その姫、残夢2/5
「セバスチャン、」
シエルが不意に背後の執事を振り返った。
主人の意図が分からず、彼は小首を傾げる。
が、シエルは構う事なく小舟の端に寄って、セバスチャンに道を空ける形をとった。
「お前もリユに何か一言くらいあるだろう?何だかんだで、一番世話もしていたからな」
「いえ、私は…、」
シエルは意地悪く笑って、此方にも視線を向けてくる。
「リユもだ。いつもセバスチャン相手に何かと戦っていただろう。……貸してやるから好きにしろ」
「えっ…シ、シエルさん…!?」
セバスチャンを私の前にやると、シエルは執事の後ろに行き私達に背を向けてしまった。
セバスチャンは小さく溜息を吐きながら、「お気遣い傷み入ります」と後ろの主に呟く。
「一言くらい、で、済めば良いのですが……」
「う…っ、」
紅茶色の目に呆れた様な色を映して彼は私を見下ろした。
「貴女には、本当に手を焼かされました」
「……はい、」
「存在自体奇想天外でしたが、行動も言動も思考回路も同じく奇想天外でしたし、好き勝手する割には脆弱で、脆弱な癖にいつも無茶をしようとする」
「……そ、そうですか…?」
執事の辛辣さに涙も引っ込んだ。
思わず俯いた私の頭上から、更に言葉が降りかかってくる。
「からかい甲斐のある馬鹿なのかと思いきや、妙な所で勘が働き、時々此方を食った様な煙に巻く態度は厄介でしたね」
「か、からかい甲斐のある馬鹿って……」
「警戒心があるのか無いのか、誰にでも懐くような態度は正直面白くありませんでしたし、すぐ人でない者に目を付けられるのは本当に面倒でしたよ」
「…………」
嗚呼、ですが、と、セバスチャンは唐突に声を和らげた。
「楽しかったですよ、貴女の居たこの一年は。」
「……!」
頭を上げた私に、彼は微笑んでいた。
嘲りも侮蔑も、妖しさも冷たさも混じらない、ただただ純粋に、綺麗な笑顔で。
その時、セバスチャンの後ろでシエルが声を上げて笑った。
「リユ、良いのか?言われ放題だぞ?」
「そ、それは…っ」
正直返せる言葉が見つからないのだ。
けれど背を向けたままのシエルが、肩を震わせ笑いつつも続ける。
「貸してやると言っただろ。好きにしろ」
そうは言われても……。
ただ、やられっぱなしはやっぱり嫌だ。
最後の最後に、からかい甲斐のある馬鹿とか言われたままなんて…!
「セバスチャンさん、」
「はい?、……っ!!?」
私は腕を伸ばして燕尾服の胸元を掴んだ。
そして勢い良く自分の身体ごと横に傾けて、彼を川に引っ張った。
セバスチャンが踏み留まれば小舟が揺れてシエルも危ない。
だからきっと、執事である彼は落ちるしかない。
川に落ちる直前、私はしてやったりな顔で笑った。
セバスチャンも諦めたような顔で笑み、落ちる私を庇うように頭に手を回してくれる。
いつだったかも、そんな風に庇ってくれた事があったと思いながら、私は彼に囁いた。
「貴方のことも、…好きだったよ」
そう告げた直後、唐突に、唇に柔らかい感覚があって。
私とセバスチャンは水飛沫を上げて川に落ちたのだった。
「……ぶっ、はあっ!!」
「リユ!?セバスチャン!?」
水面から顔を出すと、小舟に居たシエルは目を見開いて此方を振り返っていた。
「何をしてるんだ…、」
「執事さんに仕返しです!」
ピースしながら言えば、シエルの笑い声が返ってきた。
「全く、貴女は本当に滅茶苦茶ですね…」
水に濡れた額の髪を掻き上げて、隣りでセバスチャンが零す。
「セバスチャンさんは、相変わらずの水も滴る良い男ですねー」
「沈めますよ?」
「ぎゃーっ!シエルさんお助けっ、」
小舟へ近付こうとした時、私の周りの水面が柔らかく光り始めた。
「え……、」
ふと、門の所で揺れる光を見ると、其処から一筋の光が私の方まで伸びていた。
「リユ……、」
此方に手を差しだそうとしていたシエルが、小さな声で呟く。
私はゆっくりと体が溶けるような感覚に浸りながら、笑いかけた。
「あはは…、時間みたい、ですね。……もう、帰らないと」
「そう、だな」
私に伸ばされていたシエルの手が戻っていった。
変わりに、大きな手にそっと頭を撫でられる。
「セバスチャンさん……、」
「リユ。ファントムハイヴ家のメイドとして今日までお疲れ様でした」
最後に彼の長い指が頬を一撫でして離れていく。
その時、私の体が眩しいくらいの光に包まれた。
「っ、あり、がとう……っ」
それから、ごめんなさい。
私の視界が光に包まれて消てしまう、最期まで。
シエルとセバスチャンは、此方に向かって微笑んでいた。
そして、私の意識は夢から醒めるように、真っ白に弾け飛んだのだった。
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