた。厄介な展開だけは避けたい。

「リユ」

扉越しに、耳に心地良い低い声が聞こえた。

「何かあった時は必ず私を呼びなさい。良いですね?」

「当たり前じゃないですか。私、セバスチャンさんの事めっちゃ頼りにしてますよー?」

「ふざけるのはやめなさい」

いつになく厳しい声だった。

「私は坊ちゃんから貴女を守るように言い付かっています。ですから、」

「だから私に何かあったら、セバスチャンさんが面倒なんですよね。分かってますよ。ちゃんと心得てますから」

「……。なら、良いんです」

革靴の音が遠ざかっていく。
ほっとしていると、裏口の扉からフィニが入って来た。

「ごめんリユ〜!僕、箒持って来てたんだ!」

フィニは箒を手にして謝る。

「探したよね?ごめん!」

「いいよ全然。気にしない気にしない!」

さあ行こうと言って私達は表に戻る。

私は天使からの白薔薇を雪の上に捨てて、踏みつけていった。

「失礼過ぎるし。リユちゃんは純潔だっつーの」

「ん?何か言った?」

「ううん。さ、仕事しましょー♪」

その後は何事もなく。

翌朝は天気の良い品評会を迎えた。
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