クラシカル リビドー5/5
少女の体が突き飛ばされ、代わりに劉の刃に貫かれるアバーライン警部補。
庇われるような形で彼の後ろに立つシエルが目を見開く。
劉がアバーライン警部補から刀を引き抜くと、彼は血を流して倒れた。
立ち尽くすシエルに、劉が青龍刀を振り上げた。
「シエルさッ…!」
セバスチャンは、リユの無事に僅かに気を抜いた藍猫の隙をついて、劉の刀を受け止めに入った。
青龍刀を弾けば劉はバランスを崩す。
そこへ、セバスチャンは彼の腹へと手刀を打った。
咄嗟に飛び退いた劉だったが、すぐに腹を押さえて膝をついた。
「、素晴らしいよ伯爵…、さすがの人徳、…いや、悪徳かな…」
「劉…っ、貴様…!」
執事の後ろに立つ主人が怒りを滲ませた声を上げる。
そんなシエルに、ゲームは君の勝ちだと告げて劉は藍猫と共に海へ落ちた。
だが、あの傷では運が良ければ助かるだろう。
執事は主人の命令を待ったが、シエルは劉ではなく既にアバーラインの方に気を向けていた。
まだ僅かに息のあるアバーラインへ、シエルとリユは必死に声を掛ける。
そんな二人へ、彼は血を流しながらも穏やかに言葉を返している。
その様子にセバスチャンは気が付く。
アバーラインに預けた時のリユが、自分達に向けた別れのような口振りの言葉。
劉の刃の前に飛び出した時、浮かべていた微笑。
そして今、アバーラインが凶刃を受けた事への少女の動揺と発言。
この少女はアバーラインの代わりに自らが死ぬつもりだったのだと。
その時、アバーライン警部補が息を引き取った。
彼の傍らでシエルは哀しげに表情を歪める。
「僕には未来なんかない…っ僕はっ…未来と引き換えに……」
それは、劉を追えと命じた時の姿には程遠く。
“僕の前に立ちはだかる者は、例え、親だろうと友だろうと……、排除する”
あの言葉は何だったのだと思いながらも、セバスチャンは座り込んだままの主人へと歩み寄った。
「坊ちゃん、」
途端、沈んだ空気を一変させるシエル。
セバスチャンの頬が主の掌に打たれた。
「失態だな、セバスチャン。あの時、僕の命もリユも、危険に晒されていた。なのにお前は動こうとしなかった」
その言葉に、執事は口元に弧を描いて答えを返した。
「貴方達はあの時安全でした。実際無事だったでしょう?あの瞬間、私には分かりましたので。アバーラインさんが貴方の盾になる事が っ、」
遮るように再び飛んでくる手を、頬で受ける。
主人を見下ろすと、一瞬俯いていたその瞳がアバーラインの亡骸の傍にいる少女に向いた。
何故此処へ来たと、力無く茫然としている少女に声を荒らげる。
しかしリユは、そんなシエルとは対照的に虚ろな、静かな口調で言葉を零す。
「ご、めん…なさい。アバーラインさんを………助け、られなかった」
「ッ!!、そんな事を言ってるんじゃない!」
シエルが掴んでいたリユの肩を押すと、糸の切れた人形の様に少女は甲板に尻餅をつく。
その姿を見て、シエルは気まずげに顔を背けた。
「っ、お前は…。何度言えば分かるんだ……」
同感だと思いながらも、セバスチャンはアバーラインの亡骸を見下ろすシエルに眉を顰めた。
主の声が、小さく響く。
「アバーライン…馬鹿な、奴……」
その声音に含まれるのは、哀惜。
たかが駒だと言い切っていた人間に、何の情を抱くのか。
「ええ…馬鹿ですね」
執事は冷えた声で零しながら、シエルとリユを眺める。
主人に対しては何て様だと思わずには居られない。
そして、この少女に対しても。
誰かの代わりにあっさりと自らの命を手放そうとするなど、これ程つまらない事はない。
どうせなら、もう少し楽しませてからにして欲しいものだと。
そう思わずにはいられなかった。
(クラシカル=第一級の、模範的 、リビドー=本能、強い欲望)
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