その王子、同行1/2
私は夢でも見てるのだろうか。
目の前までやって来て微笑む黒いスーツの男性。
彼は、どこからどう見たってセバスチャンだ。瞬きすると、漆黒の燕尾服を纏っていた姿が重なる。
「お元気そうで何よりです」
にっこりと笑う彼に指先で頬を撫でられた。
茫然としていた私は、そこで気付いた。
彼はあの頃と変わらず白い手袋を嵌めている。
「本当に、セバ……」
「そう言えばミカエリス先生は、鈴岡さんの御親戚でしたね」
私の声を遮ったのは、セバスチャンと一緒にいた英語の先生。
にこやかな彼女の発言に、再び唖然とする。
「えっ、し、しんせき?…って、先生って……え?」
私の親戚の何処に、悪魔で執事でついでに言えば外国人な美形がいるっていうんだ…!
それから“ミカエリス先生”って聞こえた気がしたけど一体……?
脳内パニックな私を尻目に、セバスチャンは先生に頷いていた。
「はい。遠くはあるのですが。ですが彼女には暫く会っていなかったもので。此方に赴任が決まった事も、今日伝えに行くつもりだったのですよ」
「あら、そうなんですか。それじゃあ、鈴岡さん吃驚したわね」
「は、はい……」
「ミカエリス先生は、ゴールデンウィーク明けの朝会で挨拶してもらうのだけど、私の代わりに英語の授業を受け持って下さるから」
先生は、私がいない間も英語の授業を楽しんで頑張ってと微笑んで言うのだった。
私は状況が飲み込めないまま、いつの間にかセバスチャンの運転する車に乗っていた。
用務員さんへの挨拶は、見事に忘れた。
「何が何だか分からない、と言った顔ですね」
助手席で鞄を抱いて座る私に、彼は運転しながらクスリと笑う。
当たり前だけど、馬車や舟以外を操る姿を始めて見た。しかし車を走らせるのも当然と言った風で、絵になっている。
いつ免許を取ったんだと言う質問は敢えて黙る事にした。
「……ほんとに、セバスチャンさん、なんですか?」
ぽつりと呟いた私の問いに、彼の眉が片方上がった。
「おや、心外ですね。服装こそ違いますが、私は貴女と出会った当時そのままで居ると言うのに。顔も声も、……名前も、ね」
「…で、ですよね……」
私だって本気で彼がセバスチャンじゃないと疑ってる訳ではない。
本当に夢の中だと思ってる訳でもない。
だけど、まだ現状を理解出来ないでいるのだ。
するとセバスチャンは口を開いた。
「どうして私が此処に来られたか、お話しましょうか」
ハンドルを握って前を見据えたままの彼。
しかし紅茶色の目は、もっとずっと遠くを見つめているように感じた。
「とは言っても、詳しくは分からないのですがね。けれど、私は貴女に喚ばれたのですよ、リユ」
「……え?私…?」
そんな筈は無いと彼を見つめた。
私はセバスチャンの召喚方法なんて知らないのだ。
「嗚呼、悪魔召喚の話ではありませんよ。それに、私が此方へ来たのは二年前になりますしね」
へ…、二年前?
どういう事かと聞き返そうとした時、車が止まった。
場所は私が暮らすマンションの駐車場だった。
「えっ、セバスチャンさんの家に行くって言ってませんでした?此処、私の家なんですけどっ」
「ええ、知っていますよ」
頷くセバスチャンは先に車を降りていく。
シートベルトを外していた私は、ドアを開けてくれたセバスチャンに促され車から降りた。
そしてマンション入り口のオートロックを開けエレベーターに乗り込む。
「私の部屋も此処なのですよ。一昨日越してきたばかりでしてね」
七階フロアのボタンを押しながら言うセバスチャン。
「え、それって、」
「はい。宜しくお願い致しますね、お隣りさん」
「ええーっっ!!?」
七階の角部屋に当たる私の家唯一の隣人は、まさかのセバスチャンだった。
エレベーターが開いたタイミングで思わず絶叫した私は、彼の部屋の前まで駆けていった。
「嗚呼、表札は出していませんよ」なんて後ろからセバスチャンの涼しげな声が聞こえてくる。
「嘘、ほんとに……?」
玄関ドアを凝視していると、突然ノブが内側からガチャリと回った。私はぎょっとして飛び退く。
「うるっさいワネーどこの小娘が騒いで、」
バタンッ…!!!
私は体当たりして、セバスチャンの家のドアを閉めた。
「…………幻覚だった」
真っ赤な色が、開いたドアから見えた気がしたのは何かの間違いだと思う。
今、ドアの内側から覚えのあるオカマの悲鳴が聞こえたのも、きっと幻聴だと思う。
漸く此方に歩いて来たセバスチャンは、口元に手をあてて笑っているけれど。
「セバスチャンさん、部屋で赤いオウムでも買ってます?」
「いいえ?私は鳥よりも猫派です。リユも知っているでしょう?」
「そーですね、よく御屋敷の庭でも黒猫ちゃんと楽しんでましたもんね。でもこのマンションペット禁止で、…って違うわ!!いまっ、む、向こうにっ、赤いオカマがッ!」
「ダレが赤いオカマですってえ〜っ」
「ぎゃぁあ…っ!」
聞こえてきた低い声に、私はセバスチャンの背中へ回り込んだ。
再び内側から開いた玄関ドアから、おでこを手で押さえながら出て来たのは。
黒いシャツと真っ赤なスラックスな姿の、死神グレルサトクリフだった。
「アアンッ!セバスちゃんじゃないっおかえりなサイッ!ゴハンにする?オフロにする?…っイイエ!やっぱりアタシ一択、…ガハッ!!」
「ッ!?」
ハイテンションでセバスチャンに捲し立てるグレルは、突然背後から脳天をチョップされ、地面に崩れ落ちた。
代わりに後ろから、ジャケットを脱いだスーツ姿の男性が現れる。
知っているその人物に、私は本日何度目かの衝撃を受けた。
「……ウィ、ウィリ、アムさん…?」
眼鏡のフレームを指で押し上げながら、もう一人の死神、ウィリアムTスピアーズは黄緑色の目を此方に向けた。
「久方ぶりですね。リユ 鈴岡」
「……え、まさかの同棲?」
「違います」
セバスチャンを見上げると、彼は笑顔で否定した。
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