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「八木さん楽しみですね!」

いつもとは違う笑みを見せる彼女は普段は淑やかさにあふれる女性であるが、今日は幼く見える。
本当に嬉しそうな笑顔だ。
しかし、その手の中にあるチケットは、先日公開したばかりの数ある作品の中でも1、2を争うほど怖いとされているホラー映画のものだ。
この胸の高鳴りは新たな彼女の一面を見れたときめきによるものか、それとも恐怖による動悸か。

そう、私はホラー映画が大の苦手だ。

彼女、名前くんは私がヒーローとしてデビューする前から懇意にしているレンタルビデオショップの店主の娘さんで、数年前から腰を悪くして店に立てなくなった店主の代わりとして店を切り盛りしている。
『この店は祖父の思い出が詰まっているから、店を閉めるわけにはいかないんです』
そう言った名前くんの強い意思の篭った瞳に、遠く昔にに感じたことのあるような、懐かしいものが込み上げてきたことを覚えている。
もし、その感情に名前をつけるとしたら、きっと慕情というのだろう。

「でも、八木さんがホラー映画が好きなんて知りませんでした!」
「あ、あぁ。そうかな?」

本当は映画のパッケージですら駄目だ。
映画鑑賞という同じ趣味を持つ者として、いつかは彼女を映画に誘いたいと考えていたが、好きな映画ジャンルが違うことは全く盲点であった。
「今度やる映画すごい楽しみなんです。見にいきたいなぁ」という彼女の言葉に肝心の映画タイトルを聞く前に、咄嗟に誘ってしまったのだ。無意識って恐い……!
ちなみに、予行練習として他のレンタルショップで借りたホラー映画は冒頭シーンまでしか見れなかった。

開場のアナウンスが鳴り、ポップコーンと飲み物を持って8番シアターへと向かう。ポップコーンや飲み物で気を紛らわせようという作戦だ。
すぐ隣の座席に名前くんがいるということにドギマギとしつつも、前の列に座る男性の見ているパンフレットが見えてしまい、思わず嫌な汗が流れた。

「八木さん、顔色が悪いですけど大丈夫ですか?」

心配そうに私を見つめる名前くんに笑みを作り、親指を立てる。こんなところで彼女に無様な姿は見せられない。
劇場紹介のコマーシャルも終わり、劇場内が薄暗くなっていく。
私は1ヒーロー、オールマイト。ヒーローとは常にピンチをぶち壊していくもの!そうPlus Ultraだ!!


「怖かったですねー!!最後とか来るだろうなーとは思ってたのにびっくりしちゃいました!」
「……ソウダネ」

終わった。およそ90分にも及ぶ私の戦いは終わったのだ。ほぼ手付かずのポップコーンと飲み物をスタッフに手渡す。焦燥した私をスタッフがぎょっとした表情で見ていた。
そんな私とは対照的な名前くんは興奮したように映画の感想を語っている。若い子ってすごい。私は彼女に頷くことしかできなった。

「今日は本当にありがとうございます。もしかしてホラー映画苦手でしたか?付き合わせてしまってすいません」
「えっ、そんなことないさ!」
「でも、私が見た時八木さんほとんど目を瞑ってて。だからホラー苦手なのかなって……」
「い、いやそんなことないさ!最近ドライアイ気味で!もう年だからねHAHAHA!!」

私の苦しい言い訳に名前くんが困ったように笑った。
自分の一回りも年下の女性に気を遣わせてしまったことに思わず手で顔を覆いたくなる。

「そういえば、そろそろお昼時ですね。もしよろしかったら一緒にお食事に行きませんか?」
「もちろん、よろこんで。それならこの道を少し歩いたところに私の行きつけのイタリアンの店があるんだけれど、そこなんてどうだい?」
「いいですね。八木さんの行きつけのところなんて、楽しみにしていますね」
「あぁ。美味しさは保証するよ」

映画では名前くんにかっこいいところは見せられなかったけれど、彼女は楽し気に笑みを浮かべていた。彼女が微笑みながら何かを呟いたが、ここで挽回をしようと意気込んでいた私にはその呟きが聞こえることはなかった。


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