青いリボンと使用人
珍しい光景に、執事は半開きの厨房の扉の前で足を止めた。
屋敷のシェフが扉を背に、キッチンに向かって静かに佇んでいたのだ。
普通なら当たり前の光景も、毎回のように厨房で爆破を起こすシェフがいるファントムハイヴの屋敷では、馴染みないものだった。
「バルド…?一体何をしているのです?」
また何か良からぬ事をするつもりかと、長身の執事はその後ろ姿に声をかける。
背後からの呼びかけに料理長は我に返ったように振り返った。
「おう、セバスチャンか」
「珍しいですね。貴方が静かに、厨房に居るなんて」
妙に静かを強調されバルドは眉間に皺を寄せる。
「オレだってたまにはだな、」
言いかけたバルドは、自分の右腕にセバスチャンが視線をやったのに気づいて言葉を止めた。
バルドの腕に細めの青いリボンが結ばれていたのだ。
セバスチャンは暫し間を置いてからゆっくりと口を開いた。
「バルド……、貴方いつからそんな趣味があったのですか」
「おいおいっ!誤解するなよセバスチャン!これはオチビちゃんがだなあ、」
「リユが…?」
セバスチャンは、今日もまた劉の知り合いでもある居酒屋の青年の元へ出掛けている少女の顔を思い浮かべた。
「ブルーっつうのは気持ちを落ち着ける色だから焦らねえようにこのリボンでも身につけてろ、って言われてな」
だからたまには深呼吸でもしてから作ろうかと思ったんだよ、とバルドは頭を掻いた。
「けどやっぱ性に合わねえんだよな」
「なら大人しくしていて下さい。昼食を炭にされてはたまりませんからね」
威圧感ある笑みを浮かべてからセバスチャンは厨房を後にした。
その後、メイリンの髪を結っていたリボンが青色に変わっているのに気づき、フィニも手首に青いリボンを結んでいるのを見かけた。
たかがリボンの色ひとつでこの使用人達の働きがマシになるなどとは思えない。
執事は内心笑っていたが、意外にも“冷静さ”を養うブルーの効果が発揮されていったのだった。
爆発の起こる回数も食器の割れる回数も庭が更地になる回数も、ほんの僅かだが減っていった。
それは屋敷の当主も気付く程だった。
「ここ最近、屋敷がやけに静かだと思わないか?」
静か、と言っても一般的に考えれば遥かに騒がしいが、と小さな主人は本日のスイーツを口に運ぶ。
少し前まではリユと共に過ごしていたアフタヌーンティーの時間も、彼女が毎日のように出かけている為再びシエルひとりの静かなものとなっていた。
「騒がしい方がお好みですか?」
空になったカップに紅茶を注ぐセバスチャン。
ふわりとアッサムの香りが広がった。
執事の言葉にふっと笑みを漏らしてシエルはカップに口を運ぶ。
「そんな訳ないだろう。ただ、奇妙な事もあるものだと思っただけだ」
「その原因は、リユですよ」
テーブルの上に一本のリボンが置かれた。
青空のようなその色と、此方に向けられた紅茶色の瞳を交互に見遣りシエルは首を傾げる。
「リユが?」
「何でも、青と言うのは精神の落ち着きや冷静さを養う色だそうで。彼女がそれを彼らに身に付けさせたのですよ」
シエルは執事の視線の先にある青いリボンを手に取った。
「本当に変わった事を思い付く奴だな。彼女の思考回路はさっぱり分からん」
いつも絶えないリユの笑顔を思い浮かべ彼は微笑を浮かべる。
そんな主人を隣で見ていたセバスチャンは、不意に自身の整った唇を釣り上げた。
「そうでしょうか。………彼女からは、貴方と同じ香りが致しますよ」
「どういう、意味だ?」
怪訝な表情で振り返ったシエルにセバスチャンは更にその笑みを深くする。
「言葉通り、そのままの意味です。私は人と違って鼻が利く。人間には分からない匂いでさえも嗅ぎ分ける事が出来るのですよ」
(リユが僕と同じだと…?)
全くもって理解出来ないといった様子の主人とは対照的に執事は口元を歪めたまま言葉を続ける。
「彼女の笑顔の裏側には意外なものがあるかもしれません。普段坊ちゃんが、その仏頂面で隠していらっしゃるものと同じような、ね」
「何が言いたい、セバスチャン」
「いいえ何も。ただ、時には彼女と一緒に思い出話をしてみるのも悪くないのでは?」
「お前はっ…、」
シエルが立ち上がった衝撃で、机の上の食器が音を立てた。
セバスチャンは自分を睨みつける視線を無視し、皿とカップを片付ける。
「お喋りが過ぎました。失礼致します」
ワゴンを押して部屋を出た執事はいつも通りの笑みを浮かべてから扉を閉める。
「…………」
静まり返った部屋に立ち尽くすシエルは、手に取った青いリボンを黙って見下ろしていた。
(blue=憂鬱。彼女の話題はいつも彼らを振り回す)
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