外は晴れ晴れとしたいい天気なのに、私はここ、成歩堂法律事務所でただひたすらにテキストに向かっている。おかしい。いや、おかしくはないのだがおかしい。さっきからこの1問がわからずにうんうん悩んでる私を尻目に、隣では優雅に小説を読んでいる成歩堂龍一がいるなんて。絶対におかしい。年上ならこんなとき教えてくれるものじゃないのか。ぎりり、と奥歯を噛み締めて成歩堂さんを睨みあげる。そんな視線にも知らんぷり。成歩堂さんはまっく気にしない。あろうことか、いい天気だなー散歩いこうかなーなんて独り言(という名のイヤミ)を零すのだ。全くもって、おかしい!

「……成歩堂さん。」
「ん?どうしたの名前ちゃん」
「どうしたのじゃないです。わかんないです」
「ぼくにもわかんないなあ」
「ウソだ、弁護士やってるくせに…」


ははは、と悪びれもなく後頭部を触って笑う男に、もはや殺意を感じる。受験生の大事な一日を使って(というのも、私が無理矢理お願いしてなのだが)わざわざ足を運んでいるというのに。勉強、教えてくれるって言ったのに!事務所についたらこれだ、どんと目の前に置かれた苦手科目である数学の問題集。これをひたすら解けというなんて、成歩堂龍一という男はなかなかにひどい。そんなこんなで格闘し続けて早1時間。このやりとりも何回目だろう。…やっぱりおかしい。

「名前ちゃんわかんないですよ、ここ」
「いやあ、名前ちゃんならわかるって」
「成歩堂さん、教えてくれるって言ったのに…」

しばらく不毛なやりとりが続く。教える気はさらさらないようで、もうなんでなの。目の前に立ちはだかるはベクトルの問題。意味わかんないよベクトルなんて。絶対将来使わないよ。あまりのわからなさに、とうとう額を冷たいテーブルに押し当てる。秋にしてはまだ暑さの残る気温で熱を持った身体にひんやりとガラスの冷たさ。気持ちいい、このまま寝ちゃいそうだ。しばらく微睡みそうになったそのとき、こつんと頭を小突かれた。誰に、なんて言うまでもない、ひとりしかいない。

「…なんですか」
「ホラ、やろうよ。ぼくと同じ大学行きたいんだろ」
「行きたいけど、成歩堂さん芸術学部だったんでしょ?」

なぜそれを、と言いたげな顔の成歩堂さんに、真宵ちゃんから聞いた、と返す。成歩堂さん、が芸術学部だったなんて知らなかった。弁護士やってるくらいなんだから、法学部とかじゃないのか。と、声を大にして聞きたかったけれどそのへんは深い事情があるらしい。なんにせよ、同じだと思って法学部志望してたのに違うだなんて本当に裏切られた気分だ。ぶすくれていると成歩堂さんに笑われた。もう、失礼。

「まあ、そうだけど。でも名前ちゃんだって公民得意ってわけじゃないなのに法学部だろ?」
「それは、」


成歩堂さんの後輩になりたかったから、なんてあまりにも不純すぎる動機だった。なんとなく知り合って数年。そしてお世話になったよしみでなんとなく一緒にいて2年くらい。なんとなく、就職するときも成歩堂さんの近くがいいなあなんて思っていた気持ちは、いつしか恋慕に変わっていたのだ。そんなこと、いえるわけないけど。だって私と成歩堂さんはたぶん、7歳とか、そのくらい離れてるし、私がここに入り浸ってもとくに気にしてなさそうだし、…つまるところ、まったく相手にされていないからだ。

「…まあ、名前ちゃんはぼくと一緒にいたいもんね」

核心をついた言葉にどきり、とする。でもたぶん、言った本人はそこまで重要なことだと思っていないんだろう。いつもの、ちゃかしだこれは。はあ、とため息をつきたくなる。私より真宵ちゃんのほうが成歩堂さんと仲いい気もするし、成歩堂さんは成歩堂さんでよく真宵ちゃんの話をしてる。はあ、なんか報われない。いつもなら怒って否定するところを、私が黙り込んでいるからか、成歩堂さんが首をかしげている姿が視界に入った。くそう、こっちの気も知らないで、

「…そうですよ、冗談だと思ってそうですけど」

思わず、否定せずに肯定した。ちょっとしたイヤミも混ぜて。なんとなく、言ってやりたかった。この鈍感な男に、私のささやかな恋慕を気づかせてやりたかった。オトナのくせに、なんでわかんないの。と、どうしようもない八つ当たりをする。予想通り成歩堂さんはびっくりして口を開けている。間抜けづら、と心の中で笑う。そんな姿も可愛いなあなんて思ってしまうところが、恋愛の怖いところだ。表情にも出てしまいそうだったので、さり気ない動作でテキストに視線を落として顔を隠す。成歩堂さんがどんな顔してるかなんて、しらない。

「名前ちゃん」
「なんです、か…」

不意にかけられた特にいつもと変わりない声色に少しむっとしながら顔を上げると、思いのほか近くに成歩堂さんの顔があってこっちが驚く。いやなんで、そんな、身を乗り出してるの


「ぼく、オトナだからさ」
「はあ」
「全部気づいてはいるんだ」
「…は、」
「でも、社会人と高校生はなんかアブナイだろ?」

だから、なんだっていうんですか。なんて、問うまでもない。はっと息が詰まる。困ったように、でもにやりと不敵な笑みを浮かべる成歩堂さんは、間違いなくオトナで、男の顔だった。ばくばくと、心臓の音が五月蝿い。きっと赤くなっているであろう顔を隠すこともせず、ただ固まって成歩堂さんの目を見つめる私を、フッとまたオトナっぽく笑って髪の毛をひとなでされる。それからなにもなかったように優雅に小説を読み出す成歩堂さんに、私はいよいよ何も言えなかった。でも、一つだけ感じた。やっぱり、成歩堂さんのために勉強頑張ろう、と。本番まで、もう目前だ。




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