目の前にいる男はどうやら「夢」という奴を追って本格的に海に出るらしい。雑誌のクロスワードを解きながら聞く話題ではなさそうだったが私は手を止めようとはしなかった。彼が話すのはあくまで結果論なのだから今私が何をしようと、例えば目の前にある甘ったるいカクテルをローにぶっかけようと何も変わらないのだ。

「…手ェぐらい止めろ」
「なんで?」

ちらっと視線をローに向ければ大層ご立腹だった。どこかのなんとかっていう海賊の船に乗って海賊体験入門みたいなことをちょこちょこしていたこの男がいつか自分で仲間を見つけてそう言い出すことは目に見えていた。そもそもこの島にいる時間だって短かったし、一年のうち半分は陸ではない海の上で過ごしてきたはずである。「恋人」という言葉にすれば甘い関係ではあるが実際は違う。言うならば静まり返った海のような関係だった。お互いのことは深く干渉しないし、口出しする訳でもない。ローは時々私の私生活に何やら文句をつけることがあったが少なくとも私はしなかった。恋人である以前に全く違う個人なのだから何を言っても仕方がないと私は半ば諦めていたのだ。

「あーじゃあ…乾杯」

ローのグラスにコツンと自分のグラスをぶつけると彼の眉間にはさらに皺が寄った。この顔は別に怒っている訳ではなく「意味がわからない」と言いたいのだ。

「何にだよ」
「んー…ローの門出?あとは一般人からの卒業と犯罪者への入学を祝って」
「ふざけてんじゃねぇよ」
「ふざけてないよ、本気」
「だからそれがふざけてんだよ」

殺意でもこもってそうな目が私に向けられる。この目は苦手だ。普通に怖い。苛々し始めたのか急に始まったローの貧乏ゆすりに酒場の古いテーブルが小刻みに震えていた。彼は目の前の酒を一気に飲み干すとマスターにおかわりを要求した。

「他に、」
「え?」
「他に言うことはねぇのか」
「………頑張ってね?とか?」

それ以上は何も思いつかなかった。だがその言葉がどうやら一番いけなかったらしい。

「てめぇいい加減にしろよ!」

珍しくローが大声を出した。一瞬びくっと震えたがそれは私だけでなかったらしく周りの客も、新しい酒を持ってきた店員も同じように驚いていた。

「なんでお前は、」
「ロー、声が大きい、うるさい、迷惑、黙って」
「てめぇ!」
「ロー」

いくら賑やかな酒場とは言えこれは十分迷惑だ。私が真っ直ぐローの目を見て言えば彼は観念したように口を噤んだ。はぁ、と溜息を一つついてカクテルを口に運ぶ。

「何をそんなに怒ることがあるの」
「お前が他人事だからだろ」
「それは…」

だって他人事だもん、と言おうとしたがやめた。これ以上刺激したって何の意味もない。それにこれ以上の駆け引きはなんとなく危ない気がしていた。今度は目の前のローが深い溜息をついた。じろりと私の方を見る。

「…本気で置いてくぞ」
「へぇ、連れていってくれるつもりだったんだ」
「……いらねぇよ、お前なんか」

雑誌をパタンと閉じてバッグに仕舞った。ローは新しい酒に口をつけている。しばらくの間沈黙が流れた。私はいつからか気付いていた。お互いがお互いどこかでこの関係を演じていることを。お互いが静かな関係というのを望んでいるものだと思ってそういう風に振舞ってきた。ローは時々それができていなかったが。実際のところのお互いの気持ちという奴は海だとかで表現できるようなものではなく炎に近いように思う。相手を燃やしつくさんばかりのそれを海という虚像で隠していたのだ。おそらくローはそれに気付いていない。私の気持ちなどには気付いておらず、駆け引きをどこかで楽しみつつ優越感に浸っている私に焦りと怒りを感じている。だから珍しく取り乱しているのだ。私は性格が悪いのかもしれないが平気で私を置いて海に出かけていっていたことの仕返しだと思えばカワイイものである。

「いらねぇ」
「……」
「置いて行く」

私の目をまっすぐ見てそう言っていたが、その目には不安の色が宿っていた。ローは試しているのだ。そして私が涙を零して「連れていって」と頼み込むことを望んでいる。

「そう」
「…お前…」

実に間抜けな顔だ。そう思いながら残っていたカクテルを一気に飲み干した。やっぱり甘ったるい。そう思いながらも立ち上がるとローの視線もそれに合わせて動く。財布から何枚かお金を出しテーブルの上にポンと置いた。

「私は別にいいけど、ローは私を置いていけるの?」
「……」
「それならいいけどね」

じゃあね、と言って彼に背を向けた。ちょっとやりすぎたかな、とも思ったが酒場の扉のところに着くまでに背後からローの私の名前を呼ぶ声がした。そしてそれに止まらないことに焦って酒場のマスターにお金を押しつけている。ドアを押して外に出た時には、後ろから焦る足音と繰り返し呼ばれる私の名前が聞こえた。その直後に腕が引かれ私の歩みは止まり振りかえる。焦りと困惑と怒りがごちゃまぜになったようなローの顔は泣きそうな顔に近かった。腕が引かれてローに強い力で抱きしめられる。さて、このあとこの新人船長はどんな口説き文句で私を引き止め落としてくれるのだろうか。それだけは全く想像がつかない。やがて絞り出したような声で発せられた言葉に、私はローの胸に顔を押し付け、小さく笑って頷いた。
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