「億泰、携帯鳴ってねぇか?」
「エッ?おれ?」
「ほれ、さっきからブーブー聞こえるし」
仗助の言葉に鞄を探ると、言われた通り携帯が振動していた。慌てて画面を見るとそこには珍しいことに妹の名前があった。また兄ちゃんか?とからかう仗助に画面を見せると表情を変えて「早く出てやれよ」とおれを急かした。
「もしもし?」
『ひっ、おっ、おくっ、億泰ぅぅぅ〜〜!!』
「なっ、なんだよぉ!」
電話の向こう側からは明らかな泣き声が聞こえて来た。妹であるハナコが泣きつくのはいつだって兄貴である形兆だったのに、今日はおかしなことにおれが泣きつかれている。ふぇ〜〜〜んと子供のような泣き方は昔から変わっておらず思わず笑ってしまったが、どうやらその高い声は音漏れしているらしく仗助の目はおれをしっかりと捉えていた。
『なっ、なんで、メール返してくんないのっ、ずっと、送ってるのにっ』
「メール!?携帯触ってなかったから気付かなかったんだよっ」
『馬鹿っ、億泰の馬鹿ぁぁぁ〜〜〜』
「なんなんだよさっきから!!何かあったのかよぉ!?」
『いっ、今どこぉぉぉ〜〜』
「今は仗助ん家」
『早く帰ってきてぇぇぇぇ~~~』
うわあああんと耳から少し離しても聞こえる泣き声にさすがに心配になってきた。どうやら仗助もそのようで、ジェスチャーで泣き真似をしてちょこっと首を傾げたのでおれはとりあえずコクコクと頷いた。仗助はハナコのことを知っていたし、それなりに仲も良い。ハナコは仗助に結構懐いているし、兄弟のいない仗助からすれば満更でもなさそうだった。おれたち兄弟だけでなく仗助もハナコには弱い。うん、うん、わかった、すぐ帰るからと相変わらず泣き叫ぶハナコを宥めると電話を切る。ナルホド、メールは8件、着信は3件、全て同じ人物からだった。いつもあるはずの兄貴からのメールはなかった。
「ハナコどうしたんだよ」
「わかんねぇけどよ、泣き喚いてる、ヒストリー気味っつうの?…とりあえず帰ってやんねぇと」
「おぉ、そうしろよ…あ、ケーキ持って帰るか?ちなみにヒステリーな」
広げていた数学の教科書とノートを鞄の中に乱暴に突っ込んでいると、仗助は立ち上がってそう言った。その言葉に一つ頷くとおれよりも先に部屋を出てキッチンへ行き冷蔵庫から仗助のお袋が買ってきていたケーキを箱ごと持ち出そうとしているようだった。
「これよォ、億泰にやってもいーか?」
「えぇ〜!?これアタシも食べようと思ってたのに…」
「どれ食いてぇんだよォ、それだけ避けとくからよ」
「ン〜…」
「あ、このいちごタルトは持って帰らせるぜ、アイツ好きだからな」
「へぇ、億泰クンって結構女の子みたいなもの好きなのね」
それじゃあこのショートケーキでいい、そんな会話が聞こえてきたが仗助の言う「アイツ」とは間違いなくおれではなくハナコのことだ。キッチンに顔を出して仗助のお袋に「なんかスンマセン」と言うと彼女はカラッと笑って「いいのよォ〜明日も来なさいよッ!!」と言っておれを叩いた。
「ほい、落とすんじゃねぇーぞ」
玄関で靴をはくおれに仗助がケーキの箱を渡す。どこか神妙な面持ちの仗助にもう一度礼を言うとおれは東方家を後にした。ケーキを落とさないように早歩きだった足ではあるが1人になるとハナコの泣き声が頭の中にフラッシュバックしておれの足はいつの間にか駆けだしていた。まん丸なあまりにも黄色い月が何故か不安を駆り立てた。といっても仗助の家とおれの家は近所なのですぐに家の明かりが見えてくる。2階の部屋の電気はどれも点いていない。思いっきり玄関のドアを開けるとすぐ目の前にハナコがいた。
「おっ、億泰ぅ〜〜〜!!」
「うおぉッ!!」
いきなりタックルされた。ひとまずケーキを保守するため腕を上に上げたが、ハナコがおれを絞め殺すつもりなのかと疑いたくなるほどの力で腰に腕を回しひしっと抱きついていた。どうやらずっと玄関で待っていたようだ。ふぇ〜んと電話口と変わらない泣き方をしているハナコに見た通りおれはお手上げ状態だったが、ひとまずケーキを靴箱の上に避難させ、鞄もポーンと廊下に放り投げた。
「お、おい、どうしたってんだよ…」
「け、けいちょ、形兆ぅぅぅぅ〜〜〜」
「おれは億泰だッ!!」
混乱しているのかなんなのか、兄貴の名前を呼ぶハナコをとりあえず引っぺがすと泣き腫らした目がそこにあった。ケーキの箱を片手に掴むともう片方の手でハナコの手を引いてとりあえずリビングに行くことにした。リビングのテレビはよっぽど耳の悪い老人が同居者にいない限りはこんな大音量にする必要がないと思わせるくらい大きい音で、話を聞くためにもおれはまず音量を下げる作業をするしかなかった。ケーキの箱をテーブルの上に置くとゲンキンなものでハナコは泣くことよりその内容を気にすることを優先し始める。
「…なにこれ」
「仗助がよぉ、お前にって」
勝手に箱を開けていたが、泣きやむならもうなんでもよかった。音量を下げるとそのままテレビの電源を切る。
「…いちごタルトがある」
「食いたいんなら先食えばいいけどさぁ、とりあえず何があったんだよ」
椅子にドカッと座りながらそう聞くとハナコはいつもの定位置おれの横に座った。ケーキに手をつける素振りを見せたくせに途中でやめたらしい。そして代わりに鼻をずずっと啜った。おれは近くにあったティッシュの箱を引き寄せると何枚かティッシュを取りハナコの顔を乱暴に拭う。彼女は痛がったがひどい面だったから仕方ないだろう。
「とりあえずもう泣くのはやめろよ、どうしたらいいかわかんねぇだろぉ」
「うん……ありがと」
ティッシュを丸めるとゴミ箱へスローインした。ハナコはその様子を見ながらまた鼻を啜り、そしてようやくまともに口を開いた。
「…形兆が帰ってこないの」
「へ?」
あまりにも間抜けな声が出た。言われてみれば、ハナコのことで頭がイッパイで忘れていたがさっきからいつもいるはずの兄の姿を見かけていない。おれのことを怒鳴りつける声がない違和感に今更気付いた。おれはよっぽど間抜けな顔をしていたのか、ハナコはムッとしながら今度ははっきりとした口調で言った。
「だから、形兆が帰ってこないんだって!」
「帰ってこないて…いつから?」
「私が帰ってきたらいなかった…そんで、億泰もぜーんぜん帰ってこないし、それで…」
「……泣いてた?」
ウン、と彼女は頷いた。高校生になってそれはねぇだろォー!と普通なら笑っているところかもしれないが、おれも兄貴も彼女を長時間この家に一人きりにすることなんて今までほとんど、いや全くなかったから彼女にとってはそれは恐怖でしかないのだ。家に誰もおらず、メールや電話をしても誰も返事もしない、そりゃあ寂しかっただろう。
「ごめんなぁ…」
頭を撫でてやるとまた俯いて少しだけ泣いているようだった。それにしても兄貴が誰に何の連絡もナシに家を空けるなんてことはこれまでになかったことだ。おれにあれだけのメールと電話があったということはハナコは形兆にも同様、いやそれ以上連絡を入れているはずだ。それが全て空ぶったからパニック状態に陥っていたことくらいさすがのおれにもわかる。
「まだ兄貴から連絡はねーの?」
「うん……電話しても直留守だし」
その言葉におれも携帯を取り出し一応かけてみたが、彼女の言う通りだった。その様子を見ていてまた泣きだしそうになっていたので、目の前にケーキの箱を持ってくるといちごタルトを食うように勧めた。
「はぁ…仗助優しすぎ…」
「…好きになるのはやめろよなァ、親友が兄貴に殺される場面なんて見たくねーぜ」
「あにき…けいちょう…ぐすっ」
だめだこりゃ。20時すぎを示す時計を見ながらおれは深い溜息をついた。