私たち研究者というのはどうしたものか、プライベートというものを二の次にしてしまう傾向があるらしい。だから独身の者が圧倒的に多いし、恋だってロクにしたことがない者もいる。というよりきっと研究に恋してしまっているのだろう。どこまでも追い求めるそれはどこか恋に似ている。ただ、別にそういった願望がないという訳ではないのだけれど。

「寂しいものですねぇ」
「ん?何がだい?」

午前零時をとっくに回っているというのに私とカタギリさんはモニターと睨めっこしていた。仮眠室に行ってしまった同僚や、床で毛布にくるまって寝ている先輩、とりあえず生き残っているのは私とカタギリさんだけ。さっきから欠伸を連発している私と違っていつもと変わらない緩い笑みを浮かべたままのカタギリさんは私の言葉に返事を返す。

「カタギリさんは寂しくないんですか?」
「だから、何が?あ、今送ったデータの検証よろしく頼むよ」
「はーい…もう結婚してもいい年じゃないですか、普通」
「あ、そういうことか。その話は親戚連中に散々言われてるから君にまで言われたくないんだけどな」
「そういう願望はないんですか?」

結婚しろ結婚しろ、と言われているのはカタギリさんだけではない。私だって久しぶりに実家に帰れば盛大な溜息と共に同じ台詞を何度も吐かれるし、ともすればお見合いだなんて一体何時代の文化かわからないことを口走るのだ。だけど、私も別に恋なんてこりごりだとか結婚に興味がない訳ではない。きっとそれは幸せなことだろうし、そういう日常もある意味研究とは違った刺激をくれることはなんとなくわかる。

「まぁ、できたらしたいけどね…相手がいる問題だからねぇ」
「恋人はいないんですか?」
「君は僕と結構一緒にいる方だと思うけどわからないかい?」
「いないですね」
「正解。君もそうだろうけどそんな時間もないし理解してくれる人もいないだろう?」
「そうですね…ってちょっと失礼じゃないですか、それ」

カタギリさんが声を上げて笑うものだから、久しぶりにモニターから目を離してカタギリさんの方を見る。同じようにモニターから視線を外しているカタギリさんと目が合って、そろそろ休憩しようか、という声がかかった。立ち上がってから先輩を踏まないように、部屋の隅にあるコーヒー入りの保温ポットとドーナツが詰まった箱を持ってくる。空になっているカタギリさんのマグカップと自分のマグカップにコーヒーを注いだ。

「ありがとう」
「いいえ。はい、だーいすきなドーナツですよ」
「君は気が利くねぇ。いい奥さんになりそうだ」

早速ドーナツを頬張りながらカタギリさんは言う。どうも小馬鹿にしている感が拭えないのは気のせいだと思いたい。

「そうだ、お互い3年経ってもいい人がいなければ結婚しましょうよ」
「お、それはいいね。職場も一緒だし、君はきちんと理解してくれそうだ」
「…これ以上親から小言を言われるのは3年が限界です」
「僕もだよ。できるだけ実家には帰りたくないし」
「私もです。でも、実家犬飼ってるんですけどあの子には会いたいんですよねー」
「奇遇だね、僕もだ」

いつの間にかお互いの犬自慢をしていたら、床で眠っていた先輩が目を覚ます。それがきっかけで犬トークを終了させて再びモニターに向き直った。夜はまだまだ長いのだ。
カタギリさんはいい上司だし、一緒にいてそんなに気を使わなくて済むし、同じ研究者な上付き合いも長いので考えていることもなんとなくはわかる。それなりの信頼もある。一瞬だけ、彼との結婚生活を想像する。きっと悪くないな、なんて思いながら私はモニターと睨めっこを始めた。

気がつくと8時だった。肩にそっとかけられた毛布が落ちないようにしてから伸びをすると、仮眠室に行っていたはずの同僚はとっくに帰ってきていた。大きな欠伸を一つしていると、昨日床で眠りこけていた先輩から仮眠室で少し休憩してこいとの指示をもらう。ふと横の席を見るといつものポニーテールはそこにいない。

「カタギリ主任ならさっき仮眠室に行ったぞー」
「あぁ…そうなんですか」

きょろきょろと辺りを見回す私にそんな声がかかる。毛玉がたくさんついた毛布をイスに置くとそのまま部屋を出た。ぼーっとする頭でふらふらと仮眠室に向かう。途中すれ違う軍の人たちは皆十分な睡眠を取ったあとのせいか爽やかな挨拶をしてくる。そのあと少しだけ歪められる顔は薄くした化粧が落ちてきているせいだろうか。仕方ないじゃないか。ぼさぼさの頭だって仕方ない。角を曲がったところで見慣れたポニーテールが目に入る。仮眠室のドアの前でつったっているのは間違いなくカタギリさんだ。誰かと話をしているようだった。まさかあの頭のおかしいグラハム・エーカーだろうか。また無理な注文をつけに来ているのかもしれない。カタギリさんの背中に近付きながら、グラハム・エーカーになんて文句を言ってやろうと思案する。とりあえず仮眠室にカタギリさんを引きずりこめばいい話か、と一人納得したところでカタギリさんの影になって見えなかった話相手がいきなり飛び出してきた。見覚えのある顔はその人がわりと有名だからだろう。その人は私に気付くと一瞬だけ睨んで走っていった。そして目の前のカタギリさんは肩を落としている。

「…カタギリさん?」
「あ、君も仮眠かい?ぐっすり眠っていたから起こさなかったんだけど」
「それより何だったんですか今の…あの人美人で有名な…なんて名前だったかな」
「美人なだけじゃないよ。親は軍の上層部にいるし祖父は資産家だそうだ」
「へぇ…羨ましい限りですね。ていうか詳しいですね」
「今聞かされたんだよ」

随分疲れきった顔なのは寝不足だからだろうか。食べカスついてるよ、と私の口元についていたであろうドーナツの欠片を指で取りながらカタギリさんは力なく笑った。

「そんな人がカタギリさんに何の用です?」
「告白された」
「…は?」
「結婚を前提に付き合ってほしい。お金なら幾らでもあるし好きな研究もできますよってね」
「…」
「全く勘弁してほしいよ」
「え、まさか断ったんですか!?」
「…当たり前じゃないか」

目を丸くしているであろう私を呆れたように見ながらカタギリさんは返事をする。この人は馬鹿なんじゃないだろうか。あんな美人で、しかも好きにやっていいと言ってくれる人からそんな風に言われているのに、こんなはチャンス滅多にない。気立てもいいし、といつだか同僚が言っていた気もするし。確かに自分の実家を盾に出す辺りは少々いただけないけれど、それだけ必死に、一途に想ってくれている証拠なんじゃなかろうか。

「もったいない…」
「君、それ本気で言ってるのかい?」

私が思わず呟いた言葉にカタギリさんの眉間に皺が寄る。こんな不機嫌な顔を見るのは久しぶりかもしれない。あまりそういう感情は表に出さない方なのに。よくわからないままキョトンとしていると彼の口からため息が漏れた。

「心に決めた相手がいるからごめんねって言ったんだけどね、僕は」
「え?そんな相手いたんですか?」
「…君は自分の言葉に責任を持つようにした方がいいよ」

困った子だな、とでも言う風な表情だ。カタギリさんの真意がわからなくてクエスチョンマークをいくつも飛ばすけれど、なかなか答えを教えてくれない。ついには憐みさえ滲み出だした彼の瞳は少しだけ悲しそうに揺れた。

「僕はもう寝るよ」
「え?あ、はぁ…」
「まぁ、君が覚えているのならでいいけど、3年後くらいに起こしてくれるかな?」
「は?」
「起きたら今度は僕からプロポーズするからさ」

頭をフル回転させているせいで止まったままの私を置いてカタギリさんは仮眠室に入ってしまう。寝ぼけた頭では言葉を理解するのに時間がかかる。ドアが閉まってからやっと私は意味を理解した。3年後とプロポーズ、昨日の話だ。あの冗談じみた話。確かに、あれはプロポーズと呼ぶのかもしれない。それも私からだ。そうなると心に決めた人というのは私のことで、カタギリさんはあの美人よりも化粧がぐちゃぐちゃになって更に言えば食べカスをつけたままだった私を選んだということで、つまりそれは。

「カ、カタギリさん!」

やっと色々と理解し始めた私は彼の名前を呼びながら、仮眠室のドアを開ける。とうに眠っているであろうと思っていた彼はドアの前に立っていて、優しく笑いながら私を見ていた。

「こらこら、仮眠室では静かにしないといけないよ」
「いや、でも、ていうか、」
「落ち着こうか」

私の腕を引きながらカタギリさんが一歩下がって仮眠室の中に足を踏み入れる。私の口元に手を当てて黙らせると目の前で再び優しく笑われる。頭で何かを考えるよりも感情が急いてしまっている私は何が言いたいのかよくわからなくなっていた。

「君は本当飽きないなぁ」

私の口元から手を外すとそのままニ、三度私の髪を手櫛で梳くようにして頭を撫でる。今はもちろんしていないけれど、昔まだ小さかった頃父と母が眠る前にそうしていたように、カタギリさんは私の両頬にキスを落とす。思考と共に動きまで停止しまった私を再びおもしろいものでも見るように、そして恋人を見つめるような慈愛を含んだ瞳で見つめると、小さくおやすみ、と呟いた。そのまま一番手前のカプセルベッドに入ったカタギリさんの背中を見つめながら、果たして3年も待てるだろうか、と不安で心臓がばくばくと鳴っていた。
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