お風呂から上がると言い争う声…、というより泣き声とそれを宥めつつも言い訳する声がした。一体人がお風呂に入っている少しの間に何があったのか、溜息を一つつきながらその声の元へ行くと想像通り、泣いているロヴィーノと焦ったような表情のアントーニョがいた。私の登場に二人の視線は同時にこちらを捉える。二人して私の名前を呼び、そして抱きついてこようとしたが、「どうしたの?」と私が口にする前にアントーニョより早くロヴィーノが足に抱きついてきた。

「あっ、お前ずるいわ!!」
「アントーニョ…」

真顔でそんなことを子供相手に言い放つアントーニョを呆れ顔で見ると子犬が縋りつくような瞳で見つめてきたが、大きな子供の相手より今は小さな子供の相手だ。足元にいるロヴィーノを抱き上げると涙でぬれている顔がはっきりと見えた。

「ロヴィーノどうしたの?」
「ちゃうねん!あんな、」
「今はロヴィーノに聞いてるの!黙って」
「なんなん…そんなん贔屓やん…」
「オトナでしょ?」

私がそう言ってもアントーニョは唇を尖らせたままだったがこちらの大きなオコサマのご機嫌取りは後でいくらでもできる。ぐずぐずとまだ泣いているロヴィーノの背中をぽんぽんと叩いてやるとようやく落ち着いてきたのか、ひしっと抱きついたまま口を開いた。

「プリン…」
「ん?プリンがどうしたの?」
「アントーニョがっおれのプリンっくったぁ〜〜〜っ」
「そっかそっか、ずっと楽しみにしてたもんね」
「だからちゃうねんて!わざとやないから!知らんかっただけやん!」
「そーゆー問題じゃないっ!」

ぺしっと軽くアントーニョの頭を叩くとしゅんと項垂れて、泣いているロヴィーノはもちろん二人とも潰れるくらいぎゅっと抱きしめてやりたいなと思ってしまった。話は簡単、ロヴィーノが楽しみにとってあったプリンを何も知らないアントーニョが食べてしまったようだ。ある意味事故のようなモノだがロヴィーノに「おれのプリンくっただろ!!」と怒られたアントーニョはどうせ謝りもせずに「知らんやん」とでも言ってのけたに違いない。

「ほらロヴィーノ、もう泣かないで、明日二人で一緒にプリン作ろうよ」
「ふぇっ…つくれんのかよぉ…」
「作れるよ〜、まぁ買ってもいいし、明日お買いもの一緒に行く?」
「いやだつくる!!」
「じゃあ作ろっか、だから今日はアントーニョのこと許してあげて、ね?」
「…こいつあやまってねぇもん」
「アントーニョ」
「…わかったわかった!!ロヴィーノ、ごめんな。次は気ぃ付けるから」
「………うん」

むすっとした表情で頷くロヴィーノを床に降ろし、頬っぺたに残っている涙を拭いてやると、きょとんとしたような表情で見上げてきた。

「じゃあ次はロヴィーノだよ」
「…おれはなにもしてない!!」

ちょっぴり怒ったような顔のロヴィーノと不思議そうな顔をしているアントーニョ。しゃがんでロヴィーノと視線を合わせたが、「してねーもん…」と呟いて下を向いてしまった。私の肩に顔を押し付けていたせいで立っている前髪を直してやる。

「うそつき〜私が来る前アントーニョに抱っこしてもらわなかった?」
「……もらったけどそれとこれとはちがうだろっ」
「でもその時プリンないってわかって怒ってアントーニョの頬っぺた叩いたでしょ〜」
「……し、してねーもん」
「ロヴィーノ〜」
「………アントーニョ、たたいてごめんなさい」
「えーよ、俺もごめんな」

アントーニョはようやくヘラッと笑うと私と同じようにしゃがんで、ロヴィーノの頭を撫でた。褒められてどこか照れたような表情を見せるロヴィーノを見ながら二人して笑うと今度はトマトのように顔を真っ赤にして怒りだす。それを見て笑いだしたアントーニョがロマーノを抱き上げ、たかいたかいを始める。最初こそ不機嫌そうに怒っていたロヴィーノではあったがすぐに一緒になってケラケラと笑い始めた。そんなどこからどう見ても親子な二人を眺めつつ、画鋲やら両面テープが入っている引き出しを開けると新品の油性ペンを取り出した。

「ロヴィーノ、これあげるね」
「……なんだよこれ」

黒いペンを彼の手に握らせると、ロヴィーノ、そしてアントーニョまでもが不思議そうな顔で私を見つめてきた。血は繋がっていないはずなのに妙に似ているその二つの表情に笑いを堪えながら冷蔵庫からヨーグルトを取り出す。

「ロヴィーノ、自分の名前はもう書けるでしょ?」
「あたりまえだろー、ばかにすんなっ」
「それじゃあね、これからは自分のモノに名前書こっか」
「はぁ〜?」
「例えばさぁ、これがロヴィーノのヨーグルトだとするでしょ?そしたら見えやすい所…蓋がいいかな?そこに名前を書いておくの。これは私のだから私の名前ね」
「ええやん!そうしーや!あ〜ほら、これ、お前の落書き帳やろ?まずこれの裏に名前書いてみ?」

蓋のところに自分の名前を書いたあとロヴィーノにペンを渡す。アントーニョはロヴィーノを子供用の椅子に座らせるとその目の前にスケッチブックを表紙を下にして置いた。ロヴィーノはキュポン、と良い音を立ててペンのキャップを取ると小さな手をぐーにしてペンを持ち、拙い字でアントーニョに言われた通り自らの名前を書いた。二人でよくできました!とか言いながら拍手して褒めると「こどもあつかいすんな!」との叱責の声が飛んだが、初めて書いた自分の字に彼はご満悦のようで顔を赤くしてどこか誇らしげに微笑んでいる。油性ペンを渡すというのは少しばかり勇気のいる行動だが、いつだか壁にクレヨンで落書きした時にこっぴどく怒ってからと言うものスケッチブック以外には絵を描かなくなったのでそんなに心配はいらないだろう。

「名前書いていいのは自分のモノにだけだからね」

うん!と頷いたので大丈夫だろう。抱っこ!!とアントーニョに両手を伸ばすとあっち行けこっち行けと命令を下しながら家中をうろうろとし始めた。手始めにキッチンにあるお菓子から攻めて行こうとしているようでクッキーやらポテトチップスやらを取るように要求しては一つ一つに名前を書いている。あまりにも律儀な様子にアントーニョと二人で笑った。当の本人は一つも気に留めていないようだ。さっきまで泣いていた子のようには思えない。この隙に家事をすませてしまおう。あとのことはアントーニョに任せ、私は洗い物に取りかかることにした。

***

「あいつぜーんぶに名前書いとったで」
「全部?」
「絵本の裏にも書いとったしクレヨンのケースやろ…あとミニカー。あれ油性やろぉ?」
「まぁ落書きじゃないならいいでしょ」

アントーニョと二人、ベッドの上でロヴィーノの話を聞く。私が洗い物をしている間に自分の部屋へと行くように要求し始めたロヴィーノは自分の持ち物全てに名前を書くと言う作業を始めたらしい。さすがにベッドの足にまで書こうとした時は止めたらしいが。私が家事を色々しているうちに寝てしまったらしく、全てが終わってロヴィーノの部屋に行くとすっかり夢の中にいた。二人してベッドのヘッドボードに背中を預けながら話をするのが日課だ。やがてアントーニョの手が回ってきて引き寄せられる。その肩に頭をこてんと乗せる瞬間が好きだ。

「てゆうか、俺がロヴィーノに叩かれたってようわかったなぁ」
「だって頬っぺた赤かったもん」
「よー見とんな」
「そりゃあ」
「ありがとぉ」

私の頭の上からさらにアントーニョの頭が乗っかる。しばらくすると私の頭や額にキスを落としてくるものだからそのくすぐったさに小さく笑う。このままイチャイチャタイム突入か〜と思っていると、突然寝室のドアが勢いよく開いて私とアントーニョはあれだけぴったりくっついていたくせにどこからそんな勢いが…と思わせるほどのスピードで弾かれるように離れた。

「ロ、ロヴィーノ!!どうしたの!!!???」
「……なにしてたんだよ」
「なっ、なにも…ねっ?」
「な、なんもしてへんよ、喋っとっただけや!それよりどないしたん?おしっこか?」

そんなのひとりでいける!とロヴィーノは口を尖らせている。そのままベッドに登ってくると私とアントーニョの間にちょこんと座った。どうしたん?とアントーニョが聞く前にロヴィーノの手はパジャマのポケットを探り、さっきあげた油性ペンを取り出した。キャップを取ったかと思うとペンを持っている手と反対の手で私の手を掴む。ぷにぷにの手に引っ張られたかと思うと手の甲にペンが触れた。突然のことにただ見守ることしかできなかった私とアントーニョであるが、私の手の甲にはしっかりと”ロヴィーノ”と書かれている。先に声を上げたのは当事者の私ではなくアントーニョだった。

「何しとん!!落書きしたらあかん言うたやろぉ!!」
「なまえかいただけだっ!!」
「はぁ!?あーあー…これ油性やねんで、しばらく取れんのちゃう?」
「じぶんのものになまえかけってゆっただろっ!」
「……」
「……」
「だからわざわざかきにきてやったんだぞ、ちくしょうめ」

ふふん、とどこか偉そうにそう言うロヴィーノを挟んで私とアントーニョは顔を見合わせた。二人の心の中を占めている感情は間違いなく一緒だ。どちらが早いかを競うようにしてロヴィーノを抱きしめると腕の中で驚きの声が上がり、直後には抗議の声とささやかな抵抗が見られた。

「えー、なぁなぁロヴィーノ、俺には書いてくれへんのー?」
「うるせぇっ、おまえらはなせよぉ!あついだろっ!」

ぺちぺちとペンを持ってない方の手で叩かれて仕方なく離すと顔を赤くしているロヴィーノが出てくる。私たち二人の口元は緩みっぱなしだった。

「かいてやるからじっとしてろよなっ」
「書いてくれるん?あんがとさん」

アントーニョの手にも私と同じようにロヴィーノの名前が入る。よかったね、と私が言うとアントーニョは満足げに笑ったが、すぐに何か思いついたようにロヴィーノの方を見た。その視線の先にあるのは油性ペンで、ひょいっと小さな手から抜き取ってしまうと、誇らしげだったロヴィーノの瞳は抗議へと変わる。

「なにすんだよっ」
「えーからちょっと貸して」

ロヴィーノの名前が入っているのと逆の手がアントーニョに掴まれる。もしかして、と思うよりも早くすらすらと「アントーニョ・カリエド・フェルナンデス」という長ったらしい名前が手の甲から二の腕にかけて書かれた。

「言うとくけど俺のもんやからな〜ロヴィーノのんちゃうで」

アントーニョの発言と行動に私だけでなくロヴィーノまで固まる。同じフィールドで戦ってどうする、と思いながらもアントーニョのこういうところがかわいくて仕方ないし、好きだなぁとも思う。今度は私がアントーニョの手からペンを奪うと、自分の名前をアントーニョの腕に書いた。まさか私までするとは思ってなかったのか、一瞬驚いたようだったが嬉しさ爆発、と言った表情で見つめられ、それどころかイチャイチャタイムが再開されそうな勢いだった。

「……」
「……どないしたん?」
「…な、なんでもない…」

ロヴィーノが私たちをどこか不服そうな目で見上げていた。うっかり二人の世界に入ってしまうところだった。キャップをしめてロヴィーノにペンを返してやると握ったままじっとしている。

「ロヴィーノ?」
「うるせぇっ、おれもうへやかえるからなっ」
「へーそうなん」

これがアントーニョに多々ある大人げないポイントの中でも一番ダメなものだと思う。いわゆる大人の時間ってやつに突入したいモードになっている時はこうやってロヴィーノでさえ適当にあしらうのだ。私たちの間から抜け出してベッドを降りようとしているロヴィーノを見てハッと気付いた。

「あー、ロヴィーノ、ちょっと待って!」
「…なんだよ」
「いいから、ここ、おいで」
「………ちょっとだけだからなっ」

ベッドの足元まで行っていたのを折り返してがぽんぽん、と叩いた膝の上に素直に座る。軽いけど少し前より重いかな、なんてこういう時に成長を確認できたりもする。ロヴィーノの手からペンを取ると再びキャップを開けて、今度はロヴィーノの手を取った。

「なんだよぉ」
「……はい!」

ロヴィーノの手に自分の名前を書くと、大きな瞳が私を見つめてきた。この表情は嬉しくてたまらないって言う時の顔だ。笑っている訳ではないが私にはわかる。さっきの少し不服そうな態度の理由だって少し考えればわかることだった。恥ずかしがり屋さんだし、自分から言うようなタイプではない。ようやくアントーニョも気付いたのか、私の手からペンを取ると、私が書いたのと反対側の手に名前を書く。書かれている間くすぐったいだろうに、アントーニョが書きやすいようになのかできるだけ我慢しているようだった。

「ほい、できたで」
「……しかたなくだからなっ」
「はいはい」
「にやにやすんなっ」

もうかえる!と言って結局そのまま寝室を出て行ったロヴィーノだったが、その足音すら嬉しそうだったのでよしとしよう。

「これしばらく消えへんでー?」
「…消えない方がいいよ」
「…ロヴィーノもお前もかわええ〜!!」

そう言って抱きついてくるアントーニョとじゃれあいながら、今日も一日が終わって行くのであった。







後日ロヴィーノが自分の腕にある私たちの字が薄くなってきたことに気付いて、こっそり油性ペンで上からなぞっているのを発見してしまいアントーニョと二人で静かに悶えたのは言うまでもない。
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