「僕は……雄英に行こうと思う」
「は?」
学校からの帰り道。どうせ同じ高校だと思いつつも、何気なく進路先を聞いただけだったのに。予想外の甲司の言葉に顔を顰める。
不機嫌そうにしてみれば、いつもなら挙動不審になって自分が悪くなくても謝るのに。
それなのに、今日の甲司は私の顔をちらと横目で見るだけだった。
小1の時に、お父さんの仕事の関係でこの町に引っ越してきた。ここは限界集落って程ではないけど、人間よりも野生動物の方が多いような町だった。
同じ国道沿い住む口田さんちの甲司とは、小1から中3の今まで同じクラス。前に住んでいたところとは違って、クラスは1つか2つしかないからほぼ必然のことなんだけど。
でも1、2クラスしかないのに、甲司は周りから遠巻きにされていた。甲司は物静かで自分の意見を言うこともほとんどない。私に似ないで生まれつき人見知りなのよねーなんておばさんは笑いながら言っていたけど、学校の皆は甲司の個性を気味悪がっていた。
動物を操る個性だから人間も操れるんだろー、って。バカみたい。
甲司は動物であっても、相手の意思に反するようなことは絶対に言わない。意思疎通ができないから虫が怖いとは言っていたけど。
とにかくそんなわけで、甲司と余所者の私は遠巻きにされていた者同士でなんとなく一緒にいることが多かった。それでそのまま腐れ縁のように現在に至るわけ。
中2になってから進路はどうとか、そんな話が増えてきた。こんな田舎でもヒーローに憧れる人は多い。でも志望動機の大半は、県央のヒーロー科のある学校でプロヒーローの資格をとって上京すること。都会に住んであわよくばヒーローとして名声を得たい、そんな本音が透けて見える。
まあこんな田舎でも挙げられるようなヒーローは大体オールマイトとかエンデヴァーとかのヒーロービルボード常連だけで、実際のところはヒーロー業だけで生活できるヒーローの方が少ない。都内は尚更そうなんだけど、わざわざそれを言うほど仲良くもないから黙っておいた。
私は地元の高校に進学する。そして将来はお父さんの仕事を継ぐつもりだ。
ヒーローみたいな派手な仕事ではないけど、地味でも人々の生活を支えるための大切な仕事だから。ここだって何にもないところだけど、何年も過ごしてみれば愛着も湧いてくる。
中3になったばかりの進路希望調査では同じ学校に行くと言っていたし、甲司と一緒ならもっと色々なことが出来る。なんて、思っていたのに。
「……雄英って。地元の学校行くって言ってたじゃん」
「ずっとヒーローになりたいって、思ってたんだ。憧れの雄英でヒーローになって、皆の役に立てるような人になりたいから。今まで黙っててごめん」
なにそれ。今まで一度もヒーローになりたいなんて言ってなかったのに。
皆の言葉にあてられただけじゃないの。そう言おうとして隣を見上げたのに、山脈を望む甲司に一切の陰りもなく、夕陽に照らされた瞳は静かに燃える炎みたいに綺麗で。静かにでも雄弁に物語る瞳に何も言えず、開きかけていた口を閉じた。
今日の帰り道は田んぼから聞こえるクビキリギスの鳴き声がやけにうるさく感じる。普段なら喋りっぱなしの私が話をしないからだ。なんとなく一緒にいるようになった頃に、虫が怖いと言っていた甲司の気を逸らそうと思ったことがきっかけだった。
でも今の甲司は虫の大合唱も私の無言の圧も、普段とは違う帰り道にもお構いなしだ。身体以外も随分と大きくなったみたいで、なんだか無性に癪に障った。
雄英、雄英か。私が前に住んでいたところよりも、もっと遠くに甲司は行くんだ。高校も一緒だと思ったのに酷い裏切りだと思う。
ここと違ってあっちの方は野生動物なんてほとんどいない。いてもハトとかカラスとかネズミとか。結くんぐらいの大きさのネズミだっているのに。それに人間だって、こことは違って他人に無関心な人が多い。甲司と真逆の人間ばかりなのに。
でも、甲司なら出来るかもしれない。個性はあの雄英にだって通用するだろうし、優しい皆から愛されるヒーローになっている姿を想像するのは難しいことじゃない。
まだ空はうっすらと赤いけど日は山の陰に沈み、街頭が灯る。田んぼの蛙の鳴き声にかき消されそうになりながらも、微かにヒグラシの鳴き声が聞こえてきた。
「……まあでも今から進路変えるんじゃ、めちゃくちゃ頑張らないとだし、私に合わせて一緒に学校行ったりとか帰ったりとかしなくていいからさ」
友達なら応援するべきなのに、口から出てくるのは可愛げのない言葉だけだ。
いつもならなんとも思わない環境音の1つなのに、今日はやけにヒグラシの鳴き声が切なく聞こえる。もう夏も終わって、仲間がいるかも分からないのに相手を求めて鳴く彼らの声は、甲司にはどんな風に聞こえているんだろう。そんなくだらないことを聞く機会なんて、もうないんだけど。
「お互い受験勉強がんばろうね。じゃあね」
ヒグラシの鳴き声のせいでなんだか泣きたくなるのを堪えて甲司に手を振る
私を呼ぶ甲司の声には聞こえないふりをして、玄関の戸を開けた。
甲司に言った通り、あっという間の秋が終わり冬を迎えても、私は1人で登下校をしていた。雪が降るまでは自転車で、今はお父さんの出勤に合わせて車で送ってもらっている。甲司と一緒に行動しなくなったばかりの頃はお母さんもあれこれ言っていたけど、今はあんまりそういう小言も言わなくなっていた。
甲司の視線はよく感じるけどそれも全部無視している。いつも一緒にいたのにいきなり疎遠になった私達に何かを感じたのか、学校の人達が甲司と過ごしているのを見かけるようになった。昔は気味悪がっていたとはいえ、甲司はそんな人達にも分け隔てなく接していた。そんな優しい甲司に無愛想な余所者が何かしたんだと思っているんだろう。別にどう思われていようと私は構わなかった。
でも、甲司が辛そうになにかを訴えるような目を見てくるのだけが辛かった。それなのにしょうもないプライドが邪魔をして、甲司の目も何もかも全部無視して味気のない学校生活を過ごしていた。
そうして私は第一志望だった地元の高校に、甲司は雄英高校に合格した。
クラスどころか学校中が甲司の合格を祝う中、私はそれを遠目に眺めながら、渡せずじまいになった手作りのお守りは、鞄の内ポケットに誰にも見られないように仕舞った。
中学を卒業して高校入学まであと1週間を切っているのに、なにかをする気にもなれずベッドの上でゴロゴロと怠惰に過ごしていると、来客を知らせるチャイムが1階から聞こえた。
そういえば一昨日の夕方に階段から降りようとしたとき、2日後に甲司がここを出て雄英に行くとお母さんとおばさんが玄関で話しているのが聞こえたんだった。
お母さんが私を呼ぶ声に、布団を被る。
もう一度、お母さんの呼ぶ声が聞こえる。それも無視していると、私を呼ぶ声はもう聞こえてこなかった。
玄関のドアが閉まる音が聞こえると同時に誰かが階段を昇ってくる音が聞こえた。大きな足音を立てて、お母さんはノックをすることもなく私の部屋のドアを開けた。
「なんで来なかったの。離ればなれになっちゃうのが寂しいのも分かるけど、甲司くん悲しそうな顔してたよ」
「……」
お母さんの言葉に布団の中で体を丸める。だってあの帰り道の時から甲司とは一度も話なんかしていないから、何を話せばいいのか分からなかった。今更合格おめでとうなんて言うのもおかしいし、行かないでなんて、もっと言えるわけがない。
雄英出身のヒーローなんて、どんなところでも引く手数多だ。もしかしたら甲司はもう戻ってこないかもしれない。きっと、どんどん私の手の届かない存在になっていく。
甲司を笑顔で送りだしてあげないといけないのに、そんな気持ちには全然なれなかった。
「……甲司くんからの手紙、机の上に置いておくからね」
そう言ってお母さんは部屋を出て行った。階段を下りる足音を聞きながら、布団から顔を出して机の上に手を伸ばす。
結くんのようなウサギがプリントされた封筒を開く。無地の便箋には甲司の丸っこい字が並んでいる。
『一緒の学校に行こうと言っていたのに、黙って進路を変えてしまってごめんなさい』
手紙は私に対しての謝罪の言葉から始まっていた。
『ずっとヒーローになりたいと思っていたのに、それも言えなくてごめんなさい。僕がヒーローなんて、って君には思われたくなかった。でも、あの帰り道でも学校でも君は一度もそんなことは言わなかった。僕が勝手に1人で怖気づいただけだった。
いつも自分のやりたいことが決まっている君が眩しかった。そんな君に流されるだけの恥ずかしい人になりたくなくて、ずっと憧れていた雄英に行こうと思ったんだ。
この町は大きな事件が起きるようなところじゃないけど、この先それもどうなるか分からない。 皆 を守れるヒーローになって戻ってくるから』
不自然に空けられた字間には下書きのような筆跡が残っていた。
目を凝らして見ると、そこには私の――
『だから、その時はまた仲良くしてくれると嬉しいです。』
ベッドから飛び起きてスクバを掴み、階段を駆け下りる。
何事かとリビングからお母さんが顔を出してきた。
「ちょっと、」
「外出てくる!」
「……1時間後の電車に乗るって言ってたよ」
気を付けて行きなね、というお母さんの言葉を背中に受けて、玄関の戸を開けた。
まだ雪の残る路脇を避けて、自転車を全力で漕ぐ。このスピードで行けば55分で駅に着くはず。でも運動も何もしていなかった体は、もうふくらはぎは痛いし息切れして喉が痛い。この先にある上り坂のことを考えると、思わずスピードが緩む。
酸欠でぼうっとする頭に、甲司が行く雄英高校のホームページの一番最初にあった校訓が浮かんだ。何がプルスウルトラだ。根性論なんて今時古いんだよ。
でももし今、甲司に会えなかったら私の性格的にもう連絡も出来なくなる。
仲直りする“その時”なんてもう二度と来ない。
また甲司と他愛のない話がしたい。甲司が何を感じたのか知りたいし、私が何を感じたのか知ってほしい。また仲良くしていきたい。
それなら今頑張るしかないじゃんか。
「あぁっもう!!」
雄英の校訓なんかに背中を押される自分が許せなくて、誰もいない上り坂で大声を上げる。
滲む視界を腕で拭ってから、自転車のペダルを踏み直す。空を旋回するトンビが鳴き声をあげた。
ようやく目的地である駅についたのは発車する3分前のことで、既にホームには電車が停まっていた。
車内に座っていた甲司と改札越しに目が合う。おばさんに背中を叩かれて電車を降りようとする甲司を見ながら、息切れを抑えるように呼吸を繰り返す。
目を丸くしたままの甲司が、おそるおそる私を呼んだ。
「……」
手紙読んだ。あの時はごめん。雄英に行っても頑張ってね。
そう言おうと思っても言葉が出ないのは、まだ、息が整ってないからだ。
何も話せないでいると、発車を知らせるベルが鳴った。
「……来てくれてありがとう」
悲し気に目を伏せた甲司が私に背を向けた時、トンビの鳴き声が聞こえた。
電車に乗った甲司の腕を引いてスクバの中から取り出した、あの時渡せなかったお守りを手に載せる。
「応援してる。最高のヒーローになって戻ってきてね」
「うん……!」
唖然とした様子でお守りを見ていた甲司が目を潤ませながら頷いた。鼻の奥がツンとするのを、深呼吸をして堪える。甲司の晴れの門出だ。絶対に、泣いてなんかやらない。
黄色い線の内側まで下がると電車のドアは閉まり、ゆっくりと発車していった。電車の窓から私を見る甲司に手を振る。
甲司の姿が見えなくなっても、電車が見えなくなるまで手を振り続けた。
ゆっくりと自転車のペダルを漕いで、走ってきた道を戻る。
1人が当たり前になってしまったこの家路もいつかまた2人で歩ける時を夢見て、私もこれから頑張らないと。甲司が守るというのにふさわしい人間になれるように。
空を見上げると、旋回していたトンビが自身の居場所を主張するように大きく声をあげていた。
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