その姫、粉雪2/3
燭台の灯りがぼんやりと広い談話室を照らす。
揺らめく灯りをソファにもたれ掛かりながら眺めていると、背後でカチャリと扉が開いた。
「落ち着きましたか?」
先程の騒ぎで駆けつけたシエルを再び寝かしつけたセバスチャンは、ソファの隣に立ち私を見下ろす。
「バルドとフィニには念の為、屋敷周辺の見回りを頼んでおきました。不安ならば、メイリンが自分の部屋へ来くるように貴女に伝えてほしいと言ってましたよ」
「シエルさんは?」
「坊ちゃんなら問題ありません。先程はどうやら坊ちゃんでなく、リユを狙っていたようですからね」
セバスチャンの言葉に黙って頷き返した。
そう、あの闇に紛れた何かは“ファントムハイヴ”と言う存在を狙った訳ではないらしい。
セバスチャンはあくまでも、私という存在に目を付けているものだったと言うのだ。
先程までここで執事の話を聞いていたシエルは、とても意外だという顔をしていた。
何故お前がと言いたげな視線を向けられたが、それはほんの一瞬のこと。
すぐにいつもの調子に戻った彼はその場にいた執事と使用人に、そう易々とファントムハイヴの敷地内に野良犬が紛れ込まないようにしろと釘を差したのだった。
「それにしても…アレも使えない魔犬ですねぇ。侵入者の存在に気付くことなく眠っているとは……、?」
顎に手をあて呟いていたセバスチャンは、自分を見上げる私の視線に気付いて首を傾げた。
「どうしました?」
「なん、でもないです」
見つめ返されたのが嫌で私はさっと目を逸らす。すると、やや間があってから頭上からくすりと笑みが降ってきた。
「嗚呼…、先程の事ですか」
あの程度で恥じらうなんて可愛らしいですね、と紅い眼の悪魔は薄暗い部屋の中で妖艶に嘲笑う。
む、むかつく…!
あの程度、って!
そりゃあセバスチャンにとったら大した事じゃないのは分かっているけれど。でも、こっちにしてみれば入浴していた姿を見られて恥ずかしいと思わない訳がないでしょ。
「リユ、生まれてくる時は誰も服など着ていませんよ」
「それも、そうですよね……って、そんな事で納得しますか!それに何より貴方の平静さが腹立たしい」
至って冷静な、と言うよりからかいを含んだ彼の物言いに私は本音を漏らした。
私ばっかり恥ずかしいとか不公平でしょ。まあ、セバスチャンが照れるとかそれはそれで気持ち悪いけど。
いやいやいや、先ず有り得ないな。そんなの世界三大珍味だよ。
「私は食べられませんよ」
と、人の思考を読んだような言葉が返ってきた。
…いちいちむかつくな。
「そうですよねー、どっちかって言ったら食べる方ですよねー」
私の挑発的な言い方に、形の良い眉がぴくりと動く。
「リユ、」
「え 」
気が付いた時には口角を釣り上げた彼にソファへ押し倒されていた。
「な………!」
は、早っ!
一瞬の出来事に私は覆い被さってきた彼を呆然と見上げた。
「無防備なのですよ貴女は」
「煤cっ!?」
にっこり、微笑みを浮かべたセバスチャンの片手が私の心臓辺りに添えられた。
もう一方の手は私の片手を絡めとる。
「私を挑発するのは勝手ですが…。今後の事を考えるのなら、もう少し態度を改めた方が宜しいかと」
「え?」
今後の事?
口から出てしまいそうな勢いで跳ね上がる心臓。そこに添えられた彼の腕を私は自由な片手で掴み引き剥がそうとしつつ、言われたことに疑問を感じて力を緩めた。
今後を考えるなら、ってなに。
まさかこの状態で執事サンは私を脅すつもりか!
細められた紅茶色の瞳を見上げると彼は静かに告げた。
「私は今後貴女を守るようにと坊ちゃんに命ぜられました」
「、シエルさん、が?」
セバスチャンに命令したって?
私を守るように……?
「坊ちゃんはこれからの仕事に貴女を連れて行くと仰った。咎めはしましたが、一度決めた事は曲げたりなさらない性分ですからね。つくづく強情…いえ、意志の強いお方です。しかし私は、貴女を何一つ知らないままで“守る”と言うのには頷けない……」
不意に、胸元に添えられた彼の指が私の体を這うように滑った。
辿り着いたのは心臓の下、左の腹部辺り。
意味ありげに笑うセバスチャンに対し私は眉を寄せる。
「見たんです、ね」
風呂場では、とっさに隠したつもりだったのにな。
「ええ、随分と綺麗な縫い傷でしたね。この傷は、御両親が居ない事と関係しているのですか?」
「………!」
どうやら彼は私とシエルの会話を聞いていたらしい。
そしてその鋭さは私の体にある一つの傷へと向けられたのだ。
「これは…、小さいころ事故にあった時、出来たんです。でも、その事故が原因で親が亡くなったとか、そんな悲劇的ヒロイン人生は歩んでません」
そう。私は何も自分が可哀想だなんて思った事はない。
「ですが、貴女は無意識に自分を坊ちゃんと重ねて見ているのではないですか?そしてそんな彼を放ってはおけないと、つい側に居ようとしてしまう」
だから彼について行くと言ったのだろうと、セバスチャンは此方を見下ろす。
その瞳には明らかな、侮蔑の色が含まれていた。
彼は私を見据えたまま言葉を続ける。
「しかし、坊ちゃんを放っておけないと思いつつ、それは結局のところ貴女が寂しいからだけではないのですか。貴女が辛い故に、自分と重ねて見てしまう坊ちゃんの側が、心地良いと感じる。心の奥にある孤独を薄れさせる事が出来そうで、」
「っ違う、そんなんじゃ、ないです」
「本当に?」
セバスチャンの、悪魔の瞳が蠱惑的に紅い光を放つ。
私の心の内を全て見透かすかのようで、何とも居心地の悪い視線だった。
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