サンジが帰ってきて2ヶ月が経った。それに気付くのも、店の売り上げが前月比でぐんと伸びていることが事務作業中にわかったからである。それくらい私は毎日に忙殺されていた。

長い長い航海から帰ってきて、当たり前のようにバラティエで働き始めた彼のおかげで客足は絶えない。数は少なくなってしまったが、昔からいるメンバーは彼の帰還に憎まれ口を叩きながらも嬉しそうだった。一方で、私はというと未だに微妙な距離をとっていた。

サンジが麦わらたちと旅に出ると。海賊になると言い出ていく前、私たちは少なくとも恋人という関係性であったように思う。当時の私達は随分と若く、お互い子供だった。バラティエを出て行く前の日の夜、見た表情は知らないものだった。まっすぐと知らないどこかを見つめる目に、私が映っていないことをすぐに悟った。当時の私はというとやはり子供で、本心を言わずに黙って見守ることがオトナだと思っていた。言いたいことも言うべきことも何も言わずにただ黙ってサンジの背中を見送ったことを昨日のように思い出せる。

結局あれから何年も月日がたち、毎日を送る中で、いつの間にかサンジの存在は自然と頭の隅っこに追いやられるようになった。経っていく時間と共に顔も声も話し方も忘れてしまった。時々届く新聞で現在を知ることがあったが、そんな日はぼんやりとした姿を夢に見た。夢の中で見るのはいつも、あの日の夜。遠くを見る後ろ姿だった。結局未練なのか、と自問自答をしていたのは最初の1、2年。最近はそんな人もいたね、くらいの気持ちでいたというのに、いざ目の前に現れると全てが蘇ってくるのだから、人の心と脳みそは素直なつくりになっている。あの金髪を再び目にした時の、全身の細胞が騒ぐような感じは今後一生味わうことはないだろう。

今週の売り上げの帳簿をつけ終わり、伸びをする。営業中は賑わうホールも今は誰もいない。キッチンに一番近いこの席で事務作業をするのは、昔からの習慣だ。キッチン組は1時間ほど前に片付けを終えて部屋に帰っていった。みんなもう寝ているのだろうか。静かなレストランの中に、キッチンから静かに作業をする音が響く。随分前に飲み終えて、コーヒーが乾燥しているマグカップを持ってキッチンへ向かった。

「…まだやってるの?」
「あ?まーな。つうかお前もまだいたのかよ」
「週末締めだから時間かかるの」
「じゃあお疲れってことで、新メニュー食う?」

そこにいると元々わかっていた。サンジの提案に頷いて差し出された小さな皿を手に取った。新作のデザートには私の好きないちごが乗っている。

「…おいしい!」
「そりゃよかった」
「来月から出す?」
「んー…、そうだな」

気のない返事が返ってきたが、理由を聞くのはやめた。正直、サンジが帰ってきてからのこの2ヶ月、距離の取り方がわからなくなっている。私達の関係性を表す言葉は何になるのだろうか。「随分間空いちゃったけど、私達まだ恋人だよねー?!」なんてバカみたいに聞ける訳もない。
ゆっくり2人で話す機会でもあれば良いのだろうが、それを作ることも難しい。そのきっかけは、どう切り出せばいいのか。変にオトナになってしまった私達からは恐らく素直とかストレートという言葉は消えている。ただ、話を切り出しにくいのにも理由はある。

困ったことに、再び私は恋をしてしまったらしい。


「おい」
「え!?」
「話聞いてんのか?返事くらいしろよ」
「あ、ごめん…」
「疲れてんじゃねぇの?ちゃんと寝ろよ」
「うん、ありがと」
「…なんか素直なの、気持ち悪ぃな」
「は?!」
「お前もっと、素直じゃなかったというか、捻くれてただろ昔」
「え、そんな風に思ってた訳?!」
「ばか、昔の話だよ。むかし」

洗い物を片付けたサンジがタオルで手を拭きながら笑った。まぁ確かに。昔はよくぶつかっていた気がする。ただ、それは、距離が近かったからなのではないかとふと思った。ぶつかるほどの距離にもいまはきっといない。何より「昔」というキーワードに胸がずきずきと痛んだ。意外にもこのお年頃は傷つきやすい。

「さっさと戻ろーぜ」

大きなあくびをしながらサンジが言う。レストランスペースを出て、甲板に出る。今日の海は静かで、天気も良い。月が満月だからかいつもより少し明るい気がした。

「んじゃ、おれタバコ吸ってから戻るわ」
「ん、おやすみ」

レストラン裏のバルコニーでタバコを吸うのがサンジの習慣だった。よく、あそこで遅くまで2人で話したりもしたな、なんて思い返す。決まって、誘ってくれたものだった。今日はやっぱり誘ってくれない。後ろ姿を眺めていると、急に振り向いた。

「あのさ」
「え、なに」
「明日ひま?」
「え、明日、仕事、」
「いや、ジジイに言ってオフにしてもらった」
「は?なんで」
「…飯行こうぜ」
「急に、なに」
「急じゃねぇよ。ちゃんと言っとかねぇといけねぇことがあんの」

だから、明日11時に船出るからな、と一方的に告げられた。その目も、背中も、あの時と同じで。サンジがいなくなる、バラティエを出ると決めた時と同じだった。あの時、聞きたいこと言いたいことはたくさんあった。なんで行っちゃうの、いつ帰ってくるの、私は待っていていいの、連れて行ってはくれないの、行かないでよ。色んなことを全て飲み込んだ夜。私はすごく後悔をしていた。おかげで感情をどこにぶつければ良いかもわからなかったし、消化できないこともたくさんあった。今日までだって、本当は聞きたいことがあったし、言いたいこともあった。なんで帰ってきたの、ここにはいつまでいるの、好きな人はいるの、本当はずっと待ってたよ。

今回もまた飲み込むのだろうか。


「話ってなに、また、どこか行くわけ…?」

気が付くと口に出していた。と同時に私は泣いていた。ぎょっとした顔をしてサンジは私を見つめている。その顔には動揺がよく表れていて、半開きの口は次の言葉を紡ぐことができなさそうでいた。

「また、置いていくの?」

こんな年になってみっともない。そんなことはわかっている。今日が新月ならよかった。よりにもよって私の不細工な泣きっ面は見事に晒されているのだろう。それでも、涙というのは制御が効かず次から次へと。これまで溜め込んでいた不安が溢れるように飛び出してくる。

遠くを見るその目にいつも私は映らない。

「置いてかねぇよ」
「嘘つき、勝手にいなくなる」
「…あれは、悪かったって思ってる」

私達は2〜3メートルの距離を開けたまま会話を続けた。俯くサンジの金髪が月の明かりにきらりと反射する。昔からこの癖は変わらない。バツが悪くなるといつもこうやって俯く。その間に次の言い訳を考えていることは知っている。
銜えていた煙草を再度ケースに戻すと、サンジは真っ直ぐと私を見た。


「おれとここを出てくんねぇか」

迷いのない瞳と対峙する。突然のことに私は返事をできないままでいた。その瞳はこれまで見たことがないもので、どうすればいいのか。そもそもサンジは何を言っているのか。簡単なことを問われているだけだというのに、私は理解ができないでいた。いつもの、昔は当たり前にあったあの誤魔化しではない。

「おい、聞いてんのか」
「…聞いてる」
「…で?」
「それは、私は、どういう立場で行くの」

私の言葉にサンジが口を紡ぐ。また俯いたかと思うと、頭をかいて小さな顔で唸った。再度上げた顔は真っ赤で、さっきより数段大きい声で、

「んなもん、嫁だよ!!!」

怒鳴るような声とは裏腹に彼の表情もまた泣き出しそうだった。私はというとまだ言語の理解のスピードが追いつかず、ショートしたように固まっている。じゃあ明日な!!とくるりと踵を返すと、サンジはバルコニーへと消えて行った。はっとしてサンジを追いかける私は、初めてサンジと同じ未来を見つめる目をしている。
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