その姫、発熱1/2
「思っていたより食べられたのですね」
お盆の上に置かれた昼食の残りを見てセバスチャンが呟く。
「はい、美味しかったです。でも寒い……、けど暑い」
「当たり前でしょう。熱があるんですから」
「違うんです。体がじゃなくて心が、っうわ!」
ベッドで横になっていた私の顔に燕尾服の執事は冷たいタオルを投げつけてきた。
「下らない事を言う暇があるなら早く熱を下げなさい」
「えーそんな無茶な。あ、セバスチャンさんこそ長生きの知恵を生かして早く熱が下がる方法とか知らないんですか?」
すると彼は一瞬考えるように間を置いてからにっこり笑った。
「熱を上げる方法なら幾つかありますが下げる方法は知りませんね」
「…そんな爽やかに言われても」
枕元に立つ彼は紅茶色の眼を細め、ずり落ちたタオルを額に乗せてきた。
額を滑るしなやかな長い指は私の顔にかかった髪を退け離れていく。
「もうすぐお客様がお見えになりますから今はここで安静にしていなさい。また後で様子を見に来ますから」
ふっと溜息を吐いてからセバスチャンは扉のノブに手を掛ける。
「すみません。早く元気になります」
言葉を返す私に彼はそうして下さいと言い残して、静かに部屋から出ていった。
休暇という名の危険地帯から帰ってきてすぐに、私は熱を出してぶっ倒れた。
一瞬、天使の呪い!?
とか思ったけど、原因は慣れない疲れが溜まっていたかららしい。
お屋敷に戻ったら今後の計画立てようと思ってたのになぁ…。
ぼうっとしながら考えていると知らぬ間に意識が遠のいていった。
目が覚めたのは額に乗ったタオルがすっかり乾いてしまってからだった。
「あつい…」
瞼を開けると意外な人物が視界に入ってきて思わず目を丸くする。
「シエルさん…」
この屋敷の小さな主人がベッドの脇の椅子に腰掛けていた。
「何して、」
「様子を見に来ただけだ。あいつの方が良かったか?」
あいつ、と言われて熱に浮かされた頭ではそれが誰を指すのかに時間がかかった。
真っ黒な執事が思い浮かんだ頃には、シエルは立ち上がって私の額に置かれたタオルを冷水につけていた。
「ちょっ、いいですよシエルさん!」
「別に構わん。寝ていろ」
妙に手際良くタオルを絞る彼は体を起こそうとした私を制す。
「すみません…ありがとうございます」
ひんやりとした冷たさが気持ちいい。
差し出された水を飲むと乾いた喉が潤った。
「どうだ気分は」
「はい。大丈夫です、仕事出来なくてすみません」
「……もうすぐセバスチャンが此処に来る」
「え?」
全く会話が噛み合わない事を話し出したシエルに私は首を傾げた。
彼はポケットから何かを取り出しベッドの上に乗せる。
それは小さな黒い羊の人形だった。
「気に喰わない事にアレはなかなか捕まらない。そこでだリユ、お前にも協力してもらう」
にやりと笑う小さな伯爵は、何とかしてセバスチャンの動きを止めろと告げた。
「正確には十秒間だ。何でも良い。とにかくセバスチャンを動かすな」
「そんな無茶な…っ」
「僕に看病させておいて嫌とは言わせない」
なんなのこの子。
病人脅してるよ…!
「…でも十秒静止とか難しすぎです。せめて五秒、」
「十秒だ」
きっぱりと言い切り、シエルは任せたぞと楽しそうに笑った。
セバスチャンは相手の話を聞く時、身じろぎ一つせずゆったり構えているという事に最近気付いた。
それが私に対してだけなのか長生き故の余裕から来るのかは分からないけれど。
とにかく間をあけて会話すれば何とか動きを止められるのでは、と、今まさにそれを実行中。
手際良く熱を計り新しい冷水を準備し終え、部屋から出て行こうとした彼を呼び止めた。
「待ってセバスチャンさん」
燕尾服の裾を引っ張るとセバスチャンはきょとんとした顔で私を見下ろす。
「どうしました?」
部屋の扉が薄く開きカメラを持ったバルド達の姿が見えた。
セバスチャンが動きを止めて、二秒が経った。
「セバスチャンさん、あの……」
未だ不思議そうな顔をする彼を見上げ私はゆっくり口を開いた。
残り、五秒。
「勤務中ですのに…。誘ってるんですか?」
「へ?」
途端、先程までの表情とは打って変わってセバスチャンは妖しげに口元を釣り上げた。
「仕方ありませんねぇ。お相手してあげない事もないですが、熱が上がっても知りませんからね」
「え…」
残り三秒、それまでベッドの脇に立っていた彼は片膝をベッドに突いた。
えっ、ちょっ…嘘ーっ!?
スプリングが軋んでベッドに深く体が沈む。
無理無理無理…!!
「ちょっセバ…っ、!」
Σバァーン…ッ!!
「「……!?」」
突然の大きな物音に、驚く私と動きを止めた彼。
端から見れば危ない体制のまま2人揃ってそちらに視線を向ければ、開いた扉から雪崩れ込んだ人達と目が合った。
「やあ、リユ。調子はどう?」
「ら、劉さん…?」
呑気な声で手を振る彼。
その下から不機嫌な顔を覗かせたシエルが声を荒げた。
「どけ劉っ!重い!」
「そんなに怒らなくてもー。ねぇ藍猫」
劉は自分の上に座る美少女に笑いかける。
もがくシエルの下では更に下敷き状態な使用人トリオが顔を出した。
「リユとセバスチャンさんって…!」
「ふっ、2人は…!いっ、一体いつからそんな関係なんですだかぁぁ!」
「セバスチャンお前なあ…っ!!」
「ほっほっほっ」
好き勝手騒ぐ彼らに、執事さんは私の上に乗ったまま溜息を吐いた。
「その無駄な労力を別の方へ使って頂きたいものです…」
額の髪を掻き揚げながらセバスチャンは床に降りた。
ああ…死ぬかと思った。
速すぎる鼓動にどう対処して良いのか分からない。
そんな私を余所にセバスチャンは山積みになった人の中から小さな主人を引っ張り出した。
主人の服に付いた汚れを払い、彼は転がり落ちていたカメラを差し出す。
「坊ちゃん。大切なモノ、は大事になさって下さいね」
変に“モノ”と言う単語を強調した彼は真顔に戻ってみんなを部屋から追い出したのだった。
†
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