億泰が仗助から貰ってきたといういちごタルトはとてもおいしかったがそれをじっくり味わえるほどの余裕はなかった。億泰がテレビを消し、静かになったせいで形兆が帰ってきていない事実を改めて突きつけられる。相変わらず携帯は反応を示す気配はないし、億泰も私の顔色を窺うばかりで気の利いた言葉一つ言わない。

「ま、まぁ、そんなに心配しなくてもよぉ、今日中には帰ってくるって」
「…ホントに?」
「ホントホント!だってよぉ、兄貴外泊したことなんかねぇしよぉ」
「…うん…そうだね…」
「そうそう!事故にでも遭ってねぇ限り大丈夫だって!」

へへっ、と億泰は笑ったが「事故」というたった2文字が増殖して頭の中を埋め尽くしつつあった。億泰の言う通りだ、形兆は私の記憶がある限りでは学校行事以外で外泊をしたことはないし、遅くとも6時までには帰ってくるような男なのだ。それが帰ってこないというのは帰ってこないのではなく帰ってこれないんじゃないか?

「お、おい!?」

億泰が素っ頓狂な声を上げる。再びティッシュが視界いっぱいに広がり顔をごしごしと拭かれた。内容なんてこれっぽっちも覚えていないが、先週の金曜ロードショーでちらっと見たアクション映画のバイクが吹っ飛んで爆発したシーンが鮮明に頭の中に浮かぶ。あのバイクに乗ってたのって主人公だったけ、それとも雑魚キャラだっけ、どれだっけ、いつしか頭の中でリピート再生されている映像ではバイクに乗っている男の顔が形兆になり、そしてそれが血みどろになり…

「お、おい、もう泣くなって…あぁ〜兄貴どこにいるんだよぉ…」
「け、けいちょ…形兆〜〜〜」

座ってられなくなったのか億泰は立ち上がるとウロウロとし始めた。何も反応しない携帯を開いてみたり、形兆に電話をかけてみたり、私の涙を時々拭ったり。死んでなんかねぇよぉという言葉はむしろ逆効果だった。

「ど、どこ行くんだよ!?」
「…げ、玄関…」
ぐすっと鼻水を吸い込みながらそう答えると億泰はティッシュの箱を片手に持って私の後ろをついてくる。億泰を待っていた時みたいに玄関に座り込むと後ろで億泰が一つ溜息をついた。


「あ、ほら…風呂入ってこいよ。明日も学校だしよぉ」
「……いい」
「そっか…」

億泰が持ってきてくれたブランケットを抱きしめながら私は首を横に振った。どれくらいの時間こうしているんだろうと思ったが、まだ1時間くらいしか経っていない。最初のうちは気を紛らわそうと学校の話をしてくれていた億泰も今ではすっかり無口な男に成り下がっている。定期的に携帯で形兆の携帯に電話をかけているようだったが全て空振りのようだった。昨日あんな風に二人して家族の約束を破ったからこんなことになったんだ。昨日の同じ時間は一つも反省していなかったのに、今は後悔と反省の情で心は占められている。もしものことがあったとしたら昨晩が最後の夜なのだ。そんなのだけは絶対に嫌だ。億泰の溜息も泣きやまない私に対してのモノではなくいつしか億泰自身のモノへと変わっているようで、ぶつぶつと「なんであんなことしちまったかなぁ…」などと呟いていた。
玄関、というか家の中に響くのが私の啜り泣く声と億泰が落ち着きを無くし狭いスペースでうろうろとする音だけになった頃、外の門が開いて閉じられる音がした。億泰はぴたりと足を止め、私も顔を上げる。二人の視線が向かう先はもちろん玄関ドアだ。

「………何をしているんだ?」
「………」
「………」

ドアがこっそりと開けられた(ように見えた)。もちろん現れるべき人物は一人しかいない。後ろにいる億泰が一体どんな表情をしているのか、ましてや自分がどんな表情をしているかなど皆目見当もつかないが、ようやく帰ってきた形兆の目は私と億泰を行ったりきたりしている。動揺の色を隠せていない瞳は何の言葉も発さない私たちを見つめた。

「もしかして待っていたのか?」
「……」
「……」
「ふん、待っている方の気持ちが少しはわかっ」
「形兆〜〜〜〜〜!!!!」
「兄貴〜〜〜〜〜!!!!」

形兆が言い終える前に私も億泰も形兆に飛びついていた。私はともかく図体のでかい億泰にまで抱きつかれた、というかタックルされたものだからさすがの形兆もよろけて玄関ドアに背中を打ちつけていた。うっ、と息が詰まるような音が聞こえたような気がしたがそんなことを気にしていられる余裕はなかった。私だけでなく億泰までもが泣いていた。形兆はというとそんな異様な状況にどうしたらいいのか戸惑っているようで一言も言葉を発しない。代わりに億泰に押しつぶされそうになっている私の頭を形兆の大きな手がぎこちなく撫でた。

「お、おい、そろそろ…なんだ、離れろ…」

さすがに二人分の体重を支えきれなくなってきたのかか細い声で形兆が言う。億泰が渋々離れたので私も離れることができたが今はどうしても離したくなくて形兆にさらにぎゅっとしがみついた。形兆は私に視線を向けていたようだが何も言わないのでこれは許可と受け取っていいはずだ。

「で、億泰…何故お前まで泣いてるんだ?」
「だ、だってよぉ…こいつの前だから大丈夫とか言ったけどよぉ、ま、マジに事故に遭ってたらってずっと思ってたから…心配で心配で…」
「……」
「わ、私は…億泰が事故がどうだのとか言うから…形兆…死んじゃったんだと思ってたし…」
「勝手に殺すなッ!!」

いつも通りの怒った口調の形兆に私と億泰は顔を見合わせてまた泣いた。本物だ。形兆はその反応に相当困っているらしく「あ〜」とか「う〜」とかずっと母音ばかりを発していた。
本当にどこに行ってたのか疑問ではあったがもうそんなことはどうでもよくて無事帰ってきてくれたことを泣いて祝うことくらいしか今の私と億泰にはできない。

「ンンッ……いいか、貴様ら」

咳払いをした形兆の手が私の肩をそっと押した。引きはがされて億泰の横に並ばされる。これはいつもの二人して説教される時のスタイルだ。億泰は鼻水を啜りながらぴしっと姿勢をただし、私もそれに倣った。

「少しは待っている側の気持ちもわかったか?わかったなら二度と…いいか、二度とだッ!!家族のルールを破るなッ!!!」

二人してこくこくと頷くと形兆はようやくいつもの気味の悪い笑みを浮かべてくれた。
いつも形兆がこんな気持ちで私と億泰を待っていたのかと思うと胸が締め付けられる思いだった。それも昨晩ときたら二人揃ってそれをやらかし、どうしようもない気持ちで、それでも私たちが「おいしい!」と言うのを想像しながら作ったであろう夕食をいらないと二人して行ったとなるとそりゃあ形兆だって拗ねたくもなるし家出というものをするだろう。大きな手が私と億泰の頭を撫でる。昨日のハンバーグを煮込みハンバーグにしておいたものが鍋ごと冷蔵庫に入っていたらしく形兆は黙ってそれを温めてくれた。私も億泰も二日連続のハンバーグではあったが今まで食べたどんなハンバーグよりもおいしいと思った。


***


「億泰〜〜!!先行くよ〜〜!?」
「今行くってぇ〜〜!!」

リビングから億泰を呼ぶが彼はまだ洗面所で髪型を整えているらしい。モテることしか頭にない単細胞生物である。玄関に行くと形兆がいつものあのエプロンをつけ、片手にジョウロを持っていた。水をやっている先を見るとそこにはかわいらしい植木鉢に入った赤い花があった。どうやら形兆が昨日持って帰ってきた袋の中身のようだ。

「何それ」
「…サルビアだ」
「ふ〜ん…買ったの?…それとも貰った?」

水をやる量が一気に増えた。これは動揺しているようだ。形兆が花屋でこの花をわざわざチョイスする様子はどうも想像がつかない。

「か、かッ、買った」
「へぇ〜〜」

薄くピンクに染まっている耳を私は見逃さなかったが、今ここでからかえば鏡の呪縛からようやく解き放たれた億泰に当たり散らし、また「ふりだしに戻る」になるのは勘弁願いたかったので私は口を噤んだ。それにしても誰から貰ったんだか。

「ん?その花なに?」
「サルビアだ、買った」
「へぇ〜〜!!兄貴が花って似合わねぇ〜なぁ〜」
「億泰!余計なこと言わなくていいの!!」
「ん?何怒ってンの?」
「……」
「で、今日は何時に帰ってくればいいかわかっているな?」

余計なひと言を言う億泰を私が先に怒った効果なのかどうかは知らないが形兆は特に気にする風でもなくそう聞いて来た。靴を履いて玄関のドアを開ける。億泰が靴を履いている間携帯を開いた。

「ン〜、今日も仗助ン家で勉強するからよォ、8時過ぎくらいかな〜」
「私も今日サーティーワンがダブルでトリプルだからそれ食べに行く約束してるから8時くらいかな」
「………」

形兆は表情を一つも変えない。どうやらお気に召したようだ。携帯でウェブページに接続していると億泰がようやく家から出て来た。二人で空っぽのジョウロを持っている形兆に向きあうと、か細い声が絞り出すように囁かれた。

「貴様ら…昨日の…一体何だったんだ…?」
「え?…あぁ、今までごめんね…帰宅時間がわかれば随分気が楽になると思って…」
「……いいか、この家のルールを今一度復唱、」
「…オイ!そろそろ行かねーとマジにやべーぞ」
「うわ!本当だ!じゃ、行ってきます!」
「行ってきます!!」

背後から形兆の怒鳴り声と空っぽのジョウロが億泰の後頭部にクリーンヒットする音がしたが、あまりにも軽いのと億泰があまりにも馬鹿なのと両方で億泰自身は全く気付いていなかった。億泰に置いてかれないように走りながらさっき出したウェブ画面にはサルビアの花言葉がずらりと並んでいる。そのうちの一つに思わず頬が緩んで、ウチの家にピッタリな花だなぁ、あとで億泰にも教えてやろうと心に決めて、一度だけ家を振り返って手を振ると遠くからでも怒っていた様子がわかる形兆が小さく手を振り返してくれた。
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