まだまだ隠せる?


父親が脱獄したというニュースが流れたその日は大事を取って休みはしたものの、結局誰かが訪ねてくることもなければ、あの刑事から問い詰められることもなかった。
叔母夫婦から電話がかかってきはしたが、それだけだ。

彼らは心白や俺の身の安全を憂いてくれ、家に来るかとありがたい言葉もかけてくれた。しかし、そこまで迷惑はかけられない。
もしもの時は心白を預ける旨を伝え、その申し出は断った。

嵐の前の静けさ、という言葉が頭をよぎったものの、あまり休み続けるわけにもいかず、次の日には心白も俺も登校した。

いつもの通り廊下を歩く俺の後ろから、たかたかと誰かが走ってくる音がする。
誰かは俺の隣に立ち、にっこりと笑顔を見せた。

「なまえくん、おはよ!」
「おー、麗日おはよ」
「ねえ、はーちゃん大丈夫?」

挨拶するなり心白の心配をする麗日に、ああそういえば心白の体調不良という設定だったと思い出した。

心白は思ったほど脱獄については動揺していない。会ったことがないから当たり前なのかもしれない。

「平気。ちょっと怠そうだったから休ませただけだから、今日は元気に学校行ったよ」
「そっか! よかったー」

嬉しそうな声の彼女の顔を、今日は俺は見られない。

というか、これからしばらく、誰かに顔を見せることは難しそうだ。あいつが脱獄したせいで顔写真が大々的に放送されてしまったため、あれと似ているとなれば血縁を疑われる。

幸いなことに、事件が発生した当時の家からは遠く引っ越しているため、マスコミが詰めかけるようなことはなかった。
改めて、引っ越しを勧めてくれて、その費用や家賃、学費、生活費を出してくれた叔父と叔母に感謝した。

朗らかに昨日はこんなことがあったと話す麗日とともに教室に入ると、いつもと空気は変わらない。流行のことだとかエンタメのニュースだとか、あとは体育祭のことだとか。

脱獄のニュースに動揺しているのは、俺一人だけのようにさえ思えた。

麗日と別れ、教室の後ろを通りながら自分の席に向かう。
しかし、椅子に座ろうとしたら、がたんと大きな音を立て、机が蹴られた。そんなことをする人間は、俺の知るところこのクラスに一人しかいない。

ちらりと目線を上げると、いつもより目尻が吊り上がった爆豪が俺を睨んでいる。

「何? 爆豪」
「何、じゃねえわクソが。啖呵切った翌日休んでんな」
「あー。まぁホラ、妹まだ小1だしさ。それ一人にするとか俺鬼畜じゃん」

爆豪は相変わらずすさまじい目つきのままこちらを睨む。顔を見られたくなくて、すぐに目をそらした。こいつも性格はクソだが頭はいいから、テレビの映像と俺の顔が結びつかないとも限らない。

「ハイハイ、気をつけますよ」
「……チッ」

盛大な舌打ちとともに、ドカドカと不機嫌MAXな足音を立てて席に戻る爆豪を見送り、椅子に座る。クソ煮込みと入れ替わりに、席を立った緑谷がこちらに歩み寄った。
正直、彼とは今一番話したくない。

「なまえく、」
「なまえ」

何か言いたげな緑谷の声を遮り、相澤先生が俺を呼ぶ。
扉から顔を出す先生に気がついて、驚いて時計を見やるも、まだHRには早すぎる。

「はい?」
「提出物に不備があった。職員室まで来い」
「え? あ、はい、分かりました」

淡々と言われて戸惑ったが、ひとまず立ち上がる。緑谷にごめん、と手を掲げ、相澤先生の後に続いた。助かったけれど、はて直近で、直しが必要になるほど重要な書類はあっただろうか。

首をひねりながらも、始業前で人気のない廊下を歩く。
ぺたんぺたんと、包帯まみれの先生の不規則な足音が、やけに大きく響いた。

相澤先生は職員室を通り過ぎ、その先にある会議室に入っていく。
さらに不可解な行動に口を開きかけて、会議室の中の人物を見て、すぐに納得した。

USJの時に来ていた、朴訥そうな警察。神妙な顔で、俺と目が合うと曖昧な笑みを浮かべた。会議室の中にはその警察と相澤先生、それから校長、あとは見たことのないガリガリの男。警察か学校関係者だろうかと、とりあえずそちらにも頭を下げる。

コの字形の机、それに囲まれた一脚のイス。そのイスに座るよう促され、俺はおとなしく座る。法廷みたいだと、小さな頃の記憶を思い出した。

「授業前に呼び出してすまない」

口火を切ったのは確か、塚内という名前の彼だ。

「いいえ」
「君に来てもらったのは、その……ニュースを見たかな?」

歯切れの悪い塚内さんの言葉を、相澤先生が引き継いだ。

「お前がマリオネッターの居場所を知ってんじゃないかと思ってる奴がいる」

どこか予想していた言葉だったので、ショックはなかった。
相澤先生や校長が俺の血縁についてや脱獄のニュースを知らないわけはないし、誰がそう主張しているかもすぐに予想がつく。

その上で俺は首を横に振った。

「分かりません。そもそも電話も住所も変わってるし、向こうから連絡とる手段はないと思いますけど」
「そうか、……だよな。おかしなことを聞いてすまなかった」

意外なことに、塚内さんはすぐに引いてくれた。あの刑事ならねちっこく長々聞いてくるから、正直驚いてしまった。
話はそれだけかと尋ねたら、いや実は、と塚内さんが頭をかく。

「今、急いで彼の行方を追っているんだが……正直、見当もつかなくてな。失礼を承知で、君に話を聞きに来た」
「……」
「知り合いから、君がマリオネッターの息子だと聞いた。強制じゃないが、もし何か心当たりがあれば教えてくれないか」

黙ったままのガリガリの男は、落ち窪んだ目で塚内さんを見、そして俺を見た。先ほどから一言も喋らないのが気になったが、かといって助けてくれるわけでもなさそうだ。

ただ、居場所なんて俺は知らない。心当たりすらない。
あいつの考えなんて、分かるやつはいないだろう。敵でもない限り。

「知りません」
「……そうか、」
「だけど、俺の知ってる範囲では、あの人は敵しか狙いません。世間じゃ愉快犯だの快楽殺人だの言われてるけど、あれで一般人とヒーローは殺してない。ヒーロー気取りだから」

それは、あいつの中の信念に基づいた行動だ。小さな頃に聞いた、耳に焼き付いて離れない信念。
俺の言葉を聞いて、ガリガリの男がようやく口を開いた。

「だが、奴は……君を犯行現場に連れて行ったんだろう?」
「そうですね」
「ヒーローを気取るのに、なぜそんなことを?」
「知りません」

分かりきったことを聞く男に、いらつきが募る。
なぜ知らないかなんて、そんなの、聞く時間もそんなことをする権利も奪われたからに決まっている。

男が黙ったのを見て、椅子から立ち上がる。

「もういいですか?」
「ああ。悪かったね、時間をとらせて」
「いえ。……失礼します」

頭を下げ、俺は教室に戻ろうとした。
しかし会議室のドアに手をかけたところで、相澤先生に名前を呼ばれた。今日はよく呼ばれる。

振り向いて体ごとそちらを向くと、先生は包帯の向こうから鋭い目を向けていた。

「体育祭は出ろよ」
「え?」
「何があってもだ。下らねえこと言う奴は、結果で黙らせろ」

そのくらいやってみせろ、なまえ。

声の調子は相変わらずだった。特に力強く言われたわけでもない。

それなのに、相澤先生のその言葉はこれ以上ないくらいの激励で、顔と胸がかっと熱くなる。言われなくてもやりますよなんて返してやれば良かったのに、喉の奥で言葉が絡まってしまう。

ありがとうございますとボソボソ呟いて、足早に会議室を後にした。

そんなことがあったから、俺は今とても上機嫌だった。

叔父さんや叔母さん、心白に「頑張れ」と言われるのとはまた違う。事情を知っている他人が、結果で黙らせろと言ってくれたのだ。それも、担任の先生が。

念を押されなくとも、絶対体育祭には出る。ヒーローになるなら外せないイベントだし、期待してくれている人がいる。モチベーションとしては最高だ。
母さんがもし生きていたら、きっと応援ののぼりとか旗とか作ってただろうな。

相澤先生が「念を押した」理由に考えを至らせることなく、俺は早足で教室へと向かっていた。

◆ ◇ ◆ ◇


「……塚内くん」

オールマイトは、少年が出て行った扉を残念そうに見ている塚内に声をかけた。

先ほどまで、教師と警察に囲まれて質問されていた少年は、まるで能面のように無表情だった。

父親の話をする時だけ、わずかに不快そうに顔を歪めていたが、それだけだ。子供らしからぬ顔はしかし、相澤の言葉で変わった。

期待をかけるような言葉を聞くと、長い前髪に覆われた顔はぱっと色づく。
言葉の裏を読むことなく頬を赤く染め、嬉しそうに頭を下げて出て行った。

自分には見せることのない感情表現に教師として嫉妬したが、今はそれどころではない。

相澤がなまえに念を押したその理由は、その場にいた全員がわかっていた。

塚内は気まずそうにオールマイトの方を向き、頷く。

「うん……」
「それで、どうなんだい、本当のところは?」

校長が水をさし向けると、塚内は観念したように話し出す。

なまえに告げようとして、結局飲み込んだ言葉を。

「7年前と同じ手口で殺された敵が2人、ここからそう離れていない場所で見つかった。殺されてから運ばれたようだ。ただ、この近辺で発見されたということは、奴がこの近くにいる可能性がある」

会議室が重々しい空気に包まれる。
塚内はすべてを吐き出すかのように続けた。

「あの襲撃の直後に脱獄。準備の痕跡もなく、加えて、脱獄直前の監視カメラに『黒い靄』が映っていた。……敵連合、奴らが脱獄の手引きをしたと見ている」

そうして、その先に続く意見を思い、オールマイトはただ拳を握る。

「彼の安全面から見ても、そして行動監視のためにも、体育祭の出場は見合わせたほうがいい。……それが、警察の見解だ」

無遠慮な舌打ちが響く。
その発生源たる相澤を咎める者はいなかった。

出場の見合わせ。
言葉通り、なまえの体育祭の出場を認めないことだ。
極めて異例の処置だが、そもそもが、敵の血縁者がヒーローを目指すということもなかなかないことである。身の安全というよりは、監視という意味合いが大きい。

オールマイトが父親を捕縛したとき、同時に保護されたなまえは、自分の身よりも父親の身を案じていた。
その様子をオールマイトは今でも思い出すことができる。

「……私は」

おとうさんはわるくない、ヒーローなんだ、ヴィランをやっつけたのにどうしてヒーローじゃないの。

しばらく耳の底にこびりついていた言葉は、7年ぶりに蘇ってオールマイトの胸を抉る。

「私は彼に、体育祭に出てもらいたい」
「オールマイト」
「逆に、こうは考えられないか? 体育祭に出場して、そこでの振る舞いを見ることで、彼が本当に敵の影響を受けているか調べることができる、とは?」
「オールマイト」

校長の声がその言葉を静かに否定した。

「君の気持ちは分かるさ。君の捕まえた敵の子供、何の罪もない少年が、世の中の都合を押し付けられる。教師として、守ってやらなければいけないという気持ちは分かるさ。
だけど、ここにいる生徒は、彼だけじゃない」
「……しかし」
「ヒーローとして考えよう。生徒たちを、あの子も含めて守る方法を」

教師として守るには、なまえの身の安全を保障しつつ、体育祭にも出させてやらなければならない。
ヒーローとして守るには、雄英の全校生徒の安全を保障しつつ、なまえも守らなければならない。

選択肢など、あってないようなものじゃないかと、唇をかんだ。

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