ストックホルム症候群


これでも俺はプロのヒーローだ。

大して名が知れていないとはいえ、そこそこ手柄は立てている。サイドキックから独立するのも時間の問題、期待の新鋭。

そんなふうに雑誌に取り上げられたりもしたのに。

「ただいま。……いいコにしてたか?」

「…………」

扉を開けて、妙な男が中に入って来る。

顔の半分がケロイドのような皮膚で覆われた男は、靴を脱いで傍に来るなり俺のことを抱きしめた。

敵など、犯罪者たちが形成している通り、という話は聞いていた。オールマイトやエンデヴァーのようなヒーローたちの活動域を避け、お互いがお互いをかくまうように生活する場所。

まさか自分が、その通りに位置する一室に監禁されるなんて、思いもしなかったが。

「なまえ、……なまえ」

俺に抱き着いてくるこの男、曰く荼毘は、ある日なんの前触れもなく俺をさらい、ここへ連れてきた。俺のヒーローネームはおろか、本名まで知っていた。

無論逃げようともしたが、気絶から目が覚めたら装着されていた首輪のせいか、俺の個性は発動しない。つまりは無個性、身体能力でどうにかしようにも、拘束具はあちこち補強してあって歯がたたない。

そして、大半の生活を荼毘に監視されているせいで逃げる隙も無いのだ。

両手は拘束され、足には外にぎりぎり出られない鎖。首輪には(こいつが言うには)爆弾が巻き付けられているらしい。

「なまえ、俺の名前を呼んでくれ」
「…………」
「……なまえ」

だから、俺ができる唯一の抵抗。それは意地でも、こいつの話に答えないこと。

食事だとか風呂だとかは、拒否してもこいつが無理やり行うので意味がない。だからとにかく、俺は荼毘と口をきくことをしなかった。

こいつの目的はいまだに分からない。俺の所属する事務所のヒーローを殺す気なのかもしれない。
だったらなおさら、絶対に口を割るものか。

荼毘は相変わらず俺が喋らないのを見て、ため息をついた。俺から離れると、立ち上がってどこかへ去っていく。
その間に俺は、手の拘束をどうにかできないかと、いつものように歯を立てる。あいつがいない間じゃないとできない。がりがりがりがり、まるで自分がネズミにでもなったような気分でかじり続ける。

「なまえ」

すぐ近くから名前を呼ばれ、体が硬直した。ひたりと首に手が添えられ、壁に向かって投げつけられる。耳障りな鎖の音がした。

背中を打ってせき込んでいたら、今度は顔を上げさせられた。逃がさないとばかりに膝の上に乗り上げて、恍惚とした表情で荼毘は俺を見下ろす。

「ダメだろ、逃げようとしたら。……ああ、口の周り、こんなベトベトにして」

かじる際にあふれた唾液を、荼毘が舐めとる。気持ち悪い。気持ち悪くて仕方ない。
俺を見るときの目も、その肌も、ねっとりとした声も。

「悪い子には、お仕置きしないとな」

荼毘が、服に手をかけた。


虫の声で目が覚めた。

自由のきかない体を起こすと、わずかに入って来る光はやわらかい。窓という窓は、すべて閉め切られているから、隙間から入る光だけが、俺が時間を知る術だ。ここには時計もありはしない。

「……ん、」

隣では、荼毘が眠っている。
先ほどまで、俺の上にまたがってあられもない姿をさらしていた。監禁初日は突っ込まれたのだが、あまりの痛み(と屈辱)に俺が泣いたら、それ以降はこの男が受け身に回っている。
命の危険を感じると人は勃つようである。

『お前に愛してほしいだけだ』

どうしてそこまで、と聞いたら、返ってきた答えである。

『お前が好きだと言うまで、俺はお前を離さねえぞ』

敵がヒーローに愛されることも、ヒーローが敵に想われることも、あるはずがない。

荼毘は好きだ好きだと毎日俺に言う。それはきっと、俺を懐柔して、俺の所属事務所を襲おうとしているからだ。そのための駒として、俺に愛してほしいのだ。
そうでなければおかしい。

俺を気遣うみたいなそぶりも、俺が無視して寂しそうな顔をするのも、すべては演技だ。
そうに決まっている。

荼毘が寝返りを打つ。その拍子に、布団が体からずり落ちた。
男にしては薄い肩がさらされ、少し震えたように見えた。

「…………」

その腕に唇を落として、布団を引き上げる。それから俺はいつも通りそこから這い出て、壁に寄り掛かり目を閉じた。

睡眠だけはとらなくてはならない。いつ逃げ出すにしても、体力をつけておかなくては始まらない。こうして監禁されている間はトレーニングもできないから、衰えているのは確実だろうが、それでもまだ、個性が戻れば逃げるくらいはできるはずだ。

ああ、本当におかしなことばかりだ。

少しだけ目を開けて、一人で眠っている男の姿を視界に入れる。

「……荼毘」

こいつから逃げるのが、少し名残惜しいだなんて。

俺は頭がおかしくなってしまったのか。何かの病気にかかってしまったのか。
声が、肌が、存在が疎ましい。それは変わらない。

だけど、荼毘に「好きだ」と言われることだけは、悪くはなかった。
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