何気なく行った図書室で何気なく手に取った一冊の本。手に取った理由はわからないけど、たぶん表紙が綺麗だったとか、そんな理由だったと思う。特に本に詳しいわけじゃないのにぱらぱらとページをめくっていく。さわりから判断するに、男子高校生と女子高校生の純愛、所謂プラトニックラブを描いた短編小説らしい。そういえばテレビでこの本が紹介されてたっけ。知り合いでもなかった2人だけど、男の方が何気なく読んでた本に挟まってた謎のしおり、そのしおりがキーになって2人は出会い結ばれる、そんな話らしい。
いいなあ、そんな話。俺にだってあったらいいのに。俺だって、隣のクラスの苗字さんとこんな風に…。い、いやだめだ、なんてことを考えてるんだ俺は。苗字さんなんて、それこそ話したことないし、知り合いなんかじゃないし、むしろ、俺が一方的に見てるだけで…こんな、フィクションのようなうまい話あるわけないのに。
ぺらりぺらりと読み進めていた手が、途中で止まった。
やめよう、なんだかこの本を読んでると虚しくなってくる。せっかく部活のオフだったのに、俺はここで何してるんだろう。ツッキー、はやく戻ってこないかな、
ひとつため息をついて図書室の真白い椅子から立つと、ひらり、と何かが舞うのが見えた。…これは、紙切れだ、ピンク色の。あれ、なんだこれ。
拾って見てみると、小さめで整った文字が羅列している。
"この紙を見つけた人へ あなたの恋がうまくいきますように "
唖然とした、まさに、唖然。たぶん誰かのいたずらだろう、こんな、本の内容と似たようなことをするなんて。
誰が書いたかもわからない紙切れ1枚が気になって、しばらく眺めていたら後ろから心地いいソプラノが降ってきた。
「…山口くん?」
「えっ…えっ苗字さん?!」
なんということだ。後ろにいたのは、噂の、俺の想い人、苗字名前さんだった
え、でも、どうしてここに、あれ、苗字さん、俺の名前…
「どうしたの?ぼーっとしちゃって。あれ、部活は?」
「あ、あの、俺、いまツッキーのこと待ってて…」
「月島くん?なあんだ、そうなの。ふふ」
初めて話した、苗字さんと。夢にも見たあの憧れの人と、
初めての会話は、思ったよりすんなりいった…だいぶ吃ったけど。
はじめてだ、こんな近くで見るのも、どうしようツッキー、俺、最高の日かもしれない
ふいに、苗字さんが俺の手に収まってた紙切れを見つけて、それなあに、と身体を前のめりにしてきた。ち、ちかい。いや、一般的には近くないだろうけど、お、俺には近い
「あ、こ、これ、この本に挟まってて」
「…それ!わたし読んだことある!みせてみせて」
ひょい、と紙切れを取り、じいっとながめる名前さん。読んだことあるんだ、この本。この本選んで、よかった…
「へえ、誰かのいたずらかな?それにしても、この本の内容と同じことするなんて粋だねえ」
にこにこと話してゆく苗字さん。イメージより、すこし、おしゃべりみたいだ。さっきからどぎまぎと落ち着かない様子だったのを悟られたのか、はっと目を見張った。
「ご、ごめん、もしかして、読んだことなかったかな?」
その言葉に俺はあわてて否定した、さっき少しだけ読んだところだ、と。苗字さんはすぐに安堵の表情を浮かべた。
「あ、あのさ、苗字さん、俺のこと、知ってるんだ…?」
少なくとも話したことはない、ツッキーと苗字さんが実は仲良しで、ツッキーから俺の話を聞いたっていうのなら、話は別だけど。
あれ、ツッキー…ありえる、ありえるぞ。かわいい女の子ってたいていツッキーのこと見てるから…きっと俺のこともわかるのかもしれない。ああ、どうしよう、苗字さん、もしそうだったら、俺は
「っあ、えと、その…実は、前に夜遅くに自主練してるところ見ちゃって、それで、ね」
はは、と恥ずかしそうに話す苗字さんに一瞬周りの雑音が止んだ。
う、うそだろ、いつ、どの時のことを言ってるんだろう。ツッキー付き合わせて練習したとき?それともサーブ練習ひとりでやってた時?どっちにしても、俺はそのとき、かっこいいことなんてひとつもしてなかったはずだ…恥ずかしい
「そ、そうなんだ!俺も、その、苗字さんのこと…知ってたんだ」
知ってたというより、ずっと見てました。なんて、言えるわけもなく少し震える声でいうと、え、と苗字さんは目を丸くしてた。ああ俺、いまぜったい顔赤い。
「う…うれしいな、ありがとう」
照れ笑いをした苗字さんはさっきのにこにこ笑顔とはまた違って、余計、かわいい。すべての時間が止まってるようだった。このときばかりは、ツッキー、まだ帰ってこないでなんて思ってしまった。
「…」
「…」
ふたりとも照れたせいか、微妙な間があく。苗字さんはいまだに照れ笑いをしてるし、俺に至っては恥ずかしくて顔も上げられない。どうしよう、なにか、なにか話さなくちゃ…!
「…あの!さ、」
何を話そうか考えあぐねてるうちに、この沈黙を破ったのは意外にも苗字さんだった。
「な、なに?」
「その、わたし、山口くんと…」
しきりに髪をいじってもじもじする苗字さん。期待するわけじゃないけど、なんなんだろう、なにを、言うのだろう。
「お友達になりたいなって、思ってるんだけど、」
だめかな、なんて困ったように笑った姿に、俺は再度射抜かれた。もはや、他には何もいらないくらいにふわふわした気持ちだった。
「お、俺なんかでいいの?!」
「俺、ツッキーみたいにかっこよくないし、バレー上手くないし、目立たない、し…」
自分で言ったにも関わらず、声はどんどんしぼんでゆく。こんな、かっこ悪い姿を見せるつもりじゃなかったのにな
「わたし、山口くんとお友達になりたいなあ」
苗字さんはへらり、と笑った。
手に持ったピンク色の紙切れが、僕にとってはキューピットのように見えた。
「お、俺の方こそ!ぜひ!」
よろしくね、なんてふたりで握手をして、ふたりで笑い合う。
こんな展開、あの本のようだ、まさに、あの本のとおり。知り合いなんかじゃなかった2人が友達に。
夢みたいだ。夢じゃなくて、もちろんフィクションではなくて、これは現実だ。嘘のつきようのない、リアルなのだ。
この小さな紙切れを書いてくれた誰かさん、俺はいますごくすごく君に感謝してる。
フィクションのようなうまい話を、俺はもう少し信じてみる。
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