手練手管(Press Any Keyのオメガバースパロ)
(本編とは別物としてお読みください)
なまえはオメガだ。
というのを、本人から聞いたわけではない。ボーダーにいる限り、定期的に受けなければいけない健康診断、その結果をちらりと見てしまっただけ。
そこにははっきりとオメガ、と記載がされていた。
オメガであるから差別される、というのは、数十年前まではあったらしいが、現代においてはほぼない。それでもオメガ性を隠すのは通例のようになっていて、なまえもそのせいか、自分の性別をベータと偽っていた。
別に性別で態度を変えるつもりはないし、会ったその時になまえとどうにかなるつもりもなかったから(お尻はいい形だったけど胸はないし)、特に性別を気にしたことはなかった。
と思っていたのが、つい1か月前に考え方を変えざるを得ない出来事が起きた。
「……なまえ?」
「……迅」
本部の廊下で、苦しそうに壁にもたれかかっていたなまえ。
数m離れていても鼻をつく甘い匂いに、発情期が来たんだとすぐに分かった。この匂いは、発情期のフェロモンだ。
ぐっとこみあがるものを押さえ込みながら、ずかずかと彼に近づく。
足元に落ちていたかばんを拾い、勝手に中を漁る。処方箋やピルケースといったものは確認できない。
「抑制剤飲んでないのか?」
「ロッカーの、なか……」
どうしよ、と口を押えて、顔を赤くしたなまえが眉をしかめる。
たいそう色っぽいその様子を見て、俺は小さく呟いた。
「……うっそぉ」
彼が薬を持っていないことについてではない。今、頭をよぎった未来に対しての言葉だった。回避できる術はある、あるけれど。
立つことさえもつらくなったのか、かくりと膝が折れた体が傾ぐ。落ちる前に慌ててその体を支えると、無意識か、なまえの手がおれの肩を掴む。
その仕草と、むせるほど甘い匂いと、無防備にさらされた白い頸筋と。頭がくらくらと、何も考えられなくなる。
ああ、と思った時にはすでに手遅れで、その首筋に歯を突き立てていた。
そんな出来事があって、なまえとおれとは、番になった。
「なまえ」
「うるさい」
「反応酷すぎない?」
任務を終えた彼に呼びかけても、帰ってくる反応はことごとく冷たいものばかりだ。
先日番になったばかりとはいえ、その態度は変わらない。むしろ、前よりひどくなったような気さえする。
当然だ、番であっても、おれたちは恋人同士ではない。
番とはあくまで、そういうつながりというだけで、親兄弟と似たようなものだ。
切っても切れない縁というだけ。
確かに、あの時は衝動という面も否めなかった。だけど、おれにとって、家族と同じような存在の人間ができたというのはそれなりに心を弾ませる出来事だった。
だからと言って何というわけでもないが、少しくらい心を許してくれてもいいんじゃないか、と思ったりしなくもない。
おれと番になりたかったわけでもないなまえにしたら、どうでもいいことなんだろうが。
おれの前を歩く彼は、ぴんと背筋を伸ばし姿勢よく歩いている。おれがかみついた白い頸筋は今も無防備にさらされていて、生唾を呑み込みそうになった。
しかしそれを押さえ込み、そろりと指を伸ばす。かみついたあたりを触ると、なまえの体がびくりと揺れた。
すぐに立ち止まったなまえがおれを振り向き、射殺しそうな目でこちらを見てくる。
「あー……ごめん?」
「……別にいいけど」
「……いや、まぁ、触ったのだけじゃなくて」
「は?」
口からそんな言葉が転げ出た。しまった、とは思ったが、取り消すすべもない。
首をかしげた彼に、髪を耳にかけながら、このところ思っていたことを口にする。
「……噛んだだろ、首」
「ああ……それが?」
「ほら、なまえはさ、おれのこと番にしたいとは思ってなかったわけだろ? それをまあ、無理やりみたいに噛んで、悪かったなーと」
自分で言っておきながら、少し傷つく。
自分がなまえにそこまで好かれているとうぬぼれているわけではない。むしろ、確信はないが嫌われている方だとさえ思う。
番という関係を解消することはできないから、なまえには一生おれの番でいてもらうしかない。だけど、もしも途中で彼が誰かを好きになったら、その人と付き合いたいと思ったなら、その手助けはしてやるつもりだった。
だから遠慮なんかしないでいいと、そこまで告げて、はたと気が付く。
先ほどまで面倒くさそうだった顔のなまえが、ぽかんと目を見開いておれの方を見ていた。
「……あの、なまえ?」
「……何言ってんの?」
「え? いや、だから」
「もしかして、そういうこと?」
「何が? え?」
なまえは体ごとこちらに向けると、少し困ったように眉を寄せた。どういったらいいかな、と小さく呟いてから、しばし考え込む。気まずい沈黙が通り過ぎてから、彼は口を開いた。
首の後ろ辺りをさすって視線を外して、なんだか居心地が悪そうだ。
「なんていうか、迅って案外純粋だったんだ」
「は?」
「……あー、うん、そうだよな。普通の19歳だもんな……」
「ちょ、待って、わけわかんない。何?」
「ん? うん……」
ため息をつき、なまえはあらぬ方向に向いていた視線を再びおれに向け、あのさ、と言葉を続ける。
「僕のこと噛んだ時さ」
「う、ん?」
「周囲に迅以外が誰もいなくて、わざわざ抑制剤だけロッカー入れてて、これ見よがしにうなじ見せてきて、……それが全部、ただの偶然だと思う?」
「…………え」
「迅、あそこよく通るから、あわよくば程度だったんだけど。念のためにポケットに一錠だけ、抑制剤も入れてたしね」
だいいち、発情期になってもトリオン体になればいいだけの話だし。
さらりとそんな言葉で結んで、なまえは笑った。それが、例えば友人に見せたり、家族に見せるような表情ではない、ひどく婀娜っぽい、色気を感じさせるような笑みで。
そうか、嵌められたのだと悟るのに時間はかからなかった。
「うっ……っそだろ!?」
「まさか本当に気が付いてなかったわけ? 欠片も?」
「気づかないっての! ていうか、あんだけ辛そうだったのにそんなことする余裕あるとは思わないし!」
「二次性徴の時から発情期とお付き合いしてんだよ。オメガのしたたかさ舐めんな」
なまえはどこか満足そうに笑うと、再び足を動かし始めた。未だ納得がいかないおれは、彼の後ろを追いかける。もう100歩譲って、嵌められたのはいい。なまえが番だというのは嬉しい。
そうじゃなくて、どうしておれを番にするべく、そんな画策をしたのか、その理由が聞きたいのである。
「なまえ、ちょっと待っ、」
肩を掴もうとした手が空ぶる。なまえが身をひるがえし、その手を掴んだ。おれの体が前に傾いで、一瞬で彼の顔が近づく。
顔の一番柔いところがくっつくその直前で、ぴたりと接近が止まった。
「こういうことしたいと思ったから、じゃダメなの?」
至近距離でまた、まるで女みたいに匂い立つような色気を漂わせ、なまえは笑う。
「……ダメじゃない、です」
「ならいいよね?」
じゃあ報告書仕上げてくるから、またね。
するりと抜けて、彼はすたすたと歩き去る。いなくなった後も、おれはその場から動けないでいた。ああもう、あの時、ここまですべて視えていればよかったのに。いや、どちらにしろかなわないだろうか。
なぜか、一つ年下のはずの彼と話していると、一回りも年上の人物を相手にしている気分になってしまう。
だけどなまえ、釣った魚に餌をやらないのは、そろそろ終わりにしてくれよ。
ゆの字様
リクエストありがとうございました! オメガバースパロでした。
オメガバースを名前しか知らなかったのですが、調べてみたらとんだ素敵設定で、楽しみつつ書かせていただきました。翻弄される迅さんが書けて満足です。
お楽しみいただけたら幸いです!