嫌なことは、いいことの後に起こる。これまで割と経験してきたことだった。ただ、それにしてもいいことに対しての嫌なことが大きすぎる。自分が1位の星占い、ラッキーカラーはオレンジだと出勤途中の電車の中で見た。偶然にも今日のピアスはオレンジ。いい滑り出し、なんて思ってたら。元々そんなに信じてなかった星占いは金輪際信じないし、オレンジも一生身につけない。出勤した会社での異常事態を眺めながら、そう決心した。

「あっ、名字さん!!!どうしよう!!!これ!!!!」

涙目の課長が私に気付き声をかけてきた。私よりも先に出勤していた社員は真っ青な顔で電話していたり、自分のデスクを黙々と片付けていたりまるでもうお互い他人のようだった。

「…まぁ、いわゆる夜逃げですよね」
「そう!!そうなんだよぉ!!!どうしよう!!」

この中で唯一役職がついているくせに誰よりも落ち着きのない課長にそう言うと、さらにパニック状態へ誘う結果となってしまった。オフィスをぐるりと見渡すと見事金目のものはなくなっていた。ご丁寧に私が大切にしていたそこそこするペンもなくなっているからご苦労なことだ。ここ数週間社長が私たちの間をウロウロしていたのはそのせいか。混沌とした空間にいることが苦痛でしかなく、引き出しを開け必要なものだけカバンにぽんぽん放り込むと半泣きの課長に向かって「お疲れ様でしたー」とだけ伝え忌まわしい場所を後にした。

***

テレビの中の世界が目の前で起こっていた。別に決まりがある訳でもないのに、私の足は気がつくと公園へ。子供たちですらいない公園のベンチでひとつ深呼吸をした。浮かんできたワードは「やばい」の一言。先月の給料はまだ振り込まれてないはずだし、明日からどうやって生きていくべきなのか。携帯を握りしめて俯いた。会社の経営傾いてたのわかってたのに何故転職しなかったんだろう。今思っても仕方ないけど。

「なまえちゃん??」

私の名前を呼ぶ柔らかい声に顔を上げた。そこにはよく見知った顔が。

「…月宮くん?」
「あーやっぱりなまえちゃん!こんな時間に会うの初めてだね」

にこりと微笑む顔はまるで女の子のようだ。ショートカットの髪の毛がふわりと揺れる。よくいくバーの常連同士の私と月宮くん。年齢は不詳。いつも会うのは夜だから太陽の下でコンニチハは新鮮である。ランニング中なのか、ジャージ姿の彼が私の隣に腰掛けた。

「さぼり?営業だったよね、仕事」

私の横に座ると月宮くんは無邪気に笑った。悪い子だね〜とくすくす笑う彼の仕事はそういえば知らない。こんな時間に走ってるくらいだから働いてないに違いない。いいなぁ。

「さっき無職になった」
「え?」
「さっき出社したら夜逃げしてた。だから無職」
「え?!夜逃げって本当にあるんだ!!」

驚くのそっちか、と思いながらため息をついたら自然と涙が出てきた。それに気付いたのか月宮くんが途端に慌てだすのがわかった。

「えっいやごめん!大丈夫??じゃないよね??」
「月宮くんと同じ、無職だよ…」
「え」
「もし、転職活動してるなら一緒に頑張ろうよ…」

親に心配かけちゃだめだよ、親のお金でお酒飲むのもだめだよと言うと、ぽかんとした顔をしていた。そしてその後むすっとした顔になる。

「俺ちゃんと働いてるし!」
「ええっ?!」
「平日休みの人だっているでしょ」
「だって、前サラリーマンじゃないし経営してる訳でもないって言ってたじゃん。あ、株やってるの?」

できれば株を教えてくれ、なんて思いながらそう尋ねると深いため息が返ってきた。

「俺もまだまだだね、頑張らなきゃってわかったよ」
「え?」
「ねえ、なまえちゃん。ちょっと待ってて」

そういうと彼は携帯を取り出すとどこかに電話をかけだした。あ、リューヤ?人足りないっ言ってなかったっけ、あ、やっぱり、ちょうどいい人見つけたけどどう?ちょっと待って確認する。ねぇなまえちゃんって何の営業してたの?名刺印刷の営業か。ありがとう。名刺の印刷だって。無形みたいなものだよ、なんとかなると思う。今事務所にいるの?じゃあ連れてくね。じゃあ後で。

「あ、あのー…」

明らかに話が勝手に進んでいる。私もそこまで馬鹿じゃない。恐らく仕事を斡旋してくれていることは確かだ。電話を切った月宮くんがにこっと微笑む。やっぱり女の子みたい、なんて思っていると手を引かれた。

「いこっか」
「え」
「うちの事務所。仕事紹介してあげる」

すたすたと歩く彼に引っ張られる。片手を挙げてタクシーを止め、一緒に乗せられた。

「え、ちょ、待って。事務所ってなに?!」

運転手に何かの名刺を渡して住所を教えている月宮くんに聞くと、あててみて、と返ってきた。

「設計事務所?」
「ぶー」
「…弁護士?」
「ちがいまーす」
「……や、やくざ」
「ちょっと!俺がそう見える?」

いや、見えないけど。でもサラリーマンじゃなくて事務所って何だ。頭が混乱してくる。少なくとも設計事務所でも弁護士事務所でも私が役に立たないことは確かなので少し安心した。

「なまえちゃんあんまりテレビ見ない?」
「忙しかったから、あんまり」
「そっかぁ。じゃあシャイニング事務所って知ってる?」

まぁ、さすがにそれは聞いたことがある。アイドル専門の有名なところ。興味ないけど。

「…え、事務所ってまさか」
「うん、まぁそこ」

あ、ついたみたい、という声の後緩やかにタクシーが止まった。無職さーんおりてーと無理矢理降ろされタクシー代を払ってる月宮くんを待つ。目の前には荘厳な煉瓦造の建物と変な銅像。今の私はきっとバカみたいな顔をしている。まだ状況を理解できていない私に、はいはい行くよーと声をかけると月宮くんは建物の中に足を踏み入れた。慌てて後をおいかける。飛び込みの時よりも緊張をしている私に気遣う様子もなくすたすたと進んでいく。執務室と書いてある部屋の前で足が止まった。

「リューヤ、入るよー」

ノックと同時に部屋に入る。そこそこ広い部屋に大きなデスクとパソコン、大量の資料。パソコンの向こう側には眼鏡をかけた男の人。

「早ぇよ」
「タクシーできたから」
「…で、その方?」

椅子から立ち上がった「リューヤ」という人の顔がようやくはっきり見えた。

「日向龍也!!」
「…ちょっとぉ、リューヤのことはわかるの!?」
「つ、月宮くん、すごい人と知り合いなんだね!芸能人!!」

思わず隣の月宮くんをばしっと叩くと、月宮くんは固まり、日向龍也は爆笑した。ぷるぷると震えている月宮くんはいつにも増して低い声で私にソファに座るように促すと、ちょっと着替えてくる!!と部屋を出て行ってしまった。こんな場所に芸能人と2人きりにしないで!未だ笑いが止まらない日向龍也は改めて私をソファに座らせる。

「…月宮くん、怒ってましたかね…」
「いんや、悔しいだけなはず。あ、改めて。日向龍也と申します。この事務所の取締役も務めてます」

差し出された名刺に慌てて立ち上がり受けとる。残念ながら返す名刺はないけど。名字と申します、とだけ伝えた。

「芸能人なのに、取締役もしてるんですね…」
「まぁ、こういう仕事嫌いじゃないので。あ、お茶いれるから座って待ってて下さい」

日向龍也は昔からテレビで見かけていたから知っている。友達がいつか結婚するといっていたのを思い出す。実物は意外と大きいなという感想を抱きながら深呼吸する。とりあえず連れてくるだけ連れてきて月宮くんはどこに行ってしまったのか。落ち着きなくキョロキョロしていると日向龍也かお茶を持ってきた。不思議な光景である。

「どうぞ」
「あっ、ありがとうございます」
「…名字さん、俺のことは知っててくれたんですね」
「は、はい!」
「月宮とはどこで?」
「よく行くバーの常連で、飲み友達です」
「あいつの仕事知ってる?」
「いえ…ニートだと思ってました」

私がそう答えると私の向かいに座っている日向龍也はまた笑った。それと同時にドアがバン!と開く。

「誰がニートよ!失礼ね!!」

いつもの月宮くんより高い声がして、振り向くとそこには、

「月宮…え!?!月宮って、あの?!オカマの?!」
「こら!女装アイドル!!月宮林檎!!」

うっすら聞いたことがあるし、見たことがある。多分先月買った雑誌に載っていたはずだ。読み飛ばしてた。家に帰って読もう。もう!と口を膨らますと日向龍也の隣に座る。まさか、月宮くんが芸能人なんて。まだうまく整理できない。

「じゃ、林檎。俺も名字さんもよくわかってないから説明頼むぜ」
「はいはい、もちろんっ」

さっきまで男の子だった月宮くん、いや林檎ちゃんが返事をし、私はごくりと唾を飲んだ。もし、芸人の言葉を借りるならば、なんて日だ!
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