※暗い



わたしは1週間前、結婚を視野に入れるほど好きだった恋人に振られた。あの日、かすかに溶けだした雪をそこそこに、赤いスポーツカーで私の家まで送ってくれたその日、突然別れを告げられたのだ。何の前触れもなく。スポーツカーのドア越しに。もはや私の目なんて見てなかった。
小さく、しかしはっきりと「別れてくれ」と言われた。そのまま怜侍さんはわたしの返事も聞かずに車を走らせてしまった。ただ、理由が知りたかった。どうして急に、別れてくれなんて、どうして。
しばらくは部屋に閉じこもっていた。仕事には行ったが、同僚に心配され上司に心配され、1週間も休みをもらう始末だった。ずっとずっと考えていた。彼は仕事人間だったけれど、わたしのことをなおざりにしたことはなかった。会話も会う回数も少なかったけど、喧嘩なんてしたことない。それなのにどうしてなのか。いや、むしろ、彼が仕事人間だったからこそ私の存在が邪魔になったのかもしれない。三年。それは二人の男女が時を過ごすにはとても長すぎた時間だった。
別れた日から連絡が来たことなんてもちろん無い。連絡に応じたことも、なかった。それだけで、もう彼との関係は終わったのだとわかったはずなのに、私は信じることが出来なかった。信じることが出来ないからこそ、私はいま、彼の自宅の前にいる。
もう関係は絶たれたはずなのに、女々しく私はそこに居座っている。重たい女だ。いい大人だというのに、気持ち悪い。

きっと突き放される。蔑むような目をして私を見るのだろう。もはや、見てくれるかなんてわからないけれど。それでも来たからにはインターホンを押すしかなかった。心臓がぎゅうっと締め付けられるのを感じながら、インターホンを押す。確認する術なんてなかったから、いるのかどうかも分からない。それでもわたしは出てきてくれるのを待ち望んだ。
どれくらい経ったのだろうか、彼は姿を現さない。いないのだろうか、いや、居留守というやつなのかもしれない。インターホンは1度だけ鳴らした。最初の1度だけ。彼はこない。外の冷気に晒され続けた手はもうかじかんで感覚がない。…諦めよう、彼はきっと留守だったのだ。


ふう、と白い息をつき、くるりと踵を返す。もう訪ねることなんてしない。潔く、諦めたい。彼がいることのほうが稀だったのだ。そう思いながら、また1歩踏み出そうとしたその時、かちゃりと控えめにドアを開ける音が聞こえた。弾かれるように振り向くと、そこにはいつもより一層険しい顔で、彼が立っていたのだ。


「怜侍、さん」

1週間ぶりに見た彼の顔。いままでは、2週間だって1ヶ月だって会わなくても平気だったのに、このたった1週間が恐ろしく永遠のように感じられていた。
御剣さんは最初以外に私の方をまるで見てくれない。当然だ、押しかけたのは私なのだから。心底、気持ち悪い女だと思っているのだろう。珍しく目線は下に泳いでいた。


「あの、」


「…お前に話すことなど何もない」


冷たかった、ほんとうに。ここに来てはじめて私に発した言葉は、刃のように鋭いものだった。

知っていた。迷惑をかけていることなんて。
それでもどこかで期待していたらしく、私の心は深い闇夜に落ちていくようだった。



「ごめん…なさい…」

からからになった喉からやっと出てきたのはそれだけだった。逃げてしまおうか。このままいたら、いよいよ合わせる顔がない。



「…名前」

涙の溜まった目で怜侍さんを見上げると、そこには苦しそうで、今にも泣き出しそうな彼の表情。なぜだ、あなたはたったいま、わたしにはっきりと拒絶の言葉を告げたというのに。泣きたいのはこっちだというのに。


「すまない」

それが何に対する謝罪なのか、私には全くわからなかった。私を振ったことに対する謝罪?理由を言わずに振った、謝罪なの?どちらにせよ、彼はもう私に理由を言うつもりも、ましてやまたよりを戻すなんてことも考えていないらしい。そんなこと、明白だった。


「…ごめん、急に来て、かえるね」

「さよなら」

「御剣さん、」

信じたくなかった事実を知った時、自分でも驚くほどすんなりと別れの言葉が言えた。決して冷めたわけではない。悲しくて悲しくてたまらない。心臓が潰れるような感覚に苛まれていた。でも、ここで泣いてしまったりしたら何の示しもつかないのだ。私は泣かない。泣いたらだめだ。そう必死に言い聞かせて。無理やりに笑顔を取り繕って、彼に最後のさよならをする。もう彼の顔を見ることなんてできなかった。見たらきっと泣いてしまう。再び踵を返して、早足で駅に向かう。頬に生暖かいなにかが伝い、ぽたぽたと冷気に触れている手の甲を濡らす。ぐしぐしと化粧が崩れるのも気にせずにそのなにかを拭う。これでいい。思うことは沢山あるけれど、少なくとも私の中でも彼との関係を断ち切れた。これで、いいのだ。彼との距離が離れていく。最後に、遠く背中の方で、「すまない」という涙の混ざった声が聞こえた、気がした。




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御剣さんはなんらかの理由で別れなければいけなかったという後付け


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