飛んで火に入る(これの続き)
油断してたら襲う、とみょうじに宣言されて、今日で一週間が経つ。
冗談だとも言われず、からかっている様子でもなく、翌日から戦々恐々とした日々を余儀なくされたのだが、特にこれといった事件もなかった。
宣言をされた翌日はさすがに警戒していたが、刺さる感情はいつも通りで、態度も別段おかしなところはなかった。
「あ、カゲ、おはよー」
「! お、おう……」
「? どうかした?」
「……いや、なんでもねー……」
ふわふわ笑うのも、少し抜けたようなところを見せるのもいつも通り。
しかし、前日のあの顔を見てしまっては、俺のほうがいつも通りに接することができない。
鋼には天然でどうかしたか?と聞かれるわ、当真にはからかわれるわで散々だった。それでもその一件を言うわけにもいかず、イラつきも収まらなかったので、犬飼をボコボコにした。
だが、そうしておかしな態度をとり続けたからか、そのまた翌日。
「カゲ、ごめんね」
「は?」
「俺が変なこと言ったから、気にしてるんでしょ?」
申し訳なさそうに眉を下げたみょうじから、そう謝られてしまった。
嫌だったら忘れてしまっても構わないと言われて、反射的に気にしていないと答えてしまった俺は悪くない。
それに、もし本気で騙そうとしているなら、俺のサイドエフェクトでわかる。不意打ちがきかないのがこのクソ能力の数少ない利点だ。
だからやっぱり、あの言葉はそう深い意味もないんだろう。
そうやって自分を納得させて、その後は比較的穏やかに過ごした。
たまに思い出しては背筋にうすら寒いものを走らせたが、みょうじの姿を見ればそれも消える。
そうして、今。
奇しくも、みょうじに猫かぶりをカミングアウトされた屋上で、俺は今までの自分の考えを心底後悔していた。
背中には落下防止用のフェンス。
手は地面に縫い付けられて、目の前にみょうじの顔がある。逃げようにも、俺の足の上に乗り上げているせいで逃げられない。
「カゲ」
名前を呼ばれ、落ち着きをなくす俺を、一週間前のあの顔で笑う。
さっきまで、のんびりと会話していたはずだ。当真がまた居眠りをしていたとか、穂刈が教科書に隠れて太鼓の練習をしていたとか、そんな他愛もないことを。
それで少しうとうとしだしたところで、いきなりこうなった。
訳が分からない。
まさに不意打ちでこうなってしまった。
「な、なんだよ」
俺の声が情けなく震えたのに対し、みょうじは目を細めて、唇の端を舌でぺろりとなめた。完全に肉食動物らしいそれを見て、背筋を冷汗が伝った。
「俺、この間言ったよね。隙見せたら襲うって」
細い指先が俺ののどを滑り、首を通って耳に到達する。
悪寒とは別の何かが体を這いあがり、顔が熱くなる。背後からは運動部の練習する声が聞こえてきていた。
そんなものにはお構いなしにみょうじは片手で俺のシャツのボタンを外そうとする。
慌ててその手を押さえ込んだ。
「待っ、まて、何する気……」
「何って、カゲってサイドエフェクトあんでしょ。わからない?」
「そういう能力じゃ、っ」
服の裾から入ってきた手が、腹筋の割れ目をなぞっていく。
思わず息を止めると、より鮮明にみょうじの感情が突き刺さった。
強烈に自分を欲している、その感情に気を取られて数秒動きが止まってしまった。その隙に服をはだけさせられて、いよいよ逃げられないと悟る。
嫌ではない、嫌ではない、が。
足を立て、動きを妨害する。
どうあっても止める気などなさそうなみょうじを見上げ、口を開いた。
「おい」
「ん?」
「……ここだと、向こうから見えんだろ」
小さい声で、そう呟くことしかできなかった。
起き上がる気力もなく、ぐったりと寝ころんだままの俺の頭を、みょうじがゆっくりと撫でる。先ほどまで散々、自分の好きなようにもてあそんでいたくせに。
撫でているその手つきが心地良くて目を閉じる。
そこでようやく、先ほどまで不思議に感じていたことを思い出した。片目だけ開き、満足そうなみょうじの顔を見上げた。
「そういや、思ってたんだけどよ」
「ん?」
「みょうじ、俺のサイドエフェクト知ってんだろ」
「感情受信体質、だっけ。知ってるけど、それがどうかした?」
「……全然気づかなかったんだよ。おめーが、あー……」
「やりたがってるってこと?」
あけすけに言われて、ぐっと言葉を飲み込む。本当に、屋上に来る前のあのみょうじはどこに行ったんだろうか。
嫌ではないけど、物寂しさがあるのも事実だ。
複雑な心境などつゆ知らずで、みょうじはあっさりと、何でもないことのように言った。
「まあ、どっちも本当だからじゃない?」
「は? どっちも?」
「カゲが可愛い可愛いって思ってんのも、やりたいって思ってんのも。四六時中後者ばっかりってわけじゃないよ。それに、カゲって不快な感情には鋭いけど、それ以外には鈍いしね」
だからそこ狙った、と見たこともない顔で笑いながら言われて、何も言えなくなって黙りこむ。顔をそらした俺に再びみょうじが笑い、髪をすくいあげるように手が動いた。
俺の腰をさすっている手を取って、指を絡める。今度はその手が持ち上がり、関節の部分にキスされた。
「怒らないでよ」
「怒ってねえ」
少し申し訳なさそうな声に、そっけなくそう返した。
セックスしたくなかったわけじゃない。付き合っていればいつかそういうこともあるだろうとは思っていた。ただ、少し思い描いていた形と違ったというだけ。
しかし、それはそれとして、思っていたよりもみょうじに見られていたのが、自分でも意外なほど嬉しい。
それを悟られるのが嫌で、顔をもう片方の腕で隠す。
しかし、それさえみょうじには見透かされているようで、小さく笑う声が聞こえてくる。庇護欲を煽るところに何とも言えず惹かれていたが、実際手のひらの上で転がされていたのは俺のほうだったのかもしれない。
「……30分くらいしたら起こせ」
「わかった。膝貸そうか?」
「ん」
少し固めの膝に頭を乗せると、柔らかい表情で俺を見下ろしているみょうじがいる。
いくらぐだぐだと理屈をこねようが、結局は、こうして一緒にいられるならどっちでもいいというのが、俺の本音なんだろうと思う。
あおき様
企画へのご参加ありがとうございます! 影浦夢でした!
この後はもう、猫かぶりする必要性がなくなったので、周囲にも猫かぶりをやめてしまうんじゃないかと思います!
お気に召していただければ幸いです!