その姫、邂逅1/3
いつもと違う感覚に私はひたすら足元を見ながら、前を歩く少年と執事に着いていく。
氷特有の音を立てる地面は見事に凍っており、足元には見渡す限り分厚い硝子のような氷が張っていた。
「成る程、氷上マーケットとはよく言ったものですね」
不意に前を行く二人の歩みが止まる。セバスチャンの声に私は顔を上げて彼を見上げた。
「ここまで大規模なものは1814年以来だそうだ。ロンドン橋の袂、氷結したテムズの上で行われる、このフロストフェアは」
「すごいですよね、凍ってるとは言え川の上でお店開くとか。………寒いけど」
言葉を返しながら最後にぽつりと呟くと、フードを被り暖かそうなコートに身を包んだシエルが此方を振り返った。
「僕のとそう変わらないコートを仕立ててやったんだぞ?英国の寒さには慣れていないと言うから、防寒着一式揃えてやったのに」
不満なのかと言わんばかりの目で見られ私は慌てて首を振る。
見た目よりずっと軽いコートとブーツは言われなくてもその値段が窺える。
黒を基調にしたそれらは、ポイントである白の細いリボンが上品さを引き立たせていた。
「不満があって寒いって言った訳じゃないです」
笑顔を向けて答えると、シエルは軽く笑って再び歩き出した。
その場を過ぎ去るほんの一瞬、私は側に立っていた氷像に目を向ける。
貴婦人の形を模したそれの指には、青く輝く指輪ー。
実のところ私は、このブルーダイヤの欠片が嵌め込まれた指輪を誰にも気付かれず手にするにはどうしたらいいのか、その事で頭がいっぱいになっていた。
物語通りに進めば、エリザベスが手にし事件に巻き込まれる事となる。
勿論それを阻止したいという思いもあったが。
この指輪こそ……気を引く、には効果絶大の筈。
私が薔薇の枝を贈った彼女は、もうロンドンに来ているのだから。
ふと我に返ると、いつの間にか一軒の露店の前で立ち止まっていたセバスチャンの背に思いっきりぶつかった。
「Σおぁ…っ!!」
「何をしているんです貴女は」
「すいませ…、」
前を向くと、シエルが店の主人に声をかけられていた。
シエルが杖で指したのは木で出来た船の玩具。ファントム社が工房だった時代の工芸品だと店主は機嫌良く語っていたが、あれは偽物だという。
ファントムハイヴの屋敷が焼け、たった3セットしかなかったファントムの方舟は現存していない、と。
「ノアの方舟…」
それまで黙ってシエルの話を聞いていたセバスチャンが口を開いた。
「まるでこの国のようですね」
「何?」
「たった1人の船頭によって導かれる舟。救われるのは選ばれるごく一部の者のみ。…傲慢な話です」
にっこり笑う執事を見上げて小さな主人は僅かに眉間に皺を寄せた。
シエルはそんな彼に何か言おうとしたのか、しかしそれは背後から声をかけられ遮られた。
「君は…、」
シエルを見て驚いたような顔をする彼を、私は知っていた。
ア、アバーラインさんじゃないか…!
スコットランドヤードの!
初めて本人を目にしてはしゃぐ気持ちの私とは反対にシエルは随分と辛辣な言葉を彼にかける。
「ヤードの刑事がこんな所で油を売っているところを見るとロンドンは平和なんだな。今のところは」
「違うっ!自分は勤務中だ」
「ほう?では市民と陛下に忠実に、給料分はしっかりと働きたまえ。…警部補殿」
あ!ちょ…っ、もう行くんですかシエルさーん!
ちらりとアバーラインを振り返ると私は彼と見事に目が合った。
「…君、は?」
「あ、…ファントムハイヴ家でメイドしてるリユ スズオカです。初めまして!警部補さんっ」
「あ、ああ…初めまして…」
律儀な彼は私の差し出した手を礼儀正しく握り返してくれた。
良い人だなぁこの人。
「リユ、何をしている。さっさと行くぞ」
「あ、待ってくれ。君には訊きたい事があるんだ、シエル君!」
去っていくシエルに駆け寄りアバーラインはその肩に手を伸ばした。が、横から伸びてきたセバスチャンの腕が容赦なく彼の手をはたく。
「失礼。我が主は御覧のように脆弱…、いえ、繊細ですので乱暴に手を触れないで頂きたいのですが」
あくまでも控え目な態度で軽く頭を下げるセバスチャン。
そんな執事にアバーラインは怪訝な表情を浮かべたが、シエルはふと思い付いたように彼を振り返った。
「そう言えばさっき勤務中だと言っていたな。……話くらいは聞いてやらん事もない。セバスチャン、僕は警部補殿に付き合ってくるから、お前はリユの買い物にでも付き合ってやれ」
「宜しいのですか?坊ちゃん」
「ああ、構わん」
「……??」
頷いたシエルの碧色の瞳が意味ありげに私に向けられた。
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