朝5時。物音を立てないように部屋を出る。
前日に一通り寮を案内し終えた石山先生が私に割り当てた部屋は2階の一番手前の部屋だった。他のクラスメイトも出席番号の通りでないのは、何らかの意図があるんだろう。クラス委員だからなのかそれともすぐに避難が出来るからか。その意図は分からないけれど、動線が短く活動しやすい部屋だから特に不満もなかった。
ほぼ1カ月のあいだ満足に身体を動かしていなかったこともあり、入念にウォームアップを行う。無理はしない。父さんにそう言われたから。
大きく腕を伸ばして息を1つ吐き、足を踏み出した。
元々森だったところを切り開いて舗装されたからか、四方から蝉の鳴き声が聞こえてくる。自分の足音すらも蝉にかき消されてしまいそうだった。
曲がり角を曲がろうとしたとき、向かいから緑谷くんが現れ、思わず足を止める。緑谷くんが目を丸くしながら何かを呟いたけど、その声は聞こえなかった。
緑谷くんと顔を合わせるのは神野以来で、スマホを修理に出していたこともあって連絡も取っていなかった。まだあの時のお礼もちゃんと伝えていないなんて、あまりにも失礼すぎる。
今すぐこの場から走り去りたい気持ちを抑えて、緑谷くんの名前を呼んだ。
「この前はありがとう。緑谷くんのおかげだって聞いた」
「……僕だけじゃないよ。みんながいたから出来たことだから……」
蝉の鳴き声にかき消されてしまうかもしれないと思ったけど、緑谷くんには聞こえていたみたいだ。
驕ることのない彼らしい言葉に口元が緩みそうになる。
「……塚内さん。あの、僕が入院していたときに来てくれたってお母さんと、轟くんから聞いた。だから……」
「私が死柄木に拉致されたのは、緑谷くんのせいじゃないよ。警察とヒーローを牽制するために、あのタイミングじゃなくても近い内に起こったことだと思う」
緑谷くんが息を呑む。ショッピングモールで共に死柄木の言葉を聞いた彼のことだから、こう言えば私が拉致された理由は簡単に思いつくだろう。
「そういえば、焦凍は他になにか言ってた?」
「いや……」
「そっか。実は焦凍には緑谷くんが私達が双子って知ってることは言っていないんだ」
私の言葉に緑谷くんが目を丸くした。
「心配するだろうから、死柄木が私のことを知っていたことも言ってない。だからこれからも焦凍には言わないで欲しい」
「……」
「あと他の人にもさ、黙っててほしいんだ。外聞が悪いし、2、じゃなくてもう1ヒーローか。エンデヴァーに実は娘がいたけど無個性だから捨てられたなんて――」
「言わないよ!!」
蝉の鳴き声よりも大きな声を上げた緑谷くんに、口をつぐむ。
泣きそうな顔をする緑谷くんに、余計なことを言わなければ良かったと後悔する。緑谷くんにそんな顔をさせたかったわけじゃなかった。
「絶対、誰にも言わないから」
「……ありがとう」
後光が差すように緑谷くんの背後に朝日が昇り、眩しさに目を細める。
日も昇りだして、今は私と緑谷くんしかこの場にはいないけどそろそろ他の人達も来るかもしれない。
「だから――」
「色々ごめんね。それじゃあトレーニング頑張って」
緑谷くんが何かを言う前に、もと来た道を戻るように駆け出す。
誰にも言わないとは言っていたけど、緑谷くんはすぐに顔に出てしまいそうだ。大事な友達に辛い顔をさせてしまうなら、もうあまり会わないほうがいいのかもしれない。
それは緑谷くんのためじゃなくて自分のためじゃないのか、そんな考えが頭をよぎる。
選ばれた人間である彼を見ると、選ばれなかった人間の私がどれだけ惨めなのか思い知らされる。私が無個性じゃなかったら、緑谷くんを傷つけることはなかった。
緑谷くんを傷つけたくない気持ちに嘘はない。でもそれは自分が傷つきたくないからなのかもしれない。考えが全然まとまらなくて、自分が何をしたいのかすらもよく分からなかった。
← →
back
.