こんこんと眠る君が、もはや戻れないのだとようやく気が付いた。
 薬も祈りも何もかも、その領域には届かなかった。さんざん君を苦しめて、そうしてやっと私は、覚悟をすることができた。
 私の覚悟を待っていたかのように、君は静かに彼岸へと渡った。

 遺体を荼毘に付すその前日、君は私の夢に現れた。

 黄疸が現れた皮膚は、鴇の羽のように柔らかな色へと戻り、骨が浮き出るほどやせた体には、死んだ後だというのに生気がみなぎっていた。いたずらっぽい笑顔を浮かべ、元気だった時のように飛び跳ねて、私にまとわりついた。

 触れても温度のない体がつらくて悲しくて、笑う君と対照的に、私は泣き崩れた。謝り続ける私の言葉の、なんと空々しいことか。
それを意に介することもなく、君は笑い続けた。
 美しく生にあふれた君は、まぎれもなく死者だった。

 夢はやがて朝日に呑まれ、君は寂しそうな顔をして融け消えた。

 棺の中には、君と同じく美しく生気に満ちた花を入れた。


 君の死を少し受け入れ始めた頃、再び君は私の夢に現れた。

 涙をこらえ、君に笑いかけると、君は顔いっぱいに笑顔を広げ、私に飛びついた。

 私はその頭を体を抱きしめ、そして今自分が持てる限りの愛情をすべて注いだ。頭を撫でて、胸を満たすなつかしい匂いを感じて、くすぐったそうに身をよじるその体を離すまいと腕に力を込めて。

 最期の日も、その前も、私は日に日に弱っていく君の姿が怖くて、触ったらそこから死んでしまいそうで、君に触ることができなかった。つらそうに息をする体をさすることさえできず、ただ涙を流すだけだった。なにもできないまま君は逝ってしまった。

 謝りたかったけれど、君はいつも、謝罪よりも愛情を欲していた。だから私は謝罪を口にせず、ただただ君を抱きしめた。
 あの時、泣き崩れ、触ることさえおこがましく思えた私に、今一度機会をくれたのだ。 そう考えて、君が本当に彼岸の向こうへと渡ってしまうその前に、君を愛さなければならないと思った。
 
 朝は再び君を攫い、私はひとり、布団から体を起こした。


 君が死んで、一年が経った頃。
 一周忌を迎えて、私は不思議な思いにとらわれていた。
 君の笑顔を据えた仏壇には、先日までまだ君の骨があった。無念か悔恨か寂寞か、手放せなかった。夢を見るたびその思いは薄まり、一周忌を折り目として、骨は納まるべきところへと納まった。
 骨がなくなった仏壇は、線香の煙が糸のようにたちのぼるほか、まったくもって静かだった。余計なものをそぎ落としたような静謐の空間を見つめ、ふとここに君がもういないことを悟った。
 一周忌にやってきた坊主は、透明なコップに入った水を見て言っていた。

「こうして内側に水泡がたくさんつくのは、仏様が喜んでいる証なのです」

 そのコップには、まるで炭酸と見まがうほど、たくさんの水泡がくっついていた。

 そうして三たび、君の夢を見た。

 君は私の姿を認めると、また花が開くような笑みを浮かべ、私のもとへと駆け寄ってきた。私は今度こそ笑顔で、その求めに応じて君を抱きしめた。
 
 ひとしきり抱きしめると、君はくるりと踵を返して、廊下を歩き始めた。数十秒もかからないはずの廊下は、先が見えないほど長かった。私が立ちすくんでいると、君は不満げに私を振り向いた。

 私は長い廊下を歩き始めた。

 君は嬉しそうに、楽しげに廊下を歩いていた。時折こちらを振り向き、私がきちんと後ろをついてきているのを確認していた。その様子に微笑みながら、私はとあることに気が付いた。

 さながら不思議の国のアリスのように、君の体が縮んでいった。だけどすぐに、縮んでいくわけではないことに気が付いた。
 若返っていた。
 
 長く伸びた美しい毛は短くなり、すらりとした足はさらに細くなっていった。廊下を進むたび、君の体は小さくなっていき、私は言葉を失くしていった。

 廊下を渡り終えたときには、君は性別すら判然としない、私の片方の掌に乗るほどの大きさになっていた。
 小さな手でかりかりと壁をひっかくので、私は君を手の上にそっと乗せた。
 たどり着いた先は、君のための仏壇だった。

 君は薄いベージュに囲まれた自分の写真の前に下ろすよう、私に頼んだ。小さな写真立ての前にそっと下ろすと、君はその小さな四肢を使い、写真の中へと入ろうとした。

「ああ」

 私は声を漏らした。
 ようやく合点がいった。

 君はもう、次の生へと向かおうとしているのだ。

 君が死んでしまったあの日よりも、夢に出てきたあの時よりも、もっと激しく、私は泣いた。

 君はいよいよ、何者の手も届かない場所へ行こうとしている。
 彼岸を超えたその先へ、すでに道を見出している。
 そのことが途方もなく寂しかった。

 だけどそれと同時に、君が君としてではなくても、再び生きられることに、この上ない喜びを感じた。
 君は、私が泣くのを見ると、戸惑ったようにこちらを振り向いた。そうして、半ばほど写真の中に入った体を再び抜き出そうとした。だから私は、そっと手を添えた。

「いいよ。行きなさい」

 涙をこらえず、それでも笑顔をつくった。
 君はまだ少し不安そうだったものの、私の笑顔を見て、また写真の中へと進んだ。まるで水の中へと入るように、君は完全に見えなくなった。

 そうしてまた、朝はやってきて、私と君のいなくなった部屋を包んでいくのだ。


 目が覚めて、私は自分の掌を見つめた。

 君はもういない。冷たい冬の夜、雪が融けるように死んでしまった。
 君は再び生きる。柔らかな冬の朝、雪を割るように生まれ変わっていった。
 
 命のぬくもりを確かに感じた手を額につけて、私はひたすら、祈った。

 これからの君の生が、ただただ、幸せなものでありますようにと。

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