疲れ男と良妻優等生
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これの続き)

ばさばさと、目の前に書類が積み上げられる。

唖然として見上げると、なぜかぱっぱと手を払っている唐沢さんがこちらを見下ろしていた。今日もいつもと変わらず垂れ目だが、その下にわずかにクマが浮いている。

「それ、今日中に頼むよ」
「バカにしてんですか」
「はは、残念ながら本気だ。見た目ほどじゃないから」

ちょっとシャワー浴びてくるよと、唐沢さんはネクタイを外しながら大浴場へと歩いて行った。俺は頭をかいて、しぶしぶながら今日中と言われた書類たちに手をかけた。

第二次大侵攻と名付けられた、四年半前の八倍の規模の近界民強襲。
被害にあった市民たちの補償やらなんやらを三門市や国と連携して行って、今死ぬほど忙しい。外部とやりとりするのは営業の仕事だからだ。

しかもそれに加え、唐沢さんが気まぐれで「三雲修くん」に反撃の場を作り、そこで近界への遠征の話が公になった。スポンサーに名乗り出てくる企業や資産家が倍増したせいで、今俺と唐沢さんは、鬼怒田さんに勝るとも劣らないほど働いていた。

唐沢さんは連日泊まり込みだし、かく言う俺も今何徹目だっけという話だ。

徹夜。てつ。哲次。

哲次が、圧倒的に足りない。

「寂しいよ、哲ちゃんー……」

泣き言を口に出しながら、それでも手はせっせと書類を片づける。

恋人の哲次は、最近新人の入隊日があったからそちらにかかりきりで会えていなかった。
その直後に大侵攻、その後に俺がこのありさま。会うどころか、連絡さえできていない現状。転職しようかなと考えてしまうレベルには俺は疲れていた。

「哲次ーぃ……」

あぁあ、でも哲次はボーダーやめたくないだろうし。
戦えないけど、俺だって哲次のサポートしたいし。
だからボーダーが存続できるようにしないといけないし。

やけくそで手と目と頭を動かして、今日も俺の徹夜が決定した。


「今日で一通り終わりだよ。よくやってくれた」

隣の座席から、疲れた声の唐沢さんが告げる。
シフトレバーを切り替えながら、俺も同じような声で返した。

「やっとですよ。もう2週間も家帰ってないですよ、俺」
「俺もだよ。いや、なかなかハードだったね。遠征効果はまだ続くだろうが、ひとまずは一息つけそうだ」
「今日帰ったらもう電話とかメールとか一切見ませんから。寝ますから。明日……明後日以降ですからね」
「申請はしておいたよ。そろそろ恋人と会いたくなる頃かと思ってね」
「お気遣いどうも。けど、向こうも忙しいだろうし、たぶん会いませんよ」

ランク戦がそろそろ始まるし、第一哲次には受験があるし。
電話はするけど、たぶんそれだけだ。

駅の前で車を止め、唐沢さんを下ろす。さしものラガーマンも、このところの忙しさには参ったようで、顔に覇気がない。
お疲れ様ですと頭を下げ、俺は車で自宅に向かう。

住宅街に入り、朦朧とする意識を自分の頬をビンタすることでつなぎ留めながら、どうにか俺の家があるマンションにたどり着いた。

電話。いや、いいや。夜にでもかければいい。今はとりあえず、眠い。

エレベーターで階を上がり、うつらうつらしながら廊下を歩いて、ポケットからカギを取り出して。
鍵穴に差し込もうとしたその瞬間、ガチャリと部屋の中から音がした。

「え?」

思わずカギを取り落とす。

呆ける俺をよそに、扉が開いて中から人が出てくる。
短く切りそろえられた茶色の髪、シンプルな灰色のパーカー。手には財布を持っていて、向こうも俺と同じくぽかんとしていた。

やっと我に返って、扉を開けた人間を指さす。

「て、哲次?」
「……よ、よお、お帰り、みょうじさん」

はっとした哲次が、ややぎこちない笑みを浮かべ、そんな言葉をかけてくれた。

そのとたん、静かな水面に大きな石を投げ込んだように、いろいろな感情が噴出した。

「哲次―!!」
「うおっ!?」

カバンを放り出し、目の前の体に抱き着く。

俺の手から離れたそれが、床にぶつかる音も遠くに感じるくらい、久しぶりに会えたことがうれしかった。
そういえば、俺が早く家を出るときもあるからと、哲次に合鍵を渡していたんだっけか。

首筋に顔を埋め、犬がやるようにぐりぐりと頭を押し付けていたら、おずおずと背中に手が回る。そこでようやく理性が(わずかに)戻ってきて、哲次から少しだけ体を離す。

お互いが背中と腰に手を回して、非常に近い距離のまま、俺は哲次に尋ねた。

「だけど、こんな時間まで何してんの? だって今……3時? 3時!?」

まじか。

唐沢さん、駅に置いてきたけど、もしかしてあの後タクシー拾ったのかな。
だとしたら悪いことをしたかもしれない。

「……待ってたんだよ、悪ぃかよ」
「いや、全然」

悪いことなど何一つなかったな。

優等生で、生活習慣なんかも非常にストイックな哲次が、わざわざそんな夜更かしをしてまで、俺を待っていてくれたのだ。
だいぶ寂しかったようだなと、自分もそうだったことは棚に上げ、にやにやと口角を持ち上げた。

「眠気覚ましに買い物行こうとしたら、ちょうどに帰ってくるし……。タイミング悪すぎだろ……」
「そんなことないって。むしろいいタイミングだった」
「……はぁ。飯は」
「今食べたら戻しそうだから。明日食べられたら食べる」

疲れと眠気がピークだった。
人間疲れすぎると、食欲なんかなくなるものだ。俺の顔色を見てか、哲次は仕方ないというようにため息をついた。

「んじゃ、今日は風呂入ってとっとと寝ろよ。布団干して、シーツも洗濯しといたから」
「ありがとう……哲ちゃんマジ良妻……」
「くだらねーこと言ってないで、ほら行け」

俺が放り出したカバンを拾い、哲次が玄関の内に俺を引っ張った。
時間が時間だから人はいないが、今までずっと廊下でいちゃついていたのである。別に見られたところでどうということもないが。

ふらふらしながら、着替えを取るため自室に向かっていたら、哲次はカバンをもったまま後ろについてきて、不安そうに尋ねた。

「みょうじさん、大丈夫か? 足元おぼつかねえけど」
「ははは……大丈夫……。そういや、哲ちゃんなんで家に? 布団干したりってことは、今朝からいたの?」

ふと疑問に思い、こちらからも尋ねてみる。

合鍵を渡してはいるものの、ずっと連絡は取れなかったし、いつ仕事が終わるかもわからないはずなのに。ハンガーを持って待機してくれている哲次に背広を渡したら、上着をかけながらさらりと答えてくれた。

「そりゃ、みょうじさんが帰ってくるまでここいたしな」
「え? ここいたって、ここで生活してたの?」
「ああ。帰って来た時、誰かいた方がいいと思ったからな」
「あー……。本当に良妻じゃん、哲ちゃん」
「言ってろ」

解いたネクタイもハンガーにかけ、哲次は口の端をゆがめた。

俺は彼を囲い込む気はないけれど、そろそろ指輪くらいは買ってもいいかなと思う。
もしくは、うちによく来るように、筋トレ用品でもそろえるか。けどそれだと穂刈が釣れるかな。

「? 哲ちゃん?」

変なことを考えていたら、哲次がこちらへもたれかかってきて、首に手を回してくる。すでに風呂には入ったのか、同じシャンプーの匂いがした。随分久しぶりに感じる。

「……連絡もねえし。本部ですれ違っても挨拶さえできねえし。かといってこっちから行けねえし」
「え、すれ違ってた?」
「まぁ、そんなもんだよな」

忙しそうだったから、といささか拗ねた口調で言われ、申し訳なくて背中をとんとんと叩く。
哲次は腕を離し、俺の二の腕をつかんだ。正面からじっと俺の顔を見つめ、口を開いた。

「……おかえり、みょうじさん」
「ただいま、哲次」

仕事のストレスなんて、きれいさっぱり吹き飛んでしまったようだ。


「ね、哲ちゃん。風呂一緒に入ったりとかはしてくれないの?」
「……頭洗うだけならまあやってもいい」
「まじか。冗談のつもりだったのに」


匿名様
リクエストありがとうございました! 荒船夢でした!
荒船はなんでも完璧にこなしそうな感じがするので良妻風にしてみた……つもりです……。
リクエストありがとうございました!


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