その姫、再起2/3
俯いて立ち尽くす私の隣りで、アッシュがセバスチャンに向き合った。
「私は考えたのです」
一歩、彼がセバスチャンに近付く。
「新たに生まれた清浄なる大地に住まう、この世界の支配者として、貴方と、一つになって……」
「…ぇ……、」
意識しない内に声を零したのは私だった。
アッシュの言った事に唖然として顔を上げる。
しかし私に構う事なく、二人の会話は続く。
「私こそ、貴方の忌み嫌う不浄の源泉なのでは?」
「……全ての物事は突き詰めればある種の強烈な光を放つ…。朝と夜、男と女、光と闇……。
それらが、研ぎ澄まされた状態で一つとなれば、我が父に愛されし始原の存在となる」
口元に笑みを湛えてアッシュは告げた。
「私も、貴方好みの悪趣味な継ぎ接ぎ人形に?」
燕尾服の悪魔の問い掛けに、「いえ、」と答える天使。
彼は不意に、胸元のシャツをはだけさせ始めた。
「「お望みならば私は、女として、貴方を受け入れる事も出来ます」」
そう言ったアッシュの声は、アンジェラの声が重なって響いた。
そしてはだけた胸元は、女性の身体になっていた。
「あ……、」
私の思考が一瞬止まる。
……つまり、これは。
「ア、アンジェラさん…?アッシュさんは……アンジェラさん、なの…?」
此方を向いた彼の顔は、女性の顔付きになっていた。
薄く口元に笑みを浮かべているそれは、アンジェラ ブランその人だったのだ。
私は、天使には性別が無いだとか両性具有だとか、前に本で読んだ事を思い出した。
でも、だからって……こんな…、
「……。超次元、過ぎるでしょ…。だいたい……っ、だいたいどこの世界に、悪魔誘惑する天使がいるって話ですよ!!」
動揺、困惑、その後にやってくるのは、私の中に燻っていた煮え切らなかった感情の爆発だった。
「この際、アンジェラさんだろうがアッシュさんだろうがどーでも良いですよ!
でもどうして私が、貴方の気まずい誘惑シーン目の前で見せつけられなきゃいかんのですか!人を不浄だの穢れだの言う人のする事だとは思えませんけど!?」
天使は不機嫌に眉を顰めた。
しかし私の矛先は、そんな天使を通り越し、僅かに目を丸くして此方を見ている悪魔にも飛んでいく。
「だいたいセバスチャンさんも何してるんです!らしくもなく大人しく傍観決め込む暇あるなら、荒療治でも何でも良いから、シエルさん苛めにいくなり泣かせに行くなりしなよ!
きっとその方が、“ただ弱さを舐め合う”だけの私なんかが励ますより、ずっと効果的にいつもの御主人様に戻るんじゃないですか…!?」
言い切ると同時に、私は盛大に咳き込んだ。
舞い上がる火の粉と煙には、流石に勢いでは勝てない。
と、その時だった。
力強いシエルの声が聞こえてきたのは。
「…何をしている。」
頼みの麻酔弾が切れ、火を噴き続けるプルートゥに困り果てる使用人の皆に向かって、シエルは静かにはっきりと言った。
「実弾なら、あるだろ。」
「……!!」
その口調も、態度も、瞳も。
私がいつも見ていた、迷いなく覚悟の決まったシエル ファントムハイヴの姿だった。
自我を失ったプルートゥは、もはや皆のしるプルートゥではない、ただの獣なのだと言うシエル。
「自らの誇りを奪われ、目的さえも見えず生きている事がどんなに惨めな事か、お前らならば分かるだろ」
使用人の皆を見つめ、幼い主人は力強い口調で告げる。
「命令だ。バルド、メイリン、フィニ、魔犬を殺せ。お前達の手で……!」
誰よりも彼の言葉の意味を分かっている三人は声を揃えて返事をした。
「「「イエッサー…!」」」
シエルは頷くと、プルートゥに銃を構えた彼らに背を向けて真っ直ぐ走っていく。
その姿に、私はもう不安を感じなかった。
彼は、もうきっと大丈夫だ。
私は走り去って行くシエルから、セバスチャンに視線を戻した。
すると彼もちょうど私に向き直る。
その端正な顔は、先程までの生気の無さは消え去っていて。
よく見慣れた不敵な微笑で、待っていたと言わんばかりの顔をしていた。
「セバスチャンさん……!」
けれど天使はそれに気付かず、シエルの姿を見下ろしながら口を開く。
「さすがは、悪魔を召し抱える身だっただけの事はある。非情且つ酷薄。救いようのない魂です。やはり貴方はこの私と…、」
天使はアッシュとアンジェラが重なったような声で、再び悪魔へ提案を持ち掛けようとする。
しかし。
「お断りします。」
「な……っ!?」
セバスチャンは涼しげに、目を伏せて微笑しながら言い放った。
「まだ、大切な用が残っておりますので。それまでどうぞ、当家のメイドを宜しくお願い致します」
燕尾服の執事は会釈をした後、瞳を紅く染めて表情を正す。
「タワーブリッジでお待ちを。主人と共に、必ず伺わせて頂きます」
天使が何か言い掛けたが、彼はそれを遮り私に微笑んだ。
弧を描く唇が、囁くように甘く私に告げる。
「リユ、良い子で待っているのですよ」
「……!」
普段の調子でそう言い残して、セバスチャンは瞬きする間に姿を消したのだった。
「……っ、そうですか。やはり天使と悪魔は、幾年を巡っても対峙せねばならぬ運命……」
服装を正した天使は、いつの間にかアッシュの姿に戻っていた。
失望と嫌悪を滲ませ空(くう)を見つめる彼。
が、すぐに調子を取り戻したように大仰に手を広げて此方に向き直った。
「さて、行きましょうか。貴女の様な存在にも、私は相応しい場所を用意したのです」
「……それが、タワーブリッジですか?」
セバスチャンに言われて思い返していたが、確か建設途中の新しい橋の筈。
「ええ。タワーブリッジは新世界に必要な門。その完成に、異端者である貴女を人柱として神へ捧げるのです。……全ての不浄を葬り去った最後にね」
恍惚と笑む天使に、悪寒が走った。
けれど。
“良い子で待っているのですよ”
去り際に残された燕尾服の悪魔の言葉を、真っ直ぐと走っていった少年の背中を、私は何よりも信じられるから。
最後に見るのは、歪んだ天使の笑みなんかじゃなく、いつものように不敵に笑う主従の姿だ。
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