はちゃめちゃな転職から気がつくともう2週間が経っていた。時間がすぎるのはあっという間だ。次の予定はなんだっけ、と手帳を開く。

先日、日向さんが設定してくれた歓迎会に神宮寺レンは体調不良とだけ告げて、くることはなかった。日向さん、トキヤ、翔の3人は口を揃えて「悪いやつじゃないんだけど」と溜息をつきながら教えてくれた。私だって別に彼を極悪人だとか思っている訳ではない。むしろ先日の一件に関しては正面からぶつかりに行った私にも問題があると思うし、あの後に一緒にお食事なんていうのはやや気まずさもあった。日向さんからも「男の方が精神年齢低いんだから、もうちっと優しくしてやってくれ」とも言われた。確かにそうなんだけど。トキヤや翔と比べた時に随分幼く見えてしまったからという言い訳をぐっと飲み込んだ。

「なまえさん、終わりました」
「あ、お疲れ様です」

手帳に目を通していると、収録を終えた一ノ瀬トキヤが楽屋に戻ってきた。今日は30分のバラエティー番組のコメンテーター。同じ事務所の寿嶺二も一緒だと聞いて、私は収録の途中で局内の別部署で挨拶を済ませていた。とにかくどこへ行っても初めましての人ばかりなので、隙間を縫って挨拶をしないと回りきれない。

「なまえさんも水飲みますか?」

楽屋の冷蔵庫を開けた一ノ瀬トキヤが聞いてくる。本当に丁寧で気遣いができる。3人の中でも芸能界経験が一番長いだけはあるな、としみじみ実感した。

「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫ですよ」
「…なまえさん」
「はい」
「なまえさんの方が年上ですし、敬語は辞めていただけませんか」
「え?」
「敬語はなんとなく、緊迫感をおぼえますし。トキヤで良いです」

衣装の襟元を緩めながら言う。確かに私の担当する3人は私よりも年下だ。とは言えこの業界においては全員私より先輩である。それにだ。高校生以下だが、男性を名前で呼ぶなんて少し恥ずかしい。返事を渋っていると、一ノ瀬トキヤは「提案ではなくお願いです」と少し申し訳なさそうに笑った。

「…わかりました」
「ありがとうございます。ところで、次もあるんですよね?」
「次は神宮寺さんと一緒に音楽番組の収録で…スタジオも異動」
「レンを迎えに行きますか?」
「その予定。終わったばかりで申し訳ないけど、片付けて駐車場まで来て下さい」

ポケットにある車のキーを確認し、楽屋を後にした。
マネージャーの仕事は想像より多岐に渡った。通常のビジネスプロセスに置き換えると少々聞こえは悪いが、アイドルを商品とすると商品企画、提案営業、納品まで一貫して行うこととなる。もちろん場合によってはクレーム対応、品質管理みたいなところまで行っていく必要があるのだ。前の会社も大きい会社ではなかったから近しい動きをすることもあったが、今回は生きている人間だし、話を聞いた時にも感じた人の人生を背負う感はやはりある。そこのプレッシャーはもちろんあるし、アイドルなんてそもそも興味のない部類だったため余計にどうすれば良いのかわからない。

会社、というか事務所から貸与されている車に乗り込もうとしていると、聞き覚えのある声がした。

「あっれー?新人ちゃん??」
「あ、お疲れ様です。寿さん」

先ほど収録が一緒だった寿さんだった。緑色のビートルが斜め前に止まっている。事務所の人とは全員とあった訳ではないが、日向さんと仲がいいためか日向さんと打ち合わせしている最中によく執務室に表れ、そこで顔なじみだった。

「トッキーは?ていうか、いいなあ送迎!」
「寿さんはご自分で?」
「うん!車好きだしね!あ、今度ドライブしない??」

「寿さん。人のマネージャーをナンパするのは辞めて頂けませんか」
「トッキー!顔怖いよ??」
「本当にお暇なんですね」
「ひどぉい!」
「なまえさん、早く行きましょう」
「えぇっ!次もあるの?」
「ええ、忙しいので」
「あ、あの、すみません、寿さん」

えーん、僕も仕事欲しいよぉ〜と嘆く寿さんに頭を下げ、車に乗り込んだ。

「…面白い人ですね」
「…同じ事務所であることがたまに恥ずかしいです」

発車した私たちの車にぶんぶん手を振る寿さんに重い溜息をつきながらトキヤが呟いた。



マンションの下についたのと同じタイミングで神宮寺レンは自動ドアをくぐってでてきた。本当に喋っていないと絵になるというか、アイドルにあまり興味のない私でも、二度見くらいはしてしまう出で立ちだ。
「お疲れ様です」
「お疲れ。あ、今日はイッチーも一緒か。よろしく」

後部座席に2人が並ぶ。私の挨拶に返してくれるようになったことは実はやや進歩。最初の1週間は目を見るだけで何も言葉を発しないことも珍しくなかった。警戒心の強い野生動物のような感じだ。トキヤたちにそれを咎められたのかここ最近は挨拶はひとまずしてくれるようにはなった。まぁ、喧嘩のような出会いだったし、少し仕方ない部分もあるのかもしれない。とはいえ無視は少し腹が立つが。そんなことを思っていると後部座席では、このあとの収録についての打ち合わせが行われていた。なんだかんだで、結構真面目であることはこの2週間で知ることができた。

「では、収録がんばって下さいね」
「見ていかないんですか?」
「本当はそうしたいんだけど、打ち合わせがあって」
「そうなんですね。わかりました」

楽屋について座っている2人にそう告げる。彼らも収録という勝負かもしれないが、私も実はこの後勝負なのだ。

「あ、トキヤは今日はこれで終わり。で、神宮寺さんはこの後一本あるので、」
「わかってるよ。楽屋で待ってればいいんでしょ?」
「はい。トキヤは申し訳ないけど、自分で帰って下さい」
「わかりました」
「…結構仲良くなってるんだね。名前で呼んじゃって」
「え?」
「仕事は贔屓なしにちゃんととってきてね、敏腕マネージャーさん」
「レン!」
「…私は大人なので、贔屓なんてしないですよ。相手によって態度も変えません」
「…ふぅん。そっか。じゃあ期待しとくね」
「レン、あなたは何故そう、」
「トキヤ、それはもういいからちゃんともう一回打ち合わせておいて」

それだけ伝えて楽屋を出た。まぁどう考えても私も子供だった。なんでああも突っかかってくるのか。そして何故つい嫌味で返してしまうのか。未だきちんと話をできていないこともあり余計そうなってしまうのかもしれない。トキヤも来栖くんも何故アイドルになったのか、というベースの部分の話はそれぞれ2人きりでしている。それと比べると彼とはほとんどそんな話をしていないし、今思うとそもそも2人だけで仕事というのはこの期間中なかった。というか、今日が初めて2人での仕事だ。なんだか今日は初めて尽くしで、若干憂鬱になる。

今日の打ち合わせもそうだった。日向さんから一つ、ミッションを与えられていた。『新規で営業をかけてくること』だ。私のこれまでの仕事はもちろん営業という立場で仕事をとってくることもしていたが、営業といってもある程度既存のものが多く、前回よかったからぜひ、なんて話になることが多かった。そのため元々テレビ出演の多いトキヤへの話が割合としては多く、そこに抱き合わせる形で神宮寺さんや来栖くんの話をもっていき獲得をしていた。幸いにもタイプが違う3人なのでやりやすかった。そこから前回の神宮寺くんよかったから、なんて話が来ることはあったが、純粋にとってきた仕事はあまりなく、今後の課題ということで日向さんからは今週は新規営業週間と言われていたのだ。仕事の入り状況を見ても、今日の私は「神宮寺推し」で行かなければならない。ブラウスの襟を正して、打ち合わせの会議室に足を運んだ。

***

今日は来月収録予定の特番の打ち合わせだ。私の担当の三人衆は全員出演する。しかも割とメインであるため、事前打ち合わせにまずマネージャーの私が参加させてもらうこととなったのだ。所謂事務所的にOKかどうかとか、企画の大枠を確認し、詳細が固まる前に修正を加えて行く。刺激的なコンテンツを求めるテレビマンはちょっと目を離すととんでもないことを思いつく。さすがにアイドルの乳首にザリガニはNGだ。随所で手を上げながら要望を伝える。ただし枕詞は忘れずに。褒めに褒めてからさすがにアイドルなんで〜と苦笑いしておけば怒られることはない。じゃあマネージャーちゃんがやってくれるぅ〜?みたいな冗談にも喜んで〜なんて答えるのも慣れてきた。言ってもまだまだ駆け出しアイドル。使ってもらってナンボの世界。パイ投げの中にからしが入っている、前提がすでに罰ゲームなロシアンルーレットには悲しいけれどOKを出した。

「それじゃ、また次の打ち合わせで!」

そう言って会議室を出て行くプロデューサーにお辞儀をする。完全にドアが閉まったのを確認してすっとジャケットのポケットから名刺入れを取り出すと、今回の番組を音楽を取り仕切っているというサウンドクリエーターの方に挨拶をする。そこから五月雨式に制作会社、カメラマン、広告会社と挨拶をする。特に今回の狙いは広告会社。CM、雑誌の広告なんでもいいから使ってもらうためにまずここに知ってもらう必要がある。香水の匂いをプンプンとさせる目の前の男は普段なら絶対に関わりたくないタイプだ。だが、今は精一杯の愛想と笑顔をふりまく。

「あ〜、シャイニング事務所の。新人さん?」
「今月から働かせて頂いてます。今後、ぜひよろしくお願いします」
「へえ!前は?なにしてたの?」

有難いことに、前のあの会社は話としては非常に重宝させてもらっている。かくがくしかじか、その話をするとこの業界の人たちは心配するどころか爆笑して面白いね〜きみ!なんて言ってきたりする。別に私が面白いわけではなく、周囲がややネジが外れているだけだ。目の前のこの人も例に漏れず笑っている。

「で、なんだっけ、今回出る3人の担当してるんだよね?…あ、一ノ瀬くんは一回CMに使わせてもらったことがあるよ」
「ありがとうございます!またよろしくお願いします」
「…あれ、それだけ?」
「いや、他の2人は売り込まないのかなと思って。面白ついでに覚えておくけど」
「え、あ…はい!神宮寺レンはモデル向き、来栖翔はスポーツ番組向きかと」
「…ん〜それだけ?」

少し厳しい目戦に、次に続く言葉が出てこない。3人それぞれの強みってなんだろう。魅力ってなんだ。私は何もしらない。わかっていない。

「…多分さっき言ったことは君が決めることじゃない」
「え?」
「それは消費者が決めること。勝手にブランディングしていいの?」
「え…っと…」
「まぁいいんだけどさ。考えとくよ。これ俺の名刺ね」
「あっ、ありがとうございます!」
「シャイニング事務所も何考えているのか知らないけどさ、新人さんに新人さんつけたら両方潰れちゃうよね。いかすも殺すも君次第だよ」

じゃ、と言って立ち上がるとさっさと部屋を出て行ってしまった。残された私はというと、突然恥ずかしさが襲ってきて今すぐ帰りたい気分になった、何も準備せずともにこにこ愛想を振りまいていればなんとかなった前職とは違う。競合は死ぬほどあって、持っている商品の違いも明確にある。それを理解せずになんとかなるだろうと思ってきてしまったことが恥ずかしかった。今になって、神宮寺レンの言葉が思いおこされる。新人を売れるとは思えない。その通りだ。貰った名刺を丁寧にしまって、会議室をあとにした。

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