俺にとって何かのためにこのZ市から出るということは面倒臭いことこの上なかった。しかし、わりかし栄えているA市まで出た。正直、このひしめき合ったビルやらせかせか歩く沢山の人がいるこの市内は嫌いだったけど、ヒーロー協会のなんか知らねーけど偉い人からの呼び出しならば仕方が無い。駅前の通りをまっすぐ行って左に曲がって、ヒーロー協会を目指す。くそー、ジェノスのやつ、どこ行っちまったんだよ。なんで俺が、めんどくせえ。こんなたかだか5分かそこらの距離なのに、何人ものティッシュ配りの男性が声をかけてくる。挙句の果てには"驚くほど髪が増える!"といった売り文句のチラシまで貰って俺の怒りのパラメータはカンストしそうだった。俺はハゲじゃねえ。へらへらと近づく男も、キーキーうるさい女。はあ、とひとつため息をついて早足で本部へ向かう。…ほんと、めんどくせえなあ。今日特売日なのによ。ぶつくさと文句を言いながら目的地へ向かい、ちゃっちゃと用事を済ませて、気づいたら夕方。なぜか俺の探していたジェノスはヒーロー協会にいて、犬のように後ろをついて回るものだからそのまま帰りを共にした。あいつらめ、そんな大したことでもねえことで呼び出しやがって。

「サイタマ先生!今日もむなげや行かれるんですか?」

「おー、今日はタマネギが安いからな」

「今日も戦争ですね」

「ああ、俺のタマネギは渡さねえ」


駅に戻るべく、昼よりもずっと増えた人間達の間をするりするりと入っていく。とん、とくたびれたサラリーマンと肩がぶつかって、突然の衝撃にすこし体制を崩す。ぶつかった俺なんかよりもジェノスがそれはもうキレてて、声をかけようとサラリーマンを見るももう人混みの中。…都会人はなんなんですか。とジェノスが小さく言葉をもらしたそのとき、どこからか音楽が聞こえてきた。

「…」


「…サイタマ先生?」


ぐるり、と見渡す止めに止まるのは楽器を弾く若い男女。路上ライブ、らしい。数人はその路上ライブが珍しいのか、足を止めていたが、そのときの僕俺はきっと他の連中より違う理由で立ち止まっていた。不思議そうにジェノスが見つめてくる。


なんの曲かはわからなかったが、気持ち良さげに歌う男子高校生。簡易式ではあったがご丁寧にあったドラムに腰かける男子高校生。そのメロディの主旋律を奏でるギターを弾く男子高校生。そして、紅一点といえるべきベースを聴いている女子高校生。俺の目は、明らかにそのベースの女を映していた。なかなかに激しく演奏する3人に対して、その女は気味が悪いくらいに無表情だった。楽しくなさそうに弾いていたが、何故かその音はいい意味で浮いていた。…楽器のことなんか全然わかんねーけど。


「ベースの女の子、すごいね」

隣からは俺と同じ、いかにも素人臭い感想を中学生くらいの女が言っていた。何がどうすごいのか分からないが何かすごい。素直に感心していた。隣でジェノスも「あの女性、華麗な指さばきですね」なんて感銘を受けている。

別に大したことはしていない、といった顔でなんだかよくわからない早い指さばきで弦を震わせる女子高生。俺はなんとなく目が離せなくて、気づいたら演奏が終わっていた。ぱちぱちと周りの観客か拍手をするとボーカルの野郎がマイク持って「ありがとうございましたー!」と大声で叫んで、他のメンバーの奴らも口々にありがとうなんて言っているのに、その少女はただ楽器をしまうだけだった。

「おい、名前」

「おつかれ、じゃあ帰るね」

「あ、ああ…無理いって助っ人やってくれてありがとな」

「…いいよ」

「来週もよろしく」

ボーカルと交わされたその短い会話。少女は名前というらしい。柄にもなくひとりの女に興味がわいた俺は、担いだベースで身体の9割は隠れてしまいそうな小さな背中を追いかける。これにはジェノスも困惑していた。

「サイタマ先生?」


「あー、あのよ、おい」

「……」
「おいってば!」

「…」
「無視すんじゃねー!」

「…え、あ、あたし?」

早足になった俺の足は担いでるベースの先の肩に少し手を触れる。そので声をかけられているのが自分だと気づいたようで、名前という少女は驚いたように振り返り、そして俺を不審そうに見つめる。
突然声をかけられたのだ、キャッチかナンパかそこらだと思われてるのだろうか。俺、スウェット姿のおっさんだし。


「おめー、うめえのな」

「は、はあ…それはどうも」

「…」

「…」

「あの?何ですか?」

声をかけたはいいが全く何を話すか決めていなかった。やべー、どうする。ちらり、とジェノスに助けを求める目線を送るがジェノスはジェノスでベース少女を睨んでいた。少女はその視線に耐えられなくなったかのように、じゃあ、といってそそくさと逃げようとする。

「あっおい!ジェノスてめー睨むんじゃねーよ」

「す、すみません…」

「…なんなんですか?」

「あ、あー、あのよ。…いっつもここでやってんの?」

「まあ、助っ人でですけど」

ぎこちなくされた会話。柄でもねえことしたから声が上擦る。あーくそ、なんで俺声かけたんだ。不意に聞こえた「…いつもはZ市でやってます」という言葉に、俺とジェノスはふたりして目を丸くする。怪人だらけのZ市で…?

「Z市って、あぶねーだろ。俺らもZ市住んでっけど」

「家賃やっすいですし」

「それはそうだけどよ…」

「ところで、あなたヒーローですよね?」

あなた、というのは俺とジェノスどちらを指しているのか。…いや、考えるまでもなくジェノスだろう。俺よりこいつのが有名だし、S級だし。そんな予想はぽっちりと折られた。あなたですよ、赤いマント着てません?と、彼女は確かにそう言ったのだ。赤いマント。もちろんジェノスはそんなもん着てない。と、いうことは…。

「…え、俺のこと知ってんの?」

「ええ、前助けてもらいましたケド」

「え、えー…まじでか」

「覚えてないようですが、その節はありがとうございました」

「サイタマ先生、いつの間にこんな少女を…?」

「う、悪いな。」


以前俺が助けた、らしい。はて、全く覚えていない。考えても考えても少女を助けた記憶は出てこない。


「その、なんだ。サイタマだ。趣味でヒーローやってる」

なんとなく、そのベース少女と仲良くなりたいとかいう気持ちが湧いてきたせいか、するりと自己紹介をした。…いや、別にナンパとかそういう奴ではない、はずだ。彼女は差し出された手を見て驚く。うーん、と少し考える素振りをして、きちんと俺と向き合って、形のいい唇を開いた。


「苗字名前です。趣味でベースやってます」

俺に合わせてきた自己紹介。くすり、といたずらっぽく笑う姿に、彼女は先ほどの演奏で抱いた冷たいという印象の子ではないようだとわかった。細くてすらりとした長い指を持つ手が、俺の手に重なる。少しどきどきした。ジェノスのいう「ジェノスだ。サイタマ先生の弟子をやっている」という言葉に、苗字名前という少女はええどうも、と人当たりのよい笑顔を浮かべた。

「来週、見に来るわ」

あれほどここへの外出を嫌っていたというのに、今ではもうその来週が待ち遠しく感じていた。少女も、少し嬉しそうに笑顔を浮かべる、

「どうぞ、待ってますよ」

「…ジェノスもだぞ」

「え、ええ、わかりました先生」

そうして彼女はZ市に戻るべく駅のホームへ姿を消した。その背中を呆然と見つめる。と、同時に、ジェノスからの視線にも気づいていた。


「…先生?まさか、」

「帰るぞ、ジェノス」

「え、でも」

「早くしろよ、俺のタマネギ売り切れんだろーが」

すこし熱くなった頬を見られないように、急いでジェノスの前を歩く。ジェノスは混乱していたが、やはりくすりと笑って俺の後ろをついてくるのだった。あ、あくまで、俺はあいつの演奏に惹かれただけだ。たぶん、きっと。そう言い聞かせて。



「来週、楽しみですね」

「…ほっとけ」


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