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焦凍は悩んでいた。

体育祭での出来事をきっかけに、双子の姉である名前と遂に和解を果たすことができた。
しかし体育祭から1週間、2人は未だに片手の指で数えるほどしか話していなかった。
体育祭2位のヒーロー科の生徒と無個性の普通科の特待生が2人きりで話しているのはそれだけで噂の的になるからだ。学内だけでなく、学校外でもテレビに出ていた少年と同じ制服を着た少女と一緒にいるというだけで注目されやすい。
そのため、緑谷達と一緒に昼食を食べているときに名前も偶然一緒に食べることになったときくらいしか話をしたことが無かった。しかも、初対面という風を装ってだ。

どうしたら周りの目を気にすることなく名前と話すことが出来るだろうか。
それが彼の目下の悩みであった。


そんなある日、緑谷や飯田と一緒に食堂で昼食を食べているときのことだった。
同じテーブルで食事をしていた麗日が名前のことを話しはじめた。会話には入らないが名前の話に焦凍が聞き耳を立てる。

「名前ちゃん今日はあそこでお昼とってるのかなー?」
「あそこ?」
「フリースペースのことね」

蛙吹の言葉に、全学科共通で使えるラウンジがあったことを思い出した。
食堂にいないときはてっきり教室にいるものと思っていたが、と内心驚きながらも表情には出さないよう蕎麦をすする。

「塚内くんは教室でクラスメイトと食事を取っていると思っていたんだがな」
「私達もそう思ってたんだけど前に一緒にご飯食べよって誘おうと思ったときに行ったら教室にいなくて、そこにいたんだよねえ」
「教科書やノートが置かれていて勉強するつもりだったのね、って誘わなかったの。あのときは中間試験が近かったからかしら」
「試験……そういえばもうそろそろ期末かぁー……」
「期末試験には演習試験もあるんだよね。一体どんな試験なんだろう?」

クラスメイト達が和気藹々と話しているのを他所に、昼食を食べ終えた焦凍が席を立つ。
先に戻る、とだけ伝えて焦凍は食堂を出て行った。


早くに食堂を出たため、教室のある階の廊下を歩いている人は少ない。
焦凍が向かった先はA組の教室ではなく、名前がいるであろうフリースペースであった。
無意識に音を立てないように歩き、入り口から中を覗く。
他に誰もいない中、フリースペースの端の席に座る見知った背中があった。既に昼食を食べ終えて勉強をしているのか、シャーペンを持つ手が動いているのが見える。

誰もいない今なら名前に声をかけてもいいのではないか。
焦凍が名前に声をかけようと口を開いた瞬間、フリースペースの側にある階段から他の生徒の話し声が聞こえてきた。次第に近づいてくる声に逡巡し、焦凍は名前に声をかけることなく入り口から離れ、教室へと戻っていく。
階段を上ってきた男子生徒が見た焦凍の背中はどこか気落ちしているようにも見え、男子生徒は首を傾げた。


焦凍はフリースペースの入り口の前で1人、緊張していた。
その手にはコンビニの袋におにぎりが数個とお茶のペットボトルが1本。焦凍は生まれて初めてコンビニで買い物をした。
この数日間で昼食時にフリースペースを利用しているのは名前だけだというのは既に分かっている。
つまり、焦凍が名前と2人で話せるのはこの場所のこの時間だけだった。

「名前」

焦凍の声に名前が振り向く。
丁度昼食を食べようとしていたらしく、手は箸入れから箸を出そうとしていたところで止まっていた。

「焦凍?」
「……昼、一緒に食べてもいいか?」
「あ、あぁ、うん。いいよ」

驚いたような表情をしつつも頷いた名前の向かいの席に座る。
この時間帯に人は来ないとはいえ、自分と2人で昼食を食べるのは気後れするのだろうかと焦凍は考えていたが、それよりも名前の目は焦凍が机に置いた昼食に向けられていた。

「食堂のご飯じゃなくてコンビニのおにぎりなんて、どうしたの」
「……今日はおにぎりの気分だったから」

おにぎりの気分って何だ。自分でそう言っておきながら焦凍は頭を抱えたくなった。
話がしたかったからとは言い辛いとしてももっと他にそれらしい理由があっただろうと、内心後悔をしている焦凍をよそに、名前はそうなんだと言ったきり自身の弁当へと目を向けた。

互いに口を開くことはなく、ただ食事をする手だけが進んでいく。
話したいことは色々あるが、何から話をすればいいのか。焦凍がちらりと名前を盗み見る。
初めに話しかけたときには困惑した表情を浮かべていた名前だが今は緊張している様子は見られない。こんなにも緊張しているのは俺だけか。
そんなことを焦凍が思っていると、焦凍の前におかずの入った弁当箱が置かれた。

「お弁当のおかずが気になってるんだと思ったけど、いる?」

そういうわけではないと思いつつも、名前から差し出された箸を無意識に受け取っていた。
改めて名前の弁当を見ると、卵焼きやアスパラのベーコン巻きなど特別珍しいものはない普通の弁当だ。
しかし、手作りの弁当など母が家にいた時に数回食べた記憶があるだけの焦凍にとってはかえって新鮮に感じられた。

「いただきます」

玉子焼きを口に入れる。普通の玉子焼きだがほんのりとした甘みが口に広がる。
焦凍が咀嚼をしていると、前から視線を感じた。
顔を上げると名前と目が合い、一膳しかない箸を自分が使っている間、名前は弁当を食べることができないということに気づいて慌てて玉子焼きを飲み込む。

「悪い。ずっと箸使ってた」
「大丈夫だよ。それよりも玉子焼きを最初に食べるのは昔と変わらないんだなって思っただけ」

名前の言葉に忘れかけていた昔の記憶が蘇る。姉達が学校行事のたびに弁当を作ってもらうのが羨ましくて母に頼んだのだ。

「10年も前のことだってのに、覚えてるんだな」

数えるほどしかなかったというのに自分でも気づかなかった癖を見抜かれたことに、焦凍は気恥ずかしさを覚えた。
そんな焦凍の言葉に名前は少し困ったように眉を下げて小さく笑った。

「……忘れるわけない。轟の家であったことも焦凍に酷いことを言ったことも、こうやって焦凍と一緒に食事してることも。でも、これまでのことがあって今の私があるから」

過去に囚われるのではなく過去を受け止めた上で歩みだそうとしている名前を見て、焦凍は自身が気負いすぎていたことに気付いた。
ヒーローを目指そうと思ったきっかけも自分本位の考えで名前を傷つけたことも体育祭で和解したことも。色々なことがあって、今の自分がある。

「そうか」

名前の言葉に焦凍は一言そう返し、目を細める。
気負いせずに少しずつ一緒に歩んでいけば良い。それに気づけただけでも、今はこれで十分だった。


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