笑顔と彼女
彼女はゆっくりとベッドから体を起こした。
「あれ、此処どこ?」
窓から射し込む朝日に眩しそうに目を細める。
その姿は、とても僕より年上だとは思えない。
「寝ぼけているのか。お前の部屋だろう」
ベッドの向かえの椅子に座ったまま声をかけると真っ黒な瞳がこちらを向き、僕を映した。
「シエルさん」
「軽い脳震盪を起こしていたんだ。手当てはしたが、暫く安静にしているといい」
「…はい」
彼女は複雑そうな表情で返事を返してきた。
じっと見つめ返してくる感情の読みとりにくい瞳と沈黙に耐えかね、思わず口を開く。
「何故、お前は僕を恐れない」
「え?」
「まさか昨日の事を忘れた訳じゃないだろう」
彼女は見たのだ。
目の前で。
あいつの正体と僕の秘密を。
出会って1日しか経っていなかったが、彼女はきっとその瞳に恐怖や嫌悪を映すと思っていた。
なのに昨日は
“大丈夫”
と言ったのだ。
ただの強がり。そう思った。
「私に怖がって欲しいんですか?」
「…それは」
彼女の感情が読めない。
喜怒哀楽ははっきりしているのに、肝心な所が解らない。
そんな人間は初めてでー
どうしていいのか分からなくなった。
「私、シエルさんもセバスチャンさんも恐いと思いませんから。セバスチャンさんが悪魔で、貴方がその悪魔と契約してたとしても」
あっさり口にされ拍子抜けしてしまう。
しかし、幼く見えるその顔は真剣そのもの。
「あっでも!」
突然の大声に思わずびくりとした。
「誰にも言わないので監禁とかは勘弁して下さい。それは恐いです」
「そんなこと」
する訳ないだろと溜息をつくと、彼女は心底安心したように胸に手を当てた。
「じゃあこれからもよろしくお願いします」
邪気のない笑顔。
“命を簡単に奪って良いとは思えないから”
彼女の言葉が蘇る。
あんな事が言えるのは平和に生きてきた証拠だ。
何も知らず甘い世界で。
だからきっと、僕の事を否定すると思っていた。
が、
“自分の手を汚すのは嫌”
彼女はそうも言ったのだ。
ただ綺麗事を並べる奴らと違い、自分勝手な発言も平然と口にする。
今まで一度も見たことのないタイプ。
扉をノックする音がしてあいつが入ってきた。
「おや、お目覚めでしたか」
相変わらず完璧な笑みを貼り付けたまま、奴は僕に向き直る。
「お話は出来ましたか?坊ちゃん」
「ああ。それじゃあ僕は失礼する。まだ仕事があるからな」
「あ、はい。ありがとうございました」
彼女は僕にー
奴とはまったく違う笑みを、浮かべて言った。
(何故か懐かしかった。その、笑顔が)
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