小説家の逆襲
「お前はよくやってるよ。たった一回の失敗くらい、気にすることないだろ」
「、うん……」
ソファについていたもう片方の手を彼の後頭部に回し、顔を近づけた。
意図を悟った犬飼が目を閉じたので、最初にその額に唇を落とす。
次は閉じられた瞼の上、その次は通った鼻梁。こっそり犬飼の顔を見ると、耳と頬がほんのり赤く染まっている。
いつもへらへらと薄笑いを浮かべている顔は、まるで初めてキスされたかのような固い表情だった。
吹き出すのを必死にこらえる。
二宮は犬飼のこんな表情は見たことがないのだろうと思うと、優越感と犬飼に対する愛しさが一気にふくれあがった。
鼻にキスしたきり、何も反応がないのを不審に思ったのか、犬飼の固く閉じられていた瞼がうっすら開かれた。
「みょうじさん?」
「ん?」
「……まだ、なんだけど」
ここ、と言いながら唇を尖らせてアピールしてくる。
「ああ」
望まれた通り、そこにキスした。
顔を離すと、目を薄く開けた犬飼がとろけそうな笑みを浮かべた。多少は機嫌が上向きになったようだ。
すり寄ってくる頭を撫でてやって、犬飼に聞いてみる。
「多少は慰められたか?」
「んー……まあまあ? 後はもうちょっと甘い言葉くれたらいいのにって感じ?」
「甘い言葉? ……そうだな」
顎に手をやって、言われた通り甘い言葉を考えてみる。
今まで書いた小説での甘い言葉を思い返してみたが、どれを考えてみても犬飼には合わない気がした。
何かを期待している彼の視線を受けて、別に歯が浮くような甘い言葉でなくてもいいことに気が付いた。
「……お前は面倒くさいし、すぐ落ち込むし、何かと言うと二宮ばかり気にするけど」
「ちょっとみょうじさん、俺甘い言葉がほしいって言った!」
「そういう堪え性がないところも、全部ひっくるめて俺は好きだよ」
柄ではないかと思ったが、向こうから差し出された機会でもない限り、おそらく口にする言葉ではない。だから思い切って言ってみた。
犬飼が聞きたがったから言ったというのに、言われた本人は「ひぇっ」と間抜けな声をあげて、俺から距離を取ってしまった。
とはいえソファの上だから、さほど離れてもいない。30p程度の隙間を作って顔をそらしている犬飼に声をかける。
「どうした?」
「……みょうじさん、それ、反則……」
「なんだ、お前が言ってほしいって言ったんだろ」
「そうだけど! まさか、そんな、はっきり好きだっていうなんて思わなかったし!」
「慰めろって言うから」
自分から頼んでおいて、今さら何を言っているのだろうか。
それは、と言葉を濁して、顔を真っ赤にしながら縮こまる犬飼。上目遣いにこちらを見上げているその姿が、いつもと違い、初心で面白い。
いたずら心が鎌首をもたげて、俺はわずかな隙間を這いよって詰める。
犬飼はびくりと肩を揺らした。
「な、なに、みょうじさん」
「お前可愛いな」
「か、可愛くない! てか、やめて、距離つめないで! ……うわっ!」
じりじり距離を詰めていったら、とうとう犬飼がソファから落ちかけた。
それを片手で受け止めて引き寄せると、彼の体がこわばる。
うかがうようにこちらを見上げるその目と、小学生の時に見たウサギ小屋のウサギの眼とがかぶった。
うまく言葉にできないが、これがいわゆる、「ムラッときた」ということだろうか。
「ちょ、まって、や、待ってってば!」
「今更だろ」
半ば衝動的にソファテーブルの上に犬飼の体を横たえて、両手を抑え込む。
電気をつけたままだから、いつもより顔がよく見える。
空いた片手で頬を撫でて、再び口を開いた。
「犬飼、好きだ」
「う、あうぅ……」
「たまにはこうして声にするのもいいもんだな」
「みょうじさん、楽しんでるでしょ!?」
「まあな」
言いながら、もう一度犬飼の唇にキスした。
いつもいつもこちらが振り回されているのだから、たまには俺が振り回してやるのも悪くはない。
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