その王子、同行2/2
黒と白を基調にしたシンプルなリビングダイニングルーム。
4LDKの間取りは私の部屋と指して違いはないが、室内は洒落たモダンな雰囲気が漂っている。まるでモデルルームだ。
私は六人掛けのダイニングテーブルに座っていた。
正面にはウィリアム、その隣にはグレル。
額と脳天を負傷した彼は、いじけたように頬杖をついている。
そしてキッチンから戻ってきたセバスチャンは、私の前にティーカップを置いた。
「どうぞ」
「ほわ……っありがとうございます…」
薫る紅茶の良い香りと、カップの中で揺らめく淡い黄金色。
ティーカップはエインズレイ、ブルーのエリザベスローズだった。
「紅茶はルピシアのダージリン、ファーストフラッシュですよ」
セバスチャンは私の横に座って、にこりと微笑む。
「いただきます」
一口飲むと爽やかな甘さが広がった。
彼の淹れてくれる紅茶をまた飲める日が来るとは、思わなかった。
「落ち着きましたか?」
セバスチャンに問われて頷き返す。
「ん、はい。美味しかったです」
「では、少しお話しましょうか。まずはリユの質問に答えたほうが早いと思うのですが、如何です?ウィリアムさん」
紅茶色の視線がウィリアムへ向けられる。
「そうですね。ですが私達も、殆どまともな回答を持っているとは言い難い。この二年、此方の世界での調査は、ほぼ意味の無いものでしたから」
「あっあの!早速良いですか質問っ!」
口を開いた私に、ウィリアムとセバスチャンの視線が集まる。
「さっきもセバスチャンさんが言ってたから気になってたんですけど、二年って、どういう事ですか?三人共、二年前から此処に居たんですか…?だとしたら私がそっちに行った時って、」
「リユは2009年のこの世界から私達の世界へやって来たのに、私達が2008年からこの世界に居るのは可笑しいと言う事でしょう?」
セバスチャンが言う事に頷くと、彼は、ですがと続けた。
「そもそも、あちらとこちらで時間の流れが違う事は、貴女も既に御存知でしょう?」
確かに、私が帰って来た時は約一年トリップしたにも関わらず、1日も経っていなかった。
伯母であるサクラさんがトリップしてクラレンスさんと会っていたと言う話も、あの世界とこの世界では年月が一致していない。
「そこにどんな法則があるのか、そもそも法則など無いのかは分かりませんが、私達はリユが去った百年後から、この世界の2008年、つまり今から二年前に飛ばされたのです」
「え、ひゃく、ねん……?」
「ええ、そうですよ。私は貴女が居なくなったあの日から百年後の12月14日に此処へ来たのです。リユに会う為に、ね」
テーブルに乗っていた私の手に、セバスチャンの白手袋を嵌めた掌が重ねられた。
「ヒッ!」と声を上げるグレルに睨まれたが、それよりも私は驚いている。
ゆるりと細められた紅茶色の眼差しが、目を疑う程に優しいのだ。
「セッセバスチャンさんっ!?」
裏返った声で名前を呼ぶと、「嗚呼、失礼しました」と、彼の手は離れる。
私は動揺を誤魔化す為に、カップの紅茶を飲み干した。
そんな私達にウィリアムが溜息を吐く。
「全く……」
「でもっ三人とも二年の間ってどうしてたんですか?」
取り繕った私の質問に今度はウィリアムが答えた。
「私達が飛ばされたのは、貴女が私達の世界へ来る前の時代だと判明したので、それまでは貴女と接触しないよう、外国で生活していました。
そこの彼は、すぐ貴女の居所を突き止めましたが、時の流れがねじ曲がる可能性があった為、今日まで会う事は避けたのです」
「そうだったんですか…でも、生活とかどうしてたんですか?……て言うか!そうだ、セバスチャンさん!教師で私の親戚って、何とんでもない設定作ってるんです!?」
「その方が何かと都合が良いかと思いまして」
学校での事を思い出した私に、セバスチャンは笑顔を返し、ウィリアムは再び溜息を吐き、グレルがガバッと顔を上げた。
「またですか……。突然会社を辞めたと思ったら全く…」
「セバスちゃんっ!ナニ親戚って!?この小娘と一体どんな関係にッ」
「黙りなさい。」
「ギャンッ!」
「あっ、あの、会社って?……働いてたんですか?」
私は、ウィリアムがテーブルに沈めたグレルを横目に、また疑問の浮かぶ単語を訊ねた。
するとウィリアムがセバスチャンを一瞥してから言った。
「M&AのFAです。彼がアメリカに会社を作りましたが、昨年日本にも支社が出来ています。レイヴン社を御存知ないですか」
「……すいませんウィリアムさん。御存知以前に、最初から分からない」
なんだM&AのFAって!?眼鏡の死神と悪魔執事の略?
FAってフライトアテンダント…?それともファッションエイリアン?いやいや、それを言うならファッションモンスターか。
でも、アメリカの会社って……セバスチャンが作ったの…?
混乱極まる私の頭を見兼ねてか、セバスチャンはクスクス笑いながら説明する。
「M&Aは合併と買収の略ですよ。FAはフィナンシャルアドバイザー。簡単に言えば、企業買収や合併の仲介業のようなものです」
……分かるかッ!
日本語にされたってピンとこないわ。
なんでウィリアムさん、そんなこ難しい事私が知ってると思ったんだ。
「セバスチャン ミカエリスは、そのレイヴン社代表取締役です」
「元、ですよ。代わりは貴方にお任せします、ウィリアムさん。私は来週から、彼女の学校の英語教師ですから」
キッパリ言い切るセバスチャンに、顔を顰めるウィリアム。
「全く…貴方は。それで私の監視を逃れられるとでも思っているのですか?」
「いいえ?生真面目な貴方の事ですから、向こうでの仕事も、此方での悪魔の監視も完璧になさると思っていますよ」
微笑を浮かべるセバスチャンだが目は全然笑っていない。
二人の間に流れる冷やかな空気に、私は居た堪れなくなった。
ちょっとっグレルさん!今こそ御得意のハイなテンションで気まずい雰囲気を壊して下さいよー!
しかし先にウィリアムのほうが話を始めた。
「……既に、此方にいても向こうの仕事は回せるよう手配済みです。ですから私もグレルサトクリフも、本日から此処で、この家で暮らす事にします」
「はい?」
口元の微笑はそのままに、セバスチャンが固まった。対してウィリアムはほんの少し嘲笑したように、私には見えた。
「此処には都合良く部屋が4つもある。そして隣人は、元々調査対象だった異世界との繋がりを持った人間です。
いつ、この世界の人間の魂を喰らって異世界に影響を及ぼしかねない悪魔と、トラブルメーカーな同僚を監視するにあたって、この環境は悪くない」
「冗談でしょう?」
「私が冗談を言わない事は知っていると思いますが。ですが、万が一貴方が同居を拒否するならば、この場で一騒動起こしても構いません」
死神の不穏な発言に、私は慌てて口を挟んだ。
「ちょっとウィリアムさん!何を怖い事言ってるんですか!この世界の時の流れとか秩序とか、そういうの気にしてるんじゃないんですか?」
悪魔と死神が乱闘なんて、一番やっちゃいけないんじゃないか。
しかしウィリアムは「問題ありません」と言い切る。
「問題なのはこの世界の人間が、この世界のモノではない悪魔に喰われて魂が消滅する事です。勿論、この世界の死神ではない私達が直接的に人間の死に関わるような事もあってはなりませんが。
ですがそれ以外は些末な事。多少動いた程度で、世界に多大な影響を及ぼす事はない。そのくらいの力加減は、流石に理解しています」
「でも一騒動って…」
「セバスチャンミカエリスが此処には棲めなくなり、尚且つ貴女の学校の教師では居られない状況を作り出すだけです」
そこまで言ったウィリアムに、私の隣から諦めの溜息が吐かれた。
「……駆け引きが御上手になられましたね。ウィリアムさん」
「何処かの狡猾で悪辣な社長のお陰です」
彼の返しに、セバスチャンはクスリと笑った。
「仕方ありませんね」
「…………同棲生活一日目です?」
「止めてください。気色悪い」
私の呟きに、セバスチャンはピシャリと言葉を被せて来たのだった。
(これ、グレルさん起きたら狂喜乱舞の状況じゃない?)
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