暑い。本当に暑い。輪郭をなぞるように落ちる汗を手の甲で拭ったらファンデーションがついた。夏ってこんなに暑かったっけ?子供の頃より絶対暑くなっている。これだけ汗をかいたら、ウォータープルーフの日焼け止めもあんまり意味をなしてないんじゃないかと思う。汗をかきたくないなら、焼けたくないなら外に出るなと言われている気がする。

「…なまえ!!!」

このクソ暑いのに突然名前を呼ばれた。暑いのは関係ないか。どっちにしろ一刻も早く目的であるアイスクリーム屋に向かいたかったのに、私の早足を止めるおたんこなすが、暑さに頭をやられたおたんこなすがこの世に存在することに変わりはない。このまま立ち止まらせてアスファルトの上でこんがり調理する気か?犯人を探して振り向いたら、アイスコーヒー片手に変な顔をしているカタギリさんがいた。

「あーカタギリさん、こんにちは。じゃっ」
「じゃっ!じゃないよ!待って!」
「私急いでるんで!」
「…?僕は急いでないから安心して?」

この人は、この連合の軍の技術部のスーパーエースにも関わらず一般的な会話をさせると急に馬鹿になる。その辺の小学生の方がよっぽど賢い。賢すぎてどこかに「コミュ力」を落としてきた私の上司はアイスクリーム屋への道をどうしても阻みたいらしい。毎回ドーナツの差し入ればかり食べさせられていてうんざりしているのに、プライベートまで邪魔をしてくるのかこの男は。今日は久しぶりの休みなのに。

「いや本当に急いでるんで!」
「なんで!別に誰かと約束してる訳じゃないだろう?」
「失礼な人ですねホント!」
「だって今日の休み急に決まったじゃないか」

そう、今日の休みは急に決まった。昨日、今年入ってきた新人の男の子が徹夜明けで派手に転んでコーヒーをパソコンにぶちまけ、挙句使う予定の資料が入ったメモリーカードたちも散乱、一部使えなくなり再度取り寄せることになってしまった。辞書の「顔面蒼白」の項目の挿絵にしたいくらい顔面蒼白な新人の男の子、騒然とする同僚、誰も言葉を発しないピリッとした空気の中、明るく優しい声で「よし!明日は休みにしよう!疲れすぎはよくないよね。明後日から追い込むことになるけどその為に明日は全員休み!」と宣言したカタギリさんは最高に輝いていた。本当、上司としてはめちゃくちゃ有能なのにな。

「そう!そんなことはどうでもいいんだよ!君、」
「あのー…お客様、お帰りでしたらお会計を…」

張り切って何かを言おうとしたカタギリさんを腰がめちゃくちゃ低い喫茶店の店員さんが遮った。よくよく見たらカタギリさんの手にあるのはテイクアウト用のプラスチックカップではなく思いっきり喫茶店のグラスだ。ハッ、としたような顔をしてグラスを見たカタギリさんは私の手首を掴んだ。

「すみません、すぐ戻ります。ほら!」
「え、いやちょっと…私行かないですよ!」
「はぁ…我儘言わないで。店員さんが困ってるよ」
「……」

多分この人暑さで頭がオーバーヒートしてるんだろうな。そうに違いない。何言ってんだこいつ、という顔をした私と店員さんは何故か呆れた顔をしたカタギリさんを先頭に喫茶店に戻る羽目になった。なんなのこの人。一体全体どういうことなの。

「ほらほら、座って座って」
「……」

お前の家か?そういいたいのをグッと堪えて、店員さんにアイスティーで、と伝えた。カタギリさんはどうやらパソコンを放りっぱなしで外に出たようで、私がほんの出来心で貼った変な顔の猫のシールがこっちを見つめている。唯一感謝するとしたらこの冷房の効いた喫茶店に連れ込んでくれたことだろう。

「ん?どうしたの?変な顔して」
「……いや、なんでもないです…」

出かかったため息を飲み込んで、カタギリさんの前に座る。いつもより低い位置のポニーテールに白いシャツ、白衣がないだけで随分と印象が違う。

「で、なんですかいきなり店に連れ込んで。場合によってはパワハラで訴えますよ」
「はぁ、最近の子はすぐそれ言うんだから」

本題に入ろうとした私の前にアイスティーが運ばれてくる。本当は一気飲みしたいのを我慢してストローに口をつけた。

「で、なんですかカタギリさん」
「そう、そうだよ!君ね!!」

いきなりヒートアップし出した。パソコンをぱたんと閉じて私の方をまっすぐ見つめてくる。眼鏡の奥の目が泳いでいる上、頬は少し赤い。サッと視線を逸らしたと思うと急にボソボソと話し出して全く聞こえなくなった。何なのこの人。

「え?なんですか?」
「…服…」
「え?」
「だっ、だから!!そ、そういう格好はどうかと思うよ?!?!」
「はぁ??」

どういう格好だよと思いながら自分の服を見る。今日はめちゃくちゃ暑かったからノースリーブにフレアスカートとサンダルだ。テキトーすぎるってこと?

「別に普通じゃないですか?テキトーすぎました?」
「全然!!!普通じゃないよ!!!!」
「えー?そうかなぁ…」
「だって!普段そんな…そんな腕出してないじゃないか!」
「まぁ白衣来てますからね」
「あ、あと!スカートも!!!」
「いつもパンツですからねぇ」
「ぱ、パンツ?!?」
「…ズボンのことです」
「あ、あぁ、びっくりした。大体風が吹いたら!!どうするんだい?!」

隣のテーブルの人こっち見てるから。女なんて大抵スカート履いてるから。そう言いたくなったが目の前の、優秀なはずな上司は風紀委員みたいなこと言い出して興奮している。この人今までどうやって生きてきたんだろう。

「どうするもこうするもないですよ。ていうかそんなことでわざわざ?」
「そんなことじゃないよ!!!ふと窓の外見たら君がそんな格好で歩いてるから!心臓が止まるかと思ったよ!!」
「大袈裟な…」

ビリーカタギリ講演会を聞いてると頭が痛くなってくる。アイスティーを飲みながら頭を冷やす。ちょっとからかいたくなってストローでくるくるとグラスの中の氷を混ぜながら攻撃を仕掛けてみた。

「ていうか、ソレ、いつもと違って私がかわいいってことじゃないですか?街中で見つけちゃうくらい」
「……確かにかわいい」
「えっ」

予想外の返答に氷の回転を止める羽目になってしまった。私をじいっと見つめてカタギリさんは、うん、と頷く。こういう答えが欲しかった訳じゃない。もっとなんかこう、焦るカタギリさんが見たかっただけなのに。

「だから!ダメなんだってそういう格好は!!へ、変な男の人が寄ってきたらどうするんだい!!お茶でもとか言って!!」

お茶でもと言ってきた変な男の人張本人に言われても何も響かないが、カタギリさんはどうやら本気で私のことを心配しているようだ。まあ、悪い気はしない。ていうか、そこそこ嬉しい。

「ついてっちゃだめなんですか?」
「だめだよ!!」
「ふーん」
「ふーん、じゃないよ!全く、仕事はできるけどプライベートはてんでダメだね」

はぁ、と深いため息をつくカタギリさんがついに可愛く見えてきてしまった。変だけど、段々可愛く見えてくることがよくある。何かの呪いにかかってしまったんだろうか。緩む口元を手のひらで覆って肘をついた。またさっきの猫のシールと目が合う。あれ?

「…カタギリさん、ひょっとして仕事してました?」
「エッ!!!いやそんなことないよ!!」
「だってこのパソコンプライベートのじゃないでしょ」

私の質問に急に黙り込んだカタギリさんの近くにあった伝票を奪うとアイスコーヒー5杯と書いてある。これは間違いない。

「朝からですか」
「う、うん…」
「休みにするって言ったじゃないですか!!!なんでそんなコソコソ自分だけ!!」
「だって!僕が休みの日に仕事してると君怒るじゃないか」
「そりゃそうですよ!チームの仕事なんですから、責任者とは言えカタギリさんだけが多くするって言うのは違います!」
「明日から使うデータを集めてただけだよ、それにちょっとでもみんなには楽して欲しいからさ」

だから内緒にしててね、そう言って微笑むカタギリさんは悔しいけど格好いい。責任者だからといって傲らず、少しでも私たちが働きやすいように誰よりも頑張るカタギリさんのことが私はいつだって心配だ。頭が良くて、仕事もできて、優しくて。発言は時に突拍子もないけれど、誰にも見つけて欲しくないとつい願ってしまう。同じチームの女の子が薄々この良さに気付いてるんじゃないかと考えるだけで心配になる。知っているのは私だけでいい。

「…内緒にしてあげます。その代わり、残りは私も一緒にします」
「いや、それは、」
「私の家歩いて10分くらいなんで、そこでしましょう。持って帰ってきてますし」
「えぇ?!家?!だ、だめだよ…」

男が女の子の家に行くなんていくらなんでそれはよくないよ世間がなんていうかこんなの軍にバレたらクビになるかもしれない大体部下の家に押しかけたとか思われたらセクハラ案件として扱われるし、等とうだうだ言っているカタギリさんはやっぱりおかしい。

「じゃあ1人で帰れって事ですか?この格好で、家まで。声かけられちゃうかも」
「そ、それはよくないよ!!本当に!!危険だよ!!」
「じゃあ決まりですね、行きましょう」

氷が溶けて薄くなったアイスティーを飲み干して、今度は私がカタギリさんの腕を掴む。あわあわしながら荷物をつめるカタギリさん。本当に誰にも見せたくないなぁ。

「終わったらご飯作るんで一緒に食べましょう」
「えぇ?!」
「どうせ女の人の手料理なんてお母さんの以外食べたことないでしょカタギリさん」
「し、失礼な!!」
「え…あるんですか…?」
「なんでそんな悲しそうな顔するんだい?!どうせないよ!」

カタギリさんの回答に満足した私は、どうやったらこの鈍いにもほどがあるカタギリさんの気持ちをこじ開けて、その上で閉じ込めておけるかについて考えることにした。

露出にうるさい


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