その王子、来訪3/3
懐かしさを覚える光りに包まれながら、悪魔はあの日を思い返す。
水の中に落ちる前、最後に触れた少女の唇からは、甘い、匂いがした。
それは彼女の魂の香りではなく。
なんとも形容しがたい、淡さで。
そして、悪魔が喰らった少年の魂にも、ほんの微かにその甘さが移っていた。
けれども不快さはなく、調味料の隠し味のようだった。
悪魔の長い年月の間で、シエルファントムハイヴは、正しく最高級の魂だった。
手間隙かけて自ら育てただけあって、至高の晩餐を迎える事が出来た。
しかし、その後は虚しさと過去の光景ばかりが降り積もっていった。
そして、悪魔は漸く気が付く。
あの少年とも少女とも、もっと玩(あそ)んでいたかったのだと。
最高の食事だけでは、物足りない。
そんな思いを抱く程、共に居た“過程”に、楽しさを見出だしてしまったのだ。
悪魔は一度として少女を喰らいたいと感じた事がなかった。
それは彼女の魂に興味が無いからだと思っていたが、そうでは無かった。
今思えば、あの頃少女に抱いた、らしくない苛立ちも怒りも焦りも。
欲しいのは“契約者の魂だけ”という己れの美学の揺らぎから来ていたのだ。
気が付いてしまえば、なんと単純な事だろう。
(私は、あの少女の……全てが欲しい)
魂だけでは、もう足りない。
身も心も、五感も、少女が内に抱えるなにもかもも、全て。
一滴の涙さえ、奪い取ってしまいたい。
そうして彼女が最期を迎えるその時に、その一生ごと全てを喰らってしまえば良い。
代わりに、望むものは一つ残らず叶え、与えて。
脆い気丈さを剥ぎ取って悪魔に縋る心地良さを教えてやろう。
次第に、体と視界を覆う光が晴れていく。
悪魔は、ゆっくりと微笑を浮かべた。
(ねえ、リユ。本来、悪魔がもっとも貪欲な生き物なんですよ)
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