その姫、粉雪1/3
チェス盤に黒のキングを置いて、私は部屋を後にした。
いつもより少し遅めの入浴準備を済ませ、温かい湯に沈むように浸かる。
あー、心地よさに歌いたくなってきた。
気分的には、どんぐりころころ。あ、メリーさんのひつじも捨てがたい。この際だからシエルさんのしつじ、で歌でも作るかー。
くだらない発想が脳内で暴走していると時間はあっという間に経ってしまう。
そろそろ上がらないとのぼせるかな。
そんな事を思いながら、ぼーっとしていた。
その時だった。
「Σ…っ、!!?」
ぞっとする感覚が全身を襲った。
そのなんとも形容しがたい気配に窓を見遣る。
真っ暗で何も見えないが、そこに何か居る気がしてならない。
殺意、とは違う。
これはまるで、飢えた獣に追い詰められたような感覚に近いんじゃないだろうか。
どことなく、セバスチャンが時々放つ人ならぬ危険な気配を孕んでいたが此処まで寒気を感じたのは初めてだった。
温かい筈の浴室が急激に冷えていくように感じ思わず身震いした。
体が動かない。
湯船に体を沈み込ませたまま、私は窓の外に広がる闇と、潜んでいるだろうものを凝視した。
「っ…、」
早く、早く出ないと。
静まり返った空間に逆に恐怖を覚えるがやはり、体は動かない。
恐い、誰か…っ、
「リユ?」
「……!」
扉越しに聞こえた声に私ははっと振り向いた。
「リユ?まだ入浴中ですか?そろそろ消灯時間ですよ」
「……っ、…」
恐怖で上手く声が出せなくなるのは、どうやら本当のようだ。
扉越しに名を呼ぶ彼に、私は全く返事が出来ない。
「リユ?」
異変に気づいてくれたのか、セバスチャンの声のトーンが少し落ちた。
「……っセバ、ス…、」
「リユ…!?」
勢い良く扉が開いた。
セバスチャンは一瞬此方に視線を落とした後、すぐに窓へと目を向ける。
鋭く光を放つ紅い瞳は闇の中のそれを射抜くように睨みつけた。
そのまま彼はそちらへ駆け寄り窓を開けようと手を伸ばす。
が―、
Σパアン…ッ!!
「な…っ、」
「きゃぁあっ!」
突然窓ガラスが砕け散った。派手に飛び散った破片に私は思わず悲鳴を上げた。
セバスチャンは散らばったガラスを気にも止めず、窓から身体を乗り出し外を確認する。
だが、そこにはただ夜の闇が広がるばかりだった。
「リユ、怪我は?」
「あ、だいじょ、ぅ…」
大丈夫だと言うつもりだったのに、私は紅茶色の視線が向けられた先に気付いて口を閉ざした。
………こういう時って、巧い具合に浴槽のお湯に色が付いていて、中が見えなかったりするのがお約束だと思う。
なのに
なのに。
私の浸かっていた湯の色は、透明だった。
2度目の悲鳴に屋敷中のみんなが駆けつけたのは、言うまでもない。
†
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