巨人に認知されない人、という者がいるらしい。あるときエレンから聞いたことだ。巨人に認知されないとは、おそらく捕食対象ではない、つまりは巨人に食べられることのない人がこの璧内のなかでただ一人だけいるのだという。それを聞いた時は僕はもちろんミカサも、ジャンも、ライナーやベルトルトだって、その場にいた訓練兵時代の友人全員が驚き口をあんぐりと開けていた。一体、巨人に認知されないただ一人の人、とは。


「…てめえ死に急ぎ野郎、テキトー言ってんじゃねえぞ」
「ジャン、エレンは嘘はつかない」
「いいよミカサ。……俺が地下牢で隔離されてた時、見張りの看守が言ってたんだよ」

エレンが語るには、地下牢という狭く忌々しい空間でもしかしたら巨人かもしれない若造の見張りに嫌気がさした看守の一人が、食事を出した後にぽつりと口をすべらせたのだという。「巨人疑惑はいるわ、巨人に認知されないヤツはいるわ、どうなってんだよ」と。もちろんエレンはその言葉に強く問いただしたが全く相手にはされず、結局情報はそれしか掴めなかったらしい。しかし確かに言ったんだ、巨人に認知されないヤツがいる、と大真面目にいうエレンの瞳を見て、僕達はごくりと唾を飲み、その些か信じ難い情報を信じるほかなかったのだ。本当にそいつはいるのかもしれない、としんと静まり返った僕達のなかに吐き出されたエレンの言葉。皆がみな慄いた。僕だって信じられない。そんなの、壁の外に海とよばれる巨大な池があること以上に信じ難いことなのだ。重々しい空気の中ライナーが静かに口を開いた。

「…それ、本当なんだな?」
「……ああ、間違いねえ、俺は聞いた」
「ホントにそんなヤツ、いんのかよ…」
「わ、わたしは、…ちょっとだけ、信じてみたいと思うけど」

立て続けにジャン、クリスタがあとに続く。僕はふと考えた。ほんとうに、本当にそれが確実に存在する人だとしたら、それは、

「…それこそエレンに続く人類の希望、なんじゃないかな」

僕の声に皆がはっと口をつぐむ。このことは、誰が知っているのだろう。看守が知っていたということは調査兵団の人たちは知っているということだ。…おそらく、国のお偉いさんたちも。一体どんな人なのだろう、姿は、形は?どうして認知されない?なぜ、ヒトではないのか?考え出したら止まらない。昔っからの探究心の強さが、仇になる。僕の心は既にその人類の希望に奪われていたのだ。


「…俺、リヴァイさんに聞いてみる」
「オイオイ、まじかよ、殺られんなよ…」
「エレン、そんな危険なこと、させない」

「俺がなんだって?」


突如後ろから聞こえたドスの効いた声。…振り返らなくても分かる。この場にいた全員が思っただろう…終わった、と。


「リ、リヴァイさん…」
「エレンよ、俺がいないところで俺の噂話か?」
「い、いえ…その、違います」
「ほう…?」
「あ、あの」

醸し出すずんと重い空気と、エレンのキョドった声。不釣り合いな二つはいくつもこだました。左へ右へと泳いでいたえれんの目線が、ちらり、と僕の方へ向かってした。どうしよう、聞くべきか、といったそんな目線に、僕は思わず聞いてくれ、と言うようにこくんとひとつ頷いた。そして、「…巨人に認知されない人がいるとは、本当ですか…」と消え入りそうな声で問うのだった。

「…誰から聞いた」
「い、以前、地下牢で看守の方に…」
「……」

わかりやすく眉を潜めて大きな舌打ちをするリヴァイ兵長に、びくり、と周りの人の肩が揺れる。後頭部あたりをがしがしとかいて、大きくため息をつきながらエレンを強く見据える。そして、エレン越しに僕たち全員に目配せをした。じろり、じろりと舐め回すかのような視線に、思わずぎゅっと目をつぶる。

「…てめえら、全員調査兵団希望だったな?」
「は、はい」
「仕方ねェ、いずれか知ることになるだろう」


そしてもう一つ大きなため息をついて話し始めるのだった。


「エレンなんかよりずっと前からあの女は地下牢で監禁されてやがる。…もう3年になるか。おそらく、巨人の仲間でもなければもちろん俺達に刃向かうゴミでもねえ。無害だ。」

「…そ、れは、公表されてないんですよね?」
「…エルヴィンの野郎がうるせえ。が、アイツは間違いなくこの世の中を変えるような存在になる」
「世の中を変える…?」
「考えてもみやがれ。どれだけ貴様らが死のうとも、訓練を受けようとも、どれだけ多くの市民が食い殺されようとも、アイツらきったねェ巨人どもはその女一人だけを認知しねェ」


そんなの、ムカつくと思わねえか?と小さく言ったリヴァイ兵長の言葉は、僕達に大きくのしかかった。巨人のせいで何万何千ともっとそれ以上に失った生命たち。血も涙もない巨人たちが唯一認知しない存在。…異端だった。この世界では少なくとも、その女性は異端以上の何者でもなかった。そんな女性が、気になって仕方が無い。それはエレンも同じだったようで、若干食い気味にリヴァイ兵長に突っかかる。

「っ俺!ソイツに会ってみたいです」
「駄目だ」
「あ、あの、リヴァイ兵長。僕も、会ってみたいです」
「…てめえら」

しばらく僕とエレンとリヴァイ兵長の睨み合い(というか無言の時間)が続く。…やがて、リヴァイ兵長が本日何度目かのため息をつく。「仕方ねェ」という言葉とともに。その言葉に僕とエレンは二人で顔を見合わせた

「あ、あ、ありがとうございます!!」
「ありがとうございます!!」
「2時間後地下牢の前まで来い」
「はい!」



そして来たる2時間後、僕とエレンは揃って地下牢入口に赴いていた。リヴァイ兵長の後ろにつき、ぎいい、と低く唸るドアを開けずんずんと進んでゆく。エレンも僕も、呼吸を忘れたかのように緊張を顕にしている。かつん、かつん、と自分たちの歩く音のみ、暗闇に響く。そしておそらく最下層、空気も悪い場所まで降りてきた。じゃらり、と向こうの方で音がスフ。

「…っあ」
「てめえらのお望みのモンだ」
「……」


白く薄っぺらな布を見にまとう女性、…いや、少女。ひどく弱々しそうな細い体に不釣り合いの黒々光る鎖。非対称ともいえるその光景に、エレンも息を呑んだのが伝わった。双方の瞳が僕を捉える。驚愕の色を滲ませる顔に、すべてに、この瞬間僕は惹き込まれてしまった。


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長編にしようと思ってボツになったもの


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