災厄の音



『本日未明、服役中だった糸繰傀人、敵名マリオネッターが脱獄しました。独房には逃走用と思しき痕跡は見つからず、警察は外部から何者かの手引きがあったとして……』

なんとなく流していたテレビが、そんなニュースを耳に伝えてくる。
いとぐり、かいと。
自分の本来の苗字が無感情に読み上げられた途端、俺の手から皿が滑り落ちて、ガシャンと耳障りな音を立てた。食器についていた洗剤と、白い破片がともにあたりに飛び散る。

それまで行儀よくジュースを飲んでいた心白は、皿の割れる音にびくりと肩を揺らした。そして、俺とニュースとを見比べて怯えた顔をしている。
自分の顔が引きつっている自覚はあったが、そんな二人の様子など意に介さないニュースキャスターは、無機質に原稿を読み上げた。

『マリオネッターは敵ばかりを狙った殺害を繰り返しており、7年ほど前にオールマイトに取り押さえられました』

「……」

『警察は何者かが外から手引きをした可能性も含め、慎重に調べを進めています』

ぎゅう、と胸元を握りしめる。心臓が収縮を続けていくような感覚が気持ち悪い。
脱獄されたと思しき刑務所の前の中継から、再びスタジオへとカメラが戻り、でっぷりと太った男と、犯罪学の権威とやらという男、大きな角のキャスターが移された。

『やはり証拠を残さない脱獄のために、9年間策を練っていた、ということでしょうか』
『そうでしょうね。奴は快楽殺人者です、生粋の異常者ですよ。警察もヒーローも総力を挙げて捕まえねばなりませんね』
『まあ、敵だけを狙ってくれているのなら、悪いやつが減ってくれていいんですがね。そうはうまくいかないでしょうが』

本人は面白いと思っているのかもしれない、コメンテーターのブラックジョークを最後に、ニュースが次の話題に映った。

しかし、テレビに釘付けになったまま俺は動けない。
頭の中にあらゆることが浮かんできては消えていった。

どうして今更、俺たちのところに来るのか。また誰かを殺すのか。俺は、心白は、どうしたらいい。雄英にいられなくなるのかもしれない。俺たちのことなんか興味もないのかもしれない。だけど最悪の事態にならないよう、何も手出しをさせないためには。

混乱する俺の服を、小さな手が引いた。

「、はーちゃん」
「お兄ちゃん……」

不安そうに俺を見上げるその目を見て、ようやく我に返る。
一度自分の頬を張ってから、心白に合わせてしゃがみこんだ。何があろうと、俺が目指すものもやるべきことも変わらないのだ。

安心させるよう、笑顔を浮かべながら心白に話しかける。

「ごめんな、ちょっとびっくりしただけだよ。大丈夫」
「ほんと? ……今の、まりおねったーって……」
「大丈夫。絶対、はーちゃんやパパやママには、何もさせないから。大丈夫だよ」
「……お兄ちゃんは?」
「俺は強いから大丈夫。だって雄英生だよ?」

柔い頬に手を添えて、そうおどけた。
その肩書さえ、保てるかどうかといったところだが、ニュースによるとまだあいつに動きはないようだし、藪をつつく気はない。下手に動けば、それこそ心白を危険にさらしかねない。ヒーローや警察は助けてはくれないだろうから。

心白は、あいつが捕まった後に生まれた子だ。面識がないから、心白にどんな思いを抱いているかわからない。興味がないのかそれとも。

いずれにせよ、考える時間が欲しかった。

「はーちゃん、今日は悪いけど、学校お休みでいい? 俺も休むから、お家で遊ぼう」
「……うん!」

満面の笑みで答える心白。真新しいランドセルを部屋の隅に置くと、ぱたぱた嬉しそうに遊び道具を取りに行った。その背中を見ながら、休みの連絡をするため電話を取る。

申し訳ないと思いつつも、心白の具合が悪いことにして、小学校はお休みをもらった。

続けて雄英、電話口に出たのは相澤先生だった。

『……はい、雄英高校です』
「あ、相澤先生ですか? 指緒勘解小路です、おはようございます」
『なまえか。どうした』
「実は、妹の調子が悪くて。ちょっと見ててやりたいんで、今日は欠席……」

『ニュース、見たのか』

俺の言葉を遮り、相澤先生がそう告げた。

再び固まる俺に、受話器から小さなため息が聞こえてくる。それに肩を揺らして、俺はただ消えてしまいたいとだけ思う。

何を言うべきかわからずに、結局俺がしたことは、謝るという逃げの一手。

「すみません」
『……何がだ』
「……身内の不始末?」
『……別にお前がやったわけじゃないんだ。謝る理由もないだろ』
「……」

俺が黙っていると、相澤先生はまたため息をつき、言葉を続ける。

『こういう状況だから欠席は認めるが、何せ体育祭の前だ。家でできる範囲のトレーニングはしておけ』
「……はい。ありがとうございます」

欠席理由は体調不良にしておくとついでのように言われ、俺は深く頭を下げた。
その後は合理的な先生らしくすぐに電話を切られてしまったが、その直前の呟くような「頑張れよ」という言葉は、きちんと拾った。

たくさんの布と型紙をもってこちらに走ってくる心白に笑顔を返し、ひとまず脱獄のことは頭から追い払った。


◇ ◆ ◇ ◆

バースツールに腰かけた、細身の青年。
一定のリズムで机を叩き、組んだ足を落ち着きなく揺らしている。手足に真新しい白い包帯を巻きつけた彼は、何かにイラついたように時折拳を机にたたきつけ、薄暗いバーの奥を見ている。
とうとう焦れたように黒霧、と低い声で何者かの名前を呼ぶと、それからほどなくして奥の扉が開いた。
高い靴音とともに現れたのは、服以外を黒い霧で覆った人物ともう一人。
現在さかんにニュースで取り上げられている男の顔を見て、青年、死柄木はにやりと凶悪な笑みを浮かべた。

「似合うじゃん、オッサン」

「どうも。けど若い子の服は慣れないなあ」

それに対し、柔和な笑みを浮かべて男は答える。
先ほどまではまるで浮浪者のような出で立ちだったというのに、シャツにジャケット、スラックスを身に付け、ヒゲと髪を整えれば、年より10は若く見える。

しかし、そのシャツの襟には赤黒いものが跳んでいた。

「マリオネッターの腕は健在のようですね。あれほど鮮やかに……」
「いやいや、ダメだよ。少し汚しちゃったしね」

囚人服しかなかったからと、男はバーに連れてこられてすぐ外に出た。
手近にいた敵の四肢をへし折り服を奪い、口止めのために頭をもいだ。個性の片鱗さえ見せぬまま。

男は黒霧に勧められ、死柄木からひとつあけてバースツールに腰をかける。カウンターに肘をつき、ニコニコと笑顔を浮かべた。

「それで、僕を脱獄させてくれたのはどうしてかな?」

マリオネッターはそう尋ねた。

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